娘のこと
今まで、ほぼ私や長男の話を書いていたので、娘や次男のことを書こうと思います。
産まれてから
娘は2600g台で産まれ、小さめな赤ちゃんだった。長男の時は情緒不安定だったが、二人目で余裕が出てきたからか、素直にかわいいと思った。
生後2ヶ月で百日咳にかかる。
兄(長男)が風邪気味で、私もその後咳をしていて、授乳中というのもあり、病院に行ってなかった。そこから感染したのかもしれない。
顔が青紫になり「ヒィー」というような咳をして、とても苦しそうだった。
入院することになり、最初の日に医師から「症状を軽くするために血液製剤を投与した方がいいが、使用にはリスクもある」と言われた。
生まれて間もないのに、こんな決断を迫られる状況になり、ショックを受ける。
咳をする度、苦しそうな娘を見て、血液製剤を投与することを決める。少し症状がよくなり10日程で退院したが、咳は半年ぐらい続いた。
保育園に入園〜こども園
兄の時とは違い、毎朝預けると泣く日が続いた。
入園から数ヶ月後、公営住宅の入居で、数km離れた同じ市町村内に引っ越す。
兄は近くの保育園に転園できたが、娘のクラスは空きが無く、転園できなかった。
兄妹別園・園から遠い・ワンオペという状態が約半年続く。幸い、当時のパート先が娘の保育園から歩いていける距離だったので、何とか通っていた。
次の年度から、兄と同じ保育園に転園できた。
また新たな環境ということもあり、転園後も朝は預けると泣いていた。なぜか荷物のロッカーに座ると、気持ちが落ち着いたので、ロッカーに座らせていた。
2歳を過ぎた頃から、泣くことも少なくなり、仲のいいお友達もできた。
家でおゆうぎ会や、保育園で習っている和太鼓の練習を頑張っていた。
私の済む地域では、5歳児は小学校内にある幼稚園・こども園に入る子が多く、兄のこともあり、年長でこども園に入園する。
人見知りが強い娘だが、同じ保育園出身の子も多く、割とすぐ慣れた。
娘がこども園でブランコを強く漕いだら、落ちたがまた乗っている話をした。“怖いなぁ、けど強いな”と思った。
ちなみに三兄弟の中で、ブランコ強く漕いで怖がらないのは、娘だけである。
小学校入学以降
小学校は、周りに知っている子が多いからか、スムーズに環境になれたようだった。
学校は、2、3回程朝に私とケンカした時「今日は学校に行きたくない」と言って休んだことがある。
その後「誰かに意地悪されてる場合とかは、休んでもいいよ。ただお母さんとケンカしたとか、気分で行きたくないというのは、違うからね」と伝えてから、朝にケンカしても学校に行っている。
娘は、自分の感情を伝えるのが苦手で、特に嫌なことがあると、怒って黙り込むところがあった。
1年生の個人面談で、そのことを先生からも言われてたが、最近は、自分の気持ちを表現できるようになった。
絵を描くのが得意で、時々イラスト付きの「お母さん大好き」とお手紙をくれるので、私も嬉しい。
小学校入学後から、学童も通っている。
仲がいい友達が同じ学童にいることもあり、楽しく過ごしている(兄は学童も嫌がっていた)。
一輪車があり、1年生の時は乗ってなかったが、仲良しの友達が乗っているのもあり、2年生からチャレンジするようになった。
サンタさんにも一輪車をお願いして、家でも練習し、今は上手に乗りこなせるようになった。
「学校はそんなに楽しくない。けど、学童は楽しい」と時々言う。
娘にとって、学童は大切な居場所になっているようだ。
不登校の兄妹という立場
兄が不登校になり、学校からプリントやお知らせを、妹経由で持たせるようになる。
ある日「お兄ちゃんは、何で学校行かないの?」
と聞かれた。学校の先生からなぜ兄は登校しないのか?聞かれたらしい。
「お兄ちゃんは、心が苦しいから行ってないんだよ」と伝えた。
私も一つ下に妹がいるが、自分自身の登校拒否時代は分からなかったが、兄弟に不登校がいると、学校との仲介役にならざるを得ない。周囲からは色々聞かれ、複雑な思いがあるかもしれない。
私の姉妹は、3つ年上の姉からは学校に行かないことで、ケンカしたことはあった。妹は内心どう思ってたかは分からないが、私に対して責めることは無かった。今振り返ると、ありがたいなと思う。
娘に思うこと
娘の友人関係は、狭く深くというタイプで、女子にありがちな仲間外れで、私の過去のようにつらい思いをしないか?と気がかりになる時もある。今から心配しても仕方ないけど、もしそうなったとしても、無理をさせるのではなく、娘の気持ちを尊重できるようにしたいなと思う。