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カフェオレが冷める前に
「ねえ!今度あそこの美術館行こ!」
カフェオレを淹れる横で、キラッキラの笑顔で菜美は言った。
「美術館なんて…珍しいね。どうしたの?」
「じゃーん!!」
見せてくれたチラシには「宮沢賢治展『銀河鉄道の軌跡』」と書かれている。
「へぇ?あのアニメの原画もあるんだ?この写真家さんは…、うわ、すごいね。こんな星空の写真なんて見たことない。」
「ね?!すごくない?超見たいの!行こーよー!」
「うん、週末は…あ、ちょうど七夕だね。」
「私、お休みだよ!雫は?」
「わたしも休み。行く?」
聞けば弾けるような笑顔を見せてくれる。
「うん!!
ケンタウルス、露を降らせ!……ってね!」
「なにそれ、七夕関係ないじゃん。」
「だって銀河鉄道、好きなんだもん。」
その笑顔が眩しくて、すごく、嬉しかった。
菜美はいつもわたしのお気に入りのパーカーを着たがった。キッチンカウンターに肘を付き、背を丸めて、指先しか出ていない手でマグを持って、カフェオレを飲むのが好きだった。
口を尖らせて「汚さないでよね。」って言うと「だぃじょーぶ。」って笑う菜美。ため息をついて子供っぽい笑顔を見つめるのがいつものやりとり。
菜美の好きなカフェオレは、本当のことを言えばミルクコーヒーだ。軽く砕いたコーヒー豆を牛乳で煮出して、たっぷり砂糖を入れる。ミルクコーヒーと言うと「カフェオレなの!!」と拗ねるから、口に出しては言わないけれど。
「雫の淹れてくれるカフェオレ、好きだなぁ。」
「そう?」
澄ました顔で答えながら、内心は嬉しくて仕方がない。正しく淹れたカフェオレに、どんなに砂糖を入れても菜美の好みにならなくて四苦八苦した思い出。そりゃそうだよね。菜美の好みはミルクコーヒーだったんだもの。
だから、一緒にカフェに行った時に
「雫の淹れてくれるカフェオレの方が好き。」
って言われた時は誇らしくもあったの。
なぜって?
菜美のことを一番知ってるのはわたしだって、自慢したくなるの。恥ずかしいから声にも態度にも出さないけれど。ささやかな独占欲ね。ふふ、知らなかったでしょう?
凍える日もうだるような暑さの日も、菜美はおなかを冷やすのを嫌がって熱い『カフェオレ』を好んで飲んでいた。
毎日、毎日、あなたとの一日の始まりには、熱くて甘ったるくてミルクたっぷりのカフェオレとブラックがあった。
「ねえ、今日はアイスにしない?」
「やだー!ちゃんとホットにしてよね!」
クスクス笑うあなたの声に、わたしも同じように笑っていた幸せ。
ゆっくり陽が登ってくる。藍色だった空は鮮やかなグラデーションを描いて、オレンジのような朝焼けが黄金色の雲を輝かせる。
ジワジワと蝉の声が湿度のある夏を鮮やかに彩って、眩しさに目を細めた。
「おはよう。」
まばゆい空に向かって声をかけてから、今日もわたしはカフェオレとブラックを淹れる。軽く砕いたコーヒー豆と牛乳を鍋に入れて火にかけ、焦がさないようゆっくりと温める。たっぷりのお砂糖を入れて。
温めながら、ペーパーフィルターに入れた中挽きのコーヒー豆に細く熱湯を注ぎ入れ、細かな泡が消えないようにゆっくりとお湯を注いでいく。まるで神聖な儀式のように。
やがて香ばしい香りと、甘ったるい香りが部屋の中に満ちていく。
「菜美、カフェオレが入ったよ。」
ゆっくりと澄んだ青に変わっていく空に声をかける。帰ってくる答えはない。子供のような笑顔も、憎まれ口も、さえずるような話し声も、もう聞こえない。
夏が過ぎ去ろうとしている。
熱くてまとわりつくような暑さの夏が。
わたしから大切な人を奪っていった夏が。
彼女は…菜美は、突風に煽られ、電車に吸い込まれていったらしい。
もしかしたら、風に捕まって、そのまま銀河鉄道に乗り込んでしまったのかもしれない。
朝、「いってらっしゃい。」と声をかけ、いつも通りハグをしてから出かけていった菜美の後ろ姿を鮮明に思い出す。ちゃんと「気をつけて行っておいでね。」と言って、「分かった。」と笑顔で返してくれたのに。
「ねー、いくら好きだからって、本当に銀河鉄道に乗っちゃうのはどうなのよ。ちゃんと美術館に行くって約束したじゃない。」
マグから立ち上る湯気が細くなっていくのを眺める。
「ねぇ、冷めちゃうよ?」
答えは、ない。
もう、南十字星の駅に着いたかな。
「行くんならさ、わたしも一緒に連れて行ってよね。
それから…それから……。」
あなたの好きなカフェオレが冷める前に、帰っておいで。
帰ってきてよ…。
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イチヨミ
お題タイトル
『カフェ・オ・レが冷める前に』
さごし様(Twitterアカウント ) @saharayorismall の企画物として、2年ほど前に書いた小説に加筆修正したものです。
原本はこちら
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=15794891
記事の写真はカフェオレじゃなくてエスプレッソ。
たしか紅葉の撮影に出かけていて、冷え切った体を薪ストーブと一緒に温めてくれた優しいコーヒーです。