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観光地 知名度VSリアルコンテンツ

知名度はあるけれど、観光内容が乏しい衰退した観光地が意外とあります。
知名度があるということは、過去に繁盛した観光地であるに違いありません。あるいはPRが上手な観光地か。

例え「時代にソッポ向かれた」という意識あっても、それはつまり時代と共に歩んで来られなかったというほかありません。言葉は悪いですが、「イイ気になっていた、調子に乗って周りが見えなくなっていた」のでしょう。
でも、不思議と観光地にしてみたらありがたいことに、「知名度」は案外消えません。私はそれをとても面白いことだと思っています。恐らく知名度が消えないのは、「観光地に行った時のいい経験、思い出に残っている=アップデートしていない古い記憶のままのイメージ」からでしょう。観光者からしてみれば、気に入れば何度も足を運ぶこともありますが、遠方で再度なかなか行くことができないとか、他にもいろいろな場所へ行きたいので行ったのは「その時」だけであったなら、やっぱり「その時のイメージ」のままの記憶になるのは当然です。現地ではなく、普段目にする耳にするのがその「アップデートされない、いい時の情報」であることも原因かもしれません。

観光雑誌やネットでも、当然ですがキレイな写真や画像しか載せません。それを鵜呑みに(仕方ない部分がありますけど、今は「#」検索しますね)して行くとガッカリ…なんてこともよくあると思います。だからと言って、観光地自身が等身大をPRする勇気もないでしょう。そう思うと、なんか「騙された」みたいになってしまって、一番それにガッカリします。それにしてもこれだけネットが浸透しているのに、それが見抜けない環境も実際に存在するというのは、不思議でなりません。「嘘」が通ってしまっているのですから。

ハッキリ言って、「良く見せなくては観光客が来ない観光地」では終わっています。逆に「等身大(ありのままの姿)を見せられる観光地」は潔いと拍手を送りたい!観光地の実態に向き合ってる気がしてむしろ好印象です。自観光地が「良く見せなくては観光客が来ない観光地」だと思えるなら、それがレッド信号だと自覚して手当てしていくべきです。ズルくなって、それが続けば後で大きな代償が…観光地の場合は確実に「衰退」です。

衰退の理由に確かに時代の影響もあるでしょうが、そればかりには押し付けられません。「いい時に調子に乗る」もあるでしょうし、「いい時に危機感なんて感じにくい」でしょう。よっぽど大事件か大災害がなければ、一気に衰退というのは考えにくいですから、結局のところ「手当を怠った」とか「手当の方法を間違えた」、あるいは「時代の流れを受け入れられず取り残された」のでしょう。

では、衰退した観光地が復活できないかと言えば、決してそんなことはないと思います。資金、時間、労力はかかるかもしれませんが、できると思います。効果的に再生していけるよう、アイデア・プランが必要です。「塵も積もれば」方式でやっていくのか、「一斉」方式でやっていくのか、決まったやり方はないのですから、観光地の状況で決めていけばいいでしょう。
ただ、知名度があるということは、有利に作用するはずです。知名度は衝撃(忘れられないほどの大きな話題性)があるか、浸透しなければなかなか得られないものですから。

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