函館・福島町研修レポート(2023.3.16-17)
1. 研修目的
3年前の研修は直前にコロナで急遽中止となり、全ての予約をキャンセルした為今回はその時と同じ行き先の福島町にした。
新幹線の開通により渡島半島沿線の町がPRされているが木古内より先の町へは行ったことが無いので今回は足を延ばして南下し、以前から興味深かった福島町の青函海底トンネル記念館へも行ってみようと思った。
歴史の浅い北海道だが、渡島半島の南西部は特に道内の歴史を築いてきたエリアだと思う。
今回このエリアをゆっくり周り歴史を掘り下げたり文化などに触れながら知識を深めていけたらと思う。
2.研修報告
1日目(3月16日)
札幌駅8:43→ 函館駅12:34 (JR特急北斗6号)
函館元町界隈散策13:00→ 17:30 (市電・バス1日乗車券利用)
※外人墓地・高龍寺・函館八幡宮・十字街周辺散策
2日目(3月17日)
函館駅8:55→ 木古内駅10:08 (道南いさりび鉄道)
木古内駅11:10→ 福島12:04 (函館バス)
福島15:04→ 木古内駅15:58 (函館バス)
木古内駅16:32→ 函館駅17:34 (道南いさりび鉄道)
函館駅17:50→ 函館空港18:10 (函館帝産バス)
函館空港19:00→ 新千歳空港19:40 (ANA)
新千歳空港19:54→ 札幌駅20:30
■1日目
特急北斗6号に乗車し一路函館へ向かう。天候が心配だったが長万部辺りから小雨が降ってきた程度で函館に到着した頃には雨も上り晴れ間も出てきたのでラッキーだった。
車内はサラリーマンや外国人観光客も見受けられ賑わっていた。
(登別や洞爺で乗降する外国人が多かった。)
大沼公園が近づくと駒ヶ岳が見えて来たが、国定公園周辺は標高が高い地域からかあちこちに雪が残っておりじゅんさい沼はまだ凍結していた。
お昼過ぎに函館に到着し、観光案内所で市電バス1日乗車券を購入しバスターミナルへ向かう。
しかし窓口はお昼休み中でシャッターが降りており13時に営業開始しますと貼紙があった。(待合椅子にはチケットを購入希望の人が結構いたが、スタッフの休憩は交代制ではないのだろうか?スタッフは3人いたので交代制でも良さそうであるが・・)
再開5分前に着いたのでそのまま待つ。
13時に営業再開。ポケット時刻表をもらう。
駅前から市電に乗車する。
現在道内を走る市電は札幌と函館のみである。
1913年から運行が開始された市電は100年以上に渡り市民や観光客の足となり街の大切な風景にもなっている貴重な存在だ。
十字街で下車し大三坂沿いにある久留葉というお蕎麦屋で昼食を済ませる。大正時代の古民家をリノベーションした店舗で歴史を感じさせる雰囲気がとても良かった。
石臼で使用する分を挽いた挽きたての蕎麦粉で作った蕎麦はとても美味しかった。
昼食後、外人墓地に行く為早めにバス停へ行くが15分経ってもバスは来ない。
バス停も間違っておらず時刻表を再度確認するが減便にもなっていない。
全く来る気配が無いので仕方が無く十字街まで戻り、どつく行きの市電に乗った。
終点どつく前で降りて徒歩10分程魚見坂を上って行くと函館港が開け高龍寺が見えてきた。
高龍寺
高龍寺は1633年亀田村(現在の万代町辺り)に創建されたことに始まる。
函館市内に現存する寺院としては最も古い。
その後洪水による被害で亀田村が衰退したため、1706年に函館の弁天町(現在の入船町)に移転。
函館港開港当初は実行寺(高龍寺のすぐ近くにある)とともにロシア領事館一行の仮宿舎となり明治12年に現在の場所に移転され明治33年に本堂が完成。
平成23年には国の有形文化財に登録された。
山門をくぐるとその彫刻の素晴らしさに目を見張った。
よくよく見ると龍や獅子、鳳凰などが彫り込まれている。
ヒバ材を使用しているこの山門は明治43年に完成し207個の彫刻が施されているという東北以北最大の山門だ。
越後地方出身の名工たちの作で、越後で制作され帆船で函館港まで運ばれたもので明治時代末期の貴重な木造寺院で威厳のある姿を見せていた。
またお寺は度重なる大火の歴史から厚さ60㎝にもなる重厚なレンガで出来た、防火塀で囲われており函館がいかに風の強い街だったかが分かる。
お寺では定期的に写経やヨガ等も行われているようだ。
高龍寺から歩くこと5分、港を一望出来る場所に外人墓地がある。
1854年ペリーが函館に来航時にヴァンダリア号の水兵2人が亡くなりこれを埋葬したのが外人墓地の始まりといわれている。
その後移住する外国人の増加に伴い1870年に開拓使と在函5ヵ国の領事館との間で正式な外人墓地設置に関する協定書が交わされた。
ここには宗教や国籍ごとに分かれた4つの墓地(プロテスタント墓地・ロシア人墓地・中国人墓地・カトリック墓地)がある。
外人墓地見学後は市電で谷地頭へ移動。
市電の終点「谷地頭」で下車すると、函館八幡宮へ続く参道と鳥居が見えてきた。
400メートル続く参道沿いには道内では珍しい松並木が続き、老舗の和菓子屋や寿司屋があり参拝後に立ち寄るのもよさそうだ。
134段の石段を上り始めると杉林が多くなり空気が変わった様な気がして、改めてパワースポットだと感じた。
北海道と言えばエゾマツ・トドマツが多いが、函館まで来ると杉や赤松が多く目立った。
この周辺の松や杉は越後地方から取り寄せ、谷地頭周辺に移植したものと言われている。
すぐ近くには歴史のある谷地頭温泉や石川啄木一族のお墓があり立待岬までも徒歩圏内だ。
八幡宮を見学後、1日乗車券を購入したので宝来町で下車してみた。
降りてすぐの護国坂には函館港開港100年を記念して建立された高田屋嘉兵衛像、市電沿いには古くから営業している老舗のすき焼き店や、千秋庵本店・五島軒等があり風情があった。
■2日目
宿泊したホテルの部屋から函館駅のホームが一望出来た。
トレインビューの宿泊プランに魅力を感じたが高くて諦め通常のプランにしたので、部屋からの眺めにあまり期待はしてなかったが、チェックインしてみるとトレインビューの部屋になっておりラッキーだった。
8時55分発の道南いさりび鉄道に乗る為、ホテルのフロントで1日乗車券を購入し駅のホームへ行くと1両編成の可愛い電車が停車していた。
車内は空いておりカメラを持った人や足を延ばしてくつろいでいる人、ご年配のご夫婦等それぞれに景色を楽しんでいた。
木古内までは1時間の道のりだ。
いさりび鉄道
いさりび鉄道は2016年3月26日に北海道新幹線新青森駅~新函館北斗間開業の際に並行在来線として運行を開始した第3セクター鉄道。
五稜郭駅⇔木古内間37.8㎞を結ぶ人気のローカル列車。
(五稜郭⇔函館間はJRに乗り換えて運行)
いさりび鉄道の前身はJR北海道の江差線。
北海道の第3セクター鉄道の運行は、ちほく高原鉄道のふるさと銀河線(旧池北線)が2006年4月に廃止されて以来10年ぶりだ。
北海道ちほく高原鉄道が2008年に解散して以来道内では唯一の第3セクター鉄道だ。
木古内駅に到着後、福島行きバスの出発まで1時間程時間があったので徒歩10分程の所にある、みそぎ浜まで歩いてみた。
みそぎ浜からは津軽海峡と遠くに霞んで青森県の下北半島が見えた。
みそぎ浜では毎年1月に寒中みそぎ祭りが行われているが、190年以上続く木古内町最大のイベントだ。
地域の豊漁・豊作を願う伝統神事で、毎年1月13日から3日間の日程で行われ行修者と呼ばれる4人の若者が佐女川神社に籠もり夜通し水をかぶって自らの身体を清める「水にごり」が行われ、最終日には厳寒の津軽海峡に入り4体のご神体を清める行事だ。
見学後は駅まで戻り松前行きのバスに乗車し福島町へ向かう。
福島町までは1時間。しばらく海岸沿いを走行していたが知内町に入ると急に山道になり、時折小雪が降り出し景色は一変して冬景色になった。
雪も止み青空が広がってきた頃福島町に到着し千代の富士記念館前で下車。
横綱千代の山・千代の富士記念館
第41代横綱千代の山・第58代横綱千代の富士を生んだ町として知られている福島町。道内出身の力士は沢山いるが、2人の横綱が誕生した町は日本唯一と言われている。
館内には両横綱の修業時代からの全記録と大相撲の文化を写真や映像、資料で見ることが出来る。
館内には優勝トロフィーや千代の富士が断髪した際の大銀杏、国民栄誉賞状等が展示されていた。
1階には旧九重部屋の稽古場と土俵を再現した場所があり、毎年夏には同部屋の合宿が行われ一般客もここで朝稽古の様子を見学出来るそうなので一度見てみたいものだ。
二大横綱の故郷福島で、数々の思い出の品に触れたことで一度本物の相撲を間近で観戦してみたいと思った。
千代の富士記念館を見学後、横綱街道を10分程歩いてトンネル記念館に到着。
青函トンネル記念館
2005年4月に開館。
毎年冬期間は千代の富士記念館と共に休館 (12/1~3/16)になり、今シーズンは3月17日からオープンだった為この日に合わせて研修日程を組んだ。
展示ホールでは過酷な条件の下、行われた工事の様子やトンネルの工事中に実際に使用していた設備重機や工場の記録がパネルや大型映像で紹介されており特に映像の迫力はもの凄く、命がけの大規模な工事だった事が伺える。(子供でも分かりやすようにパネルでの紹介コーナーもあった)
ちなみに青函トンネルの工事が着工したのは1964年、延べ1400万人を動員した世紀の大工事は完成まで20年以上かかっている。
数々の難工事を経て1988年に世界最長のトンネルとして開業した。
(総延長53.85キロ・海底部分は23.3キロ)
電車が通る海底トンネルの高さは7.85メートル。(3階建てのビルが入る位)トンネル内は1年中気温が20℃、湿度80%~90%に保たれている。
線路はスーパーロングレールで長さ52.7km、つなぎ目のないレールとは驚きだ。
トンネルの中の岩に染みた海水はポンプで排水している。排水量は1日約3万700トンで25mプールの約55杯分だ。
福島町ではトンネルの排水を道路の下に流して流雪溝に利用している。
トンネルの排水は冬でも温度が高いため雪を溶かしてくれる仕組みだ。
かつて吉岡海底駅という駅が海面から149.5メートル下にあり日本一低い駅として知られていたが、新幹線工事に伴い2014年3月を以って廃止された。
現在は避難施設として使用され駅としては使われていない。
駅だった当時は海底駅見学整理券を持った人のみ下車可能で見学ツアーもあり賑わっていた。
福島町で3時間時間があったので昼食を済ませた。
事前に調べていたお店は臨時休業、他2軒も定休日と何ともついてなくがっかりだったが近くのお店があいており無事昼食を済ませる事が出来た。
福島町では現在町を上げて名物のあわびを使用したご当地のカレーやイカのとんびパスタに力を入れており町の至る飲食店で出している。
せっかくなのでカレーを注文。
ツブやエビあわび、イカ等が沢山入っていて美味しくお店のご夫婦が親切だった。
昼食後、函館バスにて木古内へ戻りいさりび鉄道出発の時間まで木古内駅前の道の駅内にあるお土産コーナーと観光案内所に立ち寄る。
木古内をあとに再びいさりび鉄道に乗車して一路函館へ。
函館湾沿いに列車は進むのだが、遠くには函館山と街並みが見えて絶景だった。
途中三角屋根が可愛い渡島当別駅を通る。
有名なトラピスト修道院までは徒歩で25分程。時間があれば立ち寄ってみたかった。
全ての見学を終え、函館駅からバスで函館空港へ。
往路は3時間40分かかるJR移動だったが帰路は飛行機で新千歳空港へ。
新千歳までは約40分。
離陸したと思ったらもう苫小牧上空で本当にあっという間だった。
研修を終えて
函館市内を歩いてみて感じたことは改めて風の強い町だということだ。
地形の関係から風が強い函館だが海と海(津軽海峡と日本海)に囲まれた一番幅の狭い所(函館市役所の辺り)では1キロしか無い。
その為明治から大正・昭和にかけては何度も大火に見舞われており特に1934年の函館大火は歴史に残るものになり市内には大火慰霊堂もある。
函館市内を歩いていると防火の為に作られたレンガ造りの塀やコンリート等の建物が多く目についた。
かつて幾度となく火災にあった経験から現在のような建築に至ってるのだろう。
元町の散策時にも防火塀で囲まれている寺院やコンクリート作りの教会等が幾つも見受けられ町の歴史を少し垣間見れた気がする。
北海道新幹線が開通してから沿線の町がピックアップされるようになり木古内や知内、福島町へ足を延ばす人も増えたようだ。
今回函館から普段はなかなか行けない渡島半島の南西部まで足を延ばしてみたが、改めて北海道の広さを実感した。
そして歴史の浅い北海道の中でも特に歴史を築いてきた地域なのだと強く感じた2日間だった。
渡島当別のトラピスト修道院や木古内の薬師山等、もっと見学したい所があったのだがアクセスが良くない為断念した。
ゆっくりこの地域を周るなら2、3日は必要だと思う。
特にいさりび鉄道から見た函館山と下北半島や津軽半島の景色は何度も写真を撮りたくなる位の絶景だった。
時間を気にせず函館方面にゆっくり行く方や鉄道好きの方に是非勧めたいと思ったエリアだった。
今回実際に足を運び目で見て感じたことを今後の案内に生かしていきたいと思う。(reported by Y.Y)
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