祝・自分発見1周年記念
お久しぶりです、豆乳きな子です。
この3ヶ月、去年の9月〜12月を振り返り、なかなかに過去に置いてけぼりな時間を過ごしていました。
自分が「女の子好きになった!!!好きになったひとが女の子だった!」と気づいてから1年が経ちました。
香港の女の子に恋して一緒に過ごした時間は、少しずつ色あせていって、なんだか卒業アルバムを懐かしみながら眺めるようなそんな切なくまだモノクロではなくて、ふと心が痛くなるようなものになりました。
それでも、彼女から届く言葉は今でも脈打っていて、私が着物を着ている写真を見て「かわいい!!!!とても綺麗だよ!」と言ってくれた時には、他の誰かが言う同じ言葉と全く違う感じ方をする自分が居ることに気づきました。おなじ「かわいい」でも、彼女に言われるといまだに、胸がきゅっとしてあつくなる。それが「未だに好き」というものなのかどうかは、もう考えないことにしました。
自分の一面を発見して1年。いわゆる「セクシュアルマイノリティ」だからこそ傷つくことももやもやすることも、小骨が喉にずっとつっかえているような感覚が続くこともあるけれど、でも「発見しなかった」自分はもうあり得ないと感じています。
先日、映画「マチネの終わりに」を観ました。
原作が大好きで、本棚に飾ってあるのですが、「洋子さんに出会わなかった人生は、今となっては存在しない」といったセリフがあるんですよね。
私にとって香港の女の子はまさにそんな存在だなと。
今まで出会ってきた、関わってきた全ての人が誰か1人でも欠けていれば「今の私」はあり得ないのだけれど、どれでも香港の女の子は強烈な存在感を放っていて、彼女に出会わなかった私の人生なんて考えられない。
私も彼女もそれぞれの時間をこの1年過ごし、そしてこれからも「恋」という形で交差することはありません。それでいいし、また1年半後に再会する時には私たちの物語を一緒に懐かしむことができれば、と今は思います。
2019年も残すところ2週間。
先日、私が崇拝する「しいたけ占い」のしいたけさんが山羊座の2019年を「リアカー引いて5万キロ歩いてきたようなもの」とおっしゃっていました。まさにそんな1年だったなあと。もともと繊細なのだけれど、わりと傷ついた1年だったのかななんて。
ほんと自分お疲れ様。よく1年生き抜いた。拍手とはぐ。
みなさんも本当に1年間お疲れ様でした。
残された2019年と、新たな2020年が皆さんにとって優しいものでありますように。
2019.12.19
好きなひと(仮)をかわいいなあと思っているクリスマス前に