仮のベイマックス
思わぬところから、思わぬ方向で救われることが、最近多い。救われるなんていうとちょっと大袈裟かもしれないのだけど。そうだな。背中をさすってくれる感じだったり、手を握ってぐっと立ち上がらせてくれたり。(それで自分が転んで立ち上がれなかったって気づいたり。)それが、思わぬ方向からくる。
結局自分のことしかわからないのだけど、とりあえず生活ができているけど、そこまでキラキラ自分の思い描いていた通りの生活でもなく、今で腹の底から満足しているわけではないけど、不満足かっていわれたら、うんまあそこまでではないな、って。でもなんというか、明日とか明後日とかそれがどんどん続いた来年とか、2年後、3年後に、いまよりちょっとでもなんか良くなっていたいなって思う。良くなるって、なんだっていわれたら、そうだな。もちろん、役者としていい作品に関われたり、そういうのもあるけれど、もうちょっと、うーん、いや。問題は山のようにあるし、社会情勢そっちのけで自分さえ良ければいいとかではなく、なんだろうな。少なくとも、基本的に自分がにこにこ機嫌よく過ごしていないと、いい社会につながらないと思うし、自分がにこにこ過ごせるように、環境を整えたいし。そんな小さい積み重ねをおろそかにはしたくない、と思ってます。
思わぬところから思わぬ方向で助けられているっていう話は、益田ミリさんが以前ベイマックスで例えられていて。私はベイマックス観てないけど、すごく共感できたんですよね。(いまはもうこの回のお話のリンク先が見つからなかったのですが、最新の「今日の人生」もたいへん共感できるので、よかったら)
https://www.mishimaga.com/books/kyonojinsei/002672.html
自分のやってることがこんなんでいいのかなって思ったときに、全然違う方向だけど、芯にあるものが自分と似ているなって思ったら、全く知らない人だけど、地球のどこかでこの人がこんなふうにやってる、こんなふうに思ってるっていうことが、よりどころになったりします。
自分のやっていることも、いつかどこかの誰かのベイマックスになれたら、そんなうれしいことはないな。