扉_3

富士山下山後の平良修の不運の話


(カラーイラスト以外は3年前にブログに書いたものを再掲しました。)



2013年8月、富士山に登ってきた。メンバーは高校の同級生の男15名。

16日の昼過ぎから登り始め、夕方頃から山小屋で仮眠をとり、夜中に出発して山頂で御来光を拝むという計画だった。

計画は何ヶ月も前から周到に練られたが、そこに想定外のことが起きた。

メンバーの中にイビキがうるさい人が多く、十分な仮眠を採れない人が続出したのだ。そのため、僕も含め、ほぼ徹夜での登山になった人が多かった。

結果、多くの人が体調を崩した。


もはや、15人全員で同じペースで進むのは困難な状態だった。

山頂では軽く記念撮影を撮った後、お鉢巡りもせずに、すぐに帰ることになった。




僕は僕のペースで下山道をひたすら降り続けた。

この下山は意外に膝に負担がかかり、砂利だらけの道は足元が滑りやすく、想像以上にキツイ。しかも果てしなくジグザグな道が遥か下まで続いていて、終りが見えず、精神的にも非常に辛かった。

でも、それでも体にムチを打って降りる。降りたら皆で温泉に行く予定があり、それがすごく楽しみだった。

五合目のレストランに着いたのは、下山を初めて3時間ほどたった午前9時頃だった。








レストランでは既に4、5人がくつろいでいて、ラーメンやビールなどを飲みながらワイワイやっていた。話を聞いてみると、30分前には既に降りてきていたようだった。




そういったのは平良修(おさむ)。

一見口が悪いが、ものすごく細かいところまで気が利く男だ。

まーた、そんなこと言って。どうせちゃんと待つくせに。

しかもこの後の温泉に皆で入るのをすごく楽しみにしていたのに、帰るはずがないやんけ。

僕は修の正面に座り、うつ伏せになって寝た。

ところが。。



寝ていてあっという間だったが、時計を見たら、既に10時30分になっていた。第二陣も来ていないのは確かに遅い。あの下山で想像以上に差がついていたようだった。

修は明らかにイライラしていた。

彼は待つのが嫌いなようだ。突然ガバっと席を立つと、トイレに向かって歩き出した。




徳彦(のりひこ)が見つけたのは第二陣。元気なメンバーが、体に不調を抱えたメンバーと一緒に降りてきたのだ。

彼らはこのレストランには寄らず、直接バス停に向かった。

10時50分にバスが来る予定だったので、そのバスか、その次のバスに乗れるかどうか確認する必要があったのだ。


しばらくして、修がトイレから戻る。






不満たらたらな修と合流し、レストランを出る。

バス停は帰る人達でごった返していた。

修、裕一郎と三人でキョロキョロしていると、そこに徳彦が現れた。

先に行った人たちがバスの列に並んで待っていたが、途中で先にバスの乗車券が必要だということに気がついたのだという。

そこで、僕達が彼らの分のチケットも購入して、並んでいる彼らに渡そうということになった。

ところが、思いのほかチケットを買うのに手間取ってしまい、買い終わった頃には、バスの乗車列がさっきよりもだいぶ長くなってしまっていた。そこでしかたなく彼らよりだいぶ後方にならぶ。

すると、、





僕達のちょうど目の前で、バスが満員になってしまった。

幸い次のバスがすぐ来たので、あまり待つことはなかったが、先に並んでいた組と、再び離れ離れになってしまった。

その数分後、僕らは次のバスに乗る。しばらく揺られて、バスは河口湖駅で止まった。降りる。
でも、先にバスに乗った連中の姿は既に見当たらなかった。
降りるバス停を間違えたのだろうか。

修が電話をする。


先発組はすでにタクシーに乗って温泉に向かった後だったのだ。僕らも急いでタクシーに乗ろうとする。

ところが、その前に東京行きのバスを先に予約しておいた方がいいのではないかと気の利く修が言い出した。

結局、僕らは先に温泉に向かった連中の分も含めて、バスのチケットを予約することにした。ここでまた少し時間がかかってしまった。

急いでタクシーに乗り、温泉に向かう。


ところが。。




みんなと温泉に入りたかった修の夢が断たれた瞬間だった。



修の愚痴は温泉に浸かると止めどなく溢れてきた。よほどみんなと風呂に入りたかったのか。それとも置いて行かれたことが悔しかったのか。とにかくイライラが伝わってきた。

それだけではない。裕一郎や、普段は温厚な徳彦も、修の不満が伝播したのか、いつもよりイライラしているようだった。

そのためだろうか。



修を中心に、彼らに対する不満がメラメラと燃え上がるのが感じられた。

その炎の中心にいた修は、まるで阿修羅のようだ。

夢を断たれた者の恨みは怖い。

正直に言うと、僕は先に風呂に入った連中に対して特になんとも思っていなかった。

僕自身待つのは嫌いな方だが、下山してレストランにいる間ほとんど寝ていたため、彼らを待っていた感覚がほとんど無かったのだ。だから、ここで置いて行かれても、過剰にストレスを感じることはなかった。それだけに、修たちがこれほどまで不満を持っていたことに驚いてしまった。

僕だけ蚊帳の外。でもこういうタイプの蚊帳には正直あまり入りたくはない。

ところが、












僕は「旅」やら「仲間」という言葉に弱い。






いつの間にか、この4人の連帯感みたいなものが、心地よく感じられるようになっていた。僕も図らずも蚊帳の内側に迷い込んでしまったようだ。


しばらくして、僕は徳彦と二人で先に出た。修と裕一郎はもうしばらく入ってから出てくるとのこと。

疲れもストレスも溜まりきっている二人だから、もう気が済むまで入っちゃって下さい、という気分だった。

僕ら二人は脱衣所を出て、たたみの敷かれた食堂に向かった。




畳の大広間の一番奥で、先に出ていたメンバーがビールを飲んで盛り上がっていた。食事は既に食べ終えたようだった。






僕ら二人は、あえて離れた空いている席に座った。



なぜなら



温泉を出る頃には、僕もすっかり修たちに感化されてしまっていたからだ。



ところが




















気がつくと、いつのまにか、あんなに大勢いた他の客達もだいぶ減って、食堂は寂しい空間に変貌していた。











よく見ると、彼らが座っていたところに一人残ってた。

川満(かわみつ)だった。




彼は30歳の若さで、すでに某学校法人の理事長を務めているすごいやつだ。思ったことはズバッと指摘するけど情もあつい、人望のある男だ。



彼は僕らが修たちをひたすら待っていることに気づいていたようだった。さすがに視野が広いなと思った。


しばらくすると修と裕一郎が食堂に入ってきた。





すると・・・





















それは「NG」と書かれたボタンを、ハンマーでおもいっきり叩くような、

言ってはいけないワードだった。

しかし、川満の名誉のために書くけど。

実は川満がそういうのは当然のことだった。

最初の修のトイレにしても、河口湖でバスのチケットを予約してタイムロスした時も、あまり彼らにそのことを伝えきれていなかったのだ。

だから、なにも知らない彼らからしてみたら、俺らがマイペース過ぎて遅れたように誤解されても全く不思議ではなかった。僕らが誤解を招いたようなものだ。

しかも、風呂については、理由がどうであれ実際マイペースだったのは間違いない。

でも、僕らにとって、誤解されたままでいるのはかなりつらいものがあった。

川満は表情こそ変えなかったが、さすがにちょっと4人の空気が変わったことに気づいたようだった。


自分が予想したよりも反応があったので、ちょっと驚いたのかもしれない。

その場に、妙な緊張感が漂った。。。

最初に切り出したのは修だった。


























結局、修は誤解を解くことができなかった。






fin


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