泣かないで、僕が死ぬまで側にいる

地下アイドルという職業を、途中で何度も挫けながら、名前を変えカラーを変え、今日まで続けて参りました。

無事引退したので、もう地下アイドルとして息を吹き返すことは無さそうです。私の中で正直そこが1番心配でした。

私は今日、オレンジを浴び、青を浴び、大好きな人たちに名前をたくさん呼んでもらって、みんなの目をまっすぐ見つめ、笑いながら、泣きながら、叫ぶように歌えたと思ってます。

アイドルという職業が誰でもなれるようになってしまった現代だからこそ、アイドルとはなんなんだと考えさせられることがとても多かったです。
歌うから、踊るから、フリフリの衣装を着るからアイドルだと言うのならば、私にはそのような肩書なぞいりません。
人を愛し、愛され、お互いの心を満たすのがアイドルだと、私は勝手に思ってます。
人の気持ちを揺すぶることも出来ず、何がアイドルと呼べるのか。

私は基本的にへらへらした人間ですが、そういったことに関しては本当に頭が固くて、ストイックと言えば聞こえはいいですが本当に冗談通じない厄介な人間だったと思います。
私のアイドル論に振り回されて疲れてしまった方には本当に申し訳なく思ってます。ごめんね。次の推しには幸せにしてもらってほしい。

私は時にアイドルと名乗ることも出来ないくらい心が弱ったこともありました。
その時に救ってくれたのが、会いに来てくれる君たちでしたね。
私が元気をあげなきゃいけないのに、逆なんだよな。ごめんね。凄い救われて甘えてしまった。

今はもう薬も飲んでないしとても元気で全然身体も壊してないけど、ずっと長年鬱病と闘いながら虚弱体質な身体を無理やり立たせてはライブをしてました。
初見さんからしたら大したことなくても、いつも見てくれる人にはとてもハラハラさせてしまってたね。その時に、私はもうステージに上がる資格がないんだと自分を責めて、引退宣言をしました。したんだけど、そんな、今日明日辞めますなんて言ったら私はまた死に損ないのゾンビになってしまう。それでは意味がないので、「あと1年だけ頑張らせてほしい」「1年踏ん張るからその間に会いに来て」と発表しました。それが今年の年明けです。

それから、私は色んなところに行きましたが前ほどお客さんはついてこなくて、まぁそうだよねと思いながらバイト代を楽曲制作代や主催の箱代に回しながらカツカツの生活をしてました。最後の方はヤケクソというか、やり切らないと死ねないなというか、そんな気持ちでステージに立ってました。

私が今日まで6年間、そこには引きこもってた時期も含まれますが、それでも6年やってきて、果たして私の選んできたこの道のりは正しかったのか?とか、どうしても終わった後もいまだに色々考えちゃうけどそれでも私は2019/12/07の秋葉原eggmanが本当に楽しくて、トータルで見たら辛いことの方が正直多かったけどそれを帳消しにするくらい今日という日が楽しかったので、正しいとか間違ってるとかはもう誰が決めることでもなくて私はきっと今日という日のために歌ってきたんだと確信しました。
結論を出すのにたくさん遠回りをして、みんなを振り回してきたね。ごめんね。ついてきてくれてありがとうございました。

幸せな気持ちで私は次のステージに進めます。
あなたは私と出会ってどうでしたか?
あなたの次のステージが私と少しでもリンクしてたら大変嬉しく思います。
今日までだった方は、今まで大変お世話になりました。
明日からも仲良くしてくれるあなたは、これからもわがままで泣き虫な私に振り回されてください。

やりたいことも何もないのにただ目の前のことから逃げたくて、誰にも会いたくなくてステージを降りて鬱病になった自業自得などうしようもない私を今日、ようやく消すことが出来た。長かった。本当に本当に、ただひたすらに辛かった。やりたいことが出来てステージを降りることはとても幸せなゴールだと思います。

私はこれからの新生活をとても楽しみにしてます。出来ることなら、またみんなと楽しいことがしたい。私はアイドルではなくなっても、みんなのことが変わらず大好きです。あなたに見放されたとしても、また好きになってもらえるように頑張ります。このまま勝手に好きでいてもいいですか?

アイドルになって良かった。じゃなきゃあなたに会えなかったでしょ?

たくさん遠回りをしてきたから、ちょっとだけ疲れちゃったや。おやすみなさい。またね。

あなたに会いに秋葉原に来ました、燈野雫でした。本当に本当に、ありがとうございました。


(罪の名前/supercell)

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