醜形恐怖症を克服した話


今回の話は暗い要素がめちゃくちゃあるかと思いますが、気が向いた方だけ暇つぶしに読んでみてください。

私の家は、仕事が忙しく家になかなか帰ってこない父と、絶対的に王政を握ってる兄溺愛の母、私を苛めることで自我を保つ兄、そして私の4人家族でした。

私には幼少期の写真が幼稚園の卒業アルバムに写ってるものしかありません。
兄は何十冊とアルバムがありますが、私のアルバム、もとい写真は1枚も見つけられませんでした。

昔から母には「お兄ちゃんはまつげも長くて目もぱっちりで愛想もよくて、それに比べて鼻も低くて顔もまんまるで、あんただけ可哀想ねぇ」と言われてきました。「人よりも顔が大きくてみっともないんだから、人と写真に写るのをやめなさい」と言われてきたので、小学生の頃も人と写ってる写真はあまりなく、あっても俯いてたり少し顔を隠した写真しかありませんでした。
ツイッターにたまにある昔の写真と今の写真の比較(どれだけ垢抜けたか、みたいなタグ)も、やってみたいのですが手元にあるデータが中学校の卒アルしかないため(それも極力人と写らないようにしてたから個人写真しかない)、あまり面白いことが出来ず…もっと楽しみたかったな…。

高校生になり、周りに化粧をする女の子が増えて、私も「マスカラ?まつ毛がのびるの…?これはチーク?」などと興味がわいていたのですが、少しでも何かに手をつけようとすると母に「ブスはブスなりに自然でいろ、洒落込もうとするな、生意気だ」と顔も体も殴られてきたので何も出来ませんでした。

高校時代からお小遣いはなかったのでバイト代を貯めて、卒業後も1年フリーターをして、その貯金で初めて家を出ました。母はしばらくの間、私が出ていったことも気付いてませんでした。

19歳の春に家を出て、私に残ったものは「19年間親と兄から外見を馬鹿にされ続けた記憶」と「家を出たら自由になれると思っていたけど、その先の目標ややりたい事が何もない自分」でした。
そして、その頃から鏡に写る自分の顔を見て洗面台で吐いたり、街中でふと写る自分の姿を見て気持ち悪くなったりし始めました。

醜形恐怖症、という言葉を知ったのはそのだいぶあとで、病院にも行ってなかったから診断書があるわけでもないですが、間違いなく当時の自分はその症状にドンピシャだったと思います。

ガリガリになれば可愛くなれると思って食べたものをひたすら吐いたり、秋葉原でメイドさんを始めるまで自撮りという文化を知らなかったのですが、データの自分が許せなくて今考えると気持ち悪いくらいの加工を施してたり、とても生きづらかったなと思います。
笑うと頬骨が出て顔がゴツく見えるから、写りを気にして笑えなくなった時期もあったなぁ。

そんなこんなで、自分を自分と認めたくないまま大人になってしまいました。
1日5回は体重計に乗って一喜一憂してた時が1番気持ち悪かったなと今になって思います。笑

そもそも何故そんなに自分に自信がない私がメイドさんを始めたかというと、小中あたりで電車男などの影響でオタクカルチャーが世に出始めて、メイドカフェという存在を知りました。
こんなに可愛い格好して非現実な世界を提供してるのか、と、物凄い衝撃を受けて、私もそちら側にいきたいなと思ったのが始まりでした。多分、自分じゃない自分になりたかったんだと思います。

ご主人様からの可愛いね、という言葉を素直に受け取れず、けど否定しても相手はいい気にはならないし…ともやもやする生活をしていました。
正直そんなバックグラウンドがあるので今でも容姿を言われても素直に喜べない瞬間があったり、アンチの言葉を真に受けることも多々あります。
私のブロマイドを買う人に対して「なんでこんなの買うんだろう、お金もったいなくないのかな」って思ってたこともありました。今思えばめちゃくちゃ失礼ですね、ごめんなさい…。

とても卑屈でした。鏡の中の自分が許せなくて加工アプリをいじってたら朝になってたこともたくさんある。

けどある時…多分ちょうど1年くらい前だと思うんですが、なにがきっかけかはわからないんですけど、今の自分がほんとに惨めで、情けなくて、容姿を基準で物を見てる自分の中身を変えたい、変えないと私はきっと一生自分のことを愛せないと思って、化粧だけじゃなく性格や立ち振る舞いを見直すことにしました。
自撮りにかける時間を減らしてスキンケアの時間を長くしたり、あまりくよくよしないで無理にでも忘れておいしいものを食べたり。はじめは本当に慣れなかった。
無理にでも鏡を見る時間も増やした。苦痛だったけど、現実見ないとなと思って。
前だったら絶対に無理だった「知らない人に自分から話しかけて友達になる」ことも積極的にしたり、頑張って人の顔と名前を覚えようとしたり。知らない人ともいっぱい話した。人からどう見られてもいいから笑いたいときは大きな口開けて笑うことも、人と写真撮るとこも(私が隣並んでいいのかなって今でも少し気にするけど)、前より積極的にするようにした。

そうしてみて、1つはっきり思ったのは、私が思ってるより周りはそんなに人の容姿のこととやかく思ってないなということ。笑っても「笑った顔ブスだよ」ってバカにするような人は、そもそも距離を取ればいいんだって、この年になるまで気付けなかった。昔からの洗脳ってこわいんだなって思った。
自撮りは今でも詐欺だし、けど今は昔よりも「可愛いね」って言葉に素直に「ありがとうございます」って返せるようになりました。それがとっても幸せです。人の好意を疑わないで受け取れることって幸せなんだな。

高校生の頃着たかったけど身体に痣があったり、ろくに化粧もできないから似合わなかった服が今になって着れるようになりました。女の子って髪や化粧や洋服でどこまでも変われるから、女の子に生まれてよかったなって思います。年相応じゃないかもしれないけど、好きな服を好きに着れて、とても嬉しい。

ちなみに今、兄と母がどこで何をしてるかはわかりません。最後にあった数年前も、2人から指をさされて笑いものにされたことは覚えてます。その2人が今となっては生きてるのかもわからない。

けど、それでいいなって思います。

毒親から離れ、親からもらえなかった分の愛をオタク達から可愛いよって肯定してもらえて、私自身も性格を変えたことによって、今の人生はとても楽しいです。
食べ物も吐かなくなりました。

私が今毎日にっこにこオシャレして、可愛いねって愛情をもらえてるのは間違いなく周りの人達のおかげです。私を心からまっすぐ笑えるようにしてくれて、本当にありがとう。

たまにどうしようもなくフラッシュバックしたりして自分を大事にできないときもあるけど、それでもちゃんと寝て起きたら立ち直ることまで出来るようになったので。みんなのおかげだなと思ってます。

だめだなと思ったら、どんなに近い人だろうが、いやむしろ近い人だからこそ、逃げた方がいいです。逃げる事は悪い事じゃない。

私もきみも、1人じゃないよ。

コロナが落ち着いたらまたみんなでにこにこ笑いながら飲みましょう。

それでは。

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