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推し活と責任~SNSの息苦しさ~
推し活で、少しもやもやすることがでてきた。
推しが生活の一部になってから早3年が経とうとしている。
というのは、一部間違っている。
たしかに、ファンになったのは3年前だが、
推しの最新情報を追うためにSNSを始めてからは、半年も経っていない。
それは、私がまだ10代であり、SNSが刺激的な年代だったからだ。
しかし、もうそろそろ良いだろうと思い始めたX。
はじめは、最新情報がすぐに入ってきて面白かった。
自分で思ったことを投稿して、共感してくれた方がいたら、それはもう、嬉しかった。
今までは、自分が調べて、Xを少し覗く(でも、登録していないので10秒ほどで登録促進画面に移るため、ほとんどみれない)という具合で情報を追っていた。
自分にとっての情報源は登録なしで見られるYouTubeのみだった。
だから、何個も地上波ライブパフォーマンスを見逃したり、ドラマなんて、やっているのかもわからないような、CDを買い、曲だけ楽しむ少し深めのライト層だったのだ。
それはまた気楽だった。
今ではもう、音楽番組を一つ見逃しただけで非常に悔しくなったり、ドラマも深夜帯なのにリアタイしたり…。
それはまだ楽しい悩みの方だ。青春にふさわしい。
今回頭を抱えているのは精神的に来る方だ。
自分の存在があってよいものなのか…
事実を赤裸々に書いているので、有料にさせていただきます。
書籍だと思っていただけたら幸いです。
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