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世界遺産を目指さない選択肢

日本に限らず世界各地で世界遺産を目指す理由の1つに、「国として、自治体としての経済効果への期待」があります。
世界遺産になれば有力な話題となり、経済効果が『期待できる!』それは間違いないでしょう。 もちろん経済効果ということだけではなく、「価値あるものを守ること」、それはその通りで素晴らしいと思います。
しかし、経済効果が振るわなかった時、「世界遺産の意味」はどこにいってしまうのでしょうか?

世界遺産に認められれば、それ(その状態)を維持しなければなりません。世界遺産になったものにもよりますが、その保全維持管理費も相当なものになるはずです。それを上回る収益がもたらされれば、期待通りということになります。しかし現実はそうでもないようです。
悲しくも「世界遺産がお荷物」になってしまう可能性を否定できません。

一方、お金の問題だけではなく、「時間的側面」についても影響を及ぼします。自由に変化させていい世界遺産はないでしょうし、ある意味「時間を止めてしまう」ということになりがちです。それが足かせになる場合もあるのではないでしょうか?残す価値があるから世界遺産に認められるわけですが…思いは複雑になっていきます。

〇エピソード
世界遺産「富岡製糸場」は億単位の費用が必要で、見学料をこれまでの倍にしたというニュースを見たことがあります。
改めてHPを見たら、「富岡市全体の1年間の予算が200億円、その半分(つまり100億円!!!)を富岡製糸場につぎ込んでいる」とのこと。
(ちなみにHPを見てみたのですが、ネガティブな印象を受け、残念に思いました…)

せっかく世界遺産になったのだから後戻りなんて…でも保全維持管理費は莫大…それでも守っていく価値があるか否かの天秤も出現してしまいそうです。

「世界遺産に登録されたら嬉しい!フィーバー!!そして誇らしい!!!」、はじめの内はそれでもいいかもしれません。だけど、もし世界遺産を生かすことができなければ、ただの自己満足に陥ってしまいます。個人の自己満足ならともかく、自治体の自己満足???大きなお金(税金)、時間、労力をかけ…アルアルと言えばアルアルですが、本来それではダメでしょう。
そうなるのだとしたら、まだ世界遺産になっていないモノコト(候補)を抱える自治体には、「世界遺産を目指さない選択肢」を真面目に考える必要があるのではないかと思います。
現実とはかけ離れた「いいことだけ」に焦点を当てるのは危険です。

世界遺産を目指す段階で、「もしも世界遺産に認められたら」の想定で、保全維持管理費について試算をしているはずです。でも、どうして運営が苦しくなってしまうのでしょうか?「試算の甘さ・見通しの甘さ」という他ありません。本当にプラスの経済効果があるという試算なのか、それとも住民を納得させる為の試算なのか…世界遺産の保全維持管理費を税金で賄う→結局は住民の負担になっていきます。住民はそのことをどう思っているのでしょうか?その為に税金を払っているわけではないにしろ、何十%の税金がそこに投入されているのなら、同じことですよね。世界遺産のある自治体に補助金の制度もあるようなので、もはや自治体の住民のみならず、多かれ少なかれ全国の住民にも影響があるということになります。世界遺産になれば確かに誇らしいけど、それによって自治体をはじめ、住民が苦しい思いをしてしまうというのは、元も子もない気がします。

今回のタイトルは「世界遺産を目指さない選択肢」。それ以外の選択肢を考えたくもないでしょうけど、実は「世界遺産を降りる(抹消)選択肢」もあると思います。終わり=何かのスタートだと考えれば、今まで保全維持管理費(=負担)だったお金が急に浮いて…という話になっていきますよね。違う未来を描けるのかも!?
ただ、世界遺産登録後、抹消された世界遺産は調べたところによると過去3件のみです。そう考えると、抹消という方向は勇気も出なければ、考えにくくもあり、そして何より誰も望まないのかもしれません。

『残すという方針が揺るがない』ということであれば、住民の気持ちの温度をなるべく高めに維持していかなければならないでしょう。文句を言うことなら誰でもできます。また後になって皮肉にも、「やっぱり…とか、だからやめておけばよかったのに」と言うのを期待する(人になる)のではなく、今後どのような方策で進んでいくかを積極的に考えていくべきでしょうし、すでに取り組まれているはずです。
そう簡単にうまくいくわけはない…その通りだと思います。ただ今は「上手くいかななかった経緯を持っている」ので、反省ができます。世界遺産に登録された当初にはわからなかったこともわかるようになり、何がダメだったのかを検証できます。そこから何を得て、次にどう繋げるか?ですよね!?

<その世界遺産のイメージ>
①認定後の経年によってイメージが古くなっていないか?
→看板、パンフレット、HP等、ロゴも含めデザインからのアプローチは有効

<世界遺産内のコンテンツ>
①世界遺産としての価値を伝えられているか?
②世界遺産の見せ方・表現の仕方はそれでいいか?
→特にインバウンド向け
③コンテンツは充実しているか?
④コンテンツがマンネリ化していないか?
→刷新、あるいは新コンテンツを創る
⑤コンテンツは興味あるコンテンツになっているか?

<世界遺産内での収益>
①入場料以外の収益として何が可能か?どんな方法が考えられるか?
→世界遺産の価値を知ることができ、コンテンツが良ければ入場料アップも再検討できる
→ふるさと納税を利用できないか?

<世界遺産がある観光地として>
①観光地としての店舗等の数は十分か?
②魅力あるコンテンツはあるか?
③世界遺産の保全管理維持費等に貢献できないか?

<アクセス>
①アクセスは問題ないか?
②駐車場や2次交通に問題はないか?  等々

世界遺産だけで収益を出そうとするには限界があるかもしれません。そんな時は「観光地」としての魅力を見直し、なるべく税金だけに頼らない新たなシステムを構築していくのが望ましいでしょう。例えば観光地での商品購入金額や利用額の数%が世界遺産の保全維持管理費に協力金として提供される等。

果たして世界遺産だけが目的の観光者はどのくらいいるのでしょう?
私の場合、別の目的で行った先に世界遺産があるから行ってみようという感じです。もしかしたら世界遺産認定後の「時間経過」が要因になっているかもしれません。
何の世界遺産かにもよるとは思いますが、世界遺産認定の間もない時期や世界遺産マニアでなければ、どうしても「世界遺産だけ」では物足りない気になってしまいます。そうなると周りの観光コンテンツも重要で、世界遺産と観光業はセットだと考えられます。
これから「それでも世界遺産を目指す」ならば、「世界遺産+観光業」をセットで考えていくべきでしょう。これまで「世界遺産」に囚われすぎて、その他があまり考えられてこなかったのではないでしょうか?
確かに世界遺産認定に向けてのプロセスは思っている以上に大変なことだと想像できます。しかし実際の目的の1つに「経済効果」があるならば、同時に考えていかなければなりません。

日本では「創って終わり」がよくあります。例えば有名建築家が関わった美術館があるとします。周りもキレイな公園があったり…でもその美術館と収益に繋げるチャンスを連鎖させることはありません。世界遺産の場合は、「認定されて終わり」という感じでしょうか。
「収益に繋がること」をもっと真剣に考えていくべきです。

世界遺産のある地域に限ったことではありませんが、現在コロナ禍ですので「観光なんて…」とピンッと来ないかもしれませんが、いつか来るコロナ収束の時に備えて…は必要だと思います。コロナ禍での閉塞感が、収束によって解放感に転じた時、爆発的な観光フィーバーが来るかもしれません。準備ができていなければ、いいスタートが切れないのは言うまでもありませんから。


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