空を飛ぶ
6.25㍍先のオレンジ色のリングに向かってバスケットボールが空を飛んでいる。バックスピンが緩やかにかかって綺麗な放物線を描いている。僕はそれを見守る。
ガンッ
という音と音とともにリングがボールを撥ねる。ガッカリする暇はない。走ってボールの行方を追う。もう一度自分たちのボールにするんだという強い気持ちはそこまでなかった。ボールを持っている間は主役になれるんだという自分勝手な気持ちが強かった。
右手をのばしボールをライン際で掴む。すぐに立花君にボールを戻す。ほんの少しほっとする。なんとか僕たちのクラスが勝つ可能性が残った。
立花君がボールをキープしている間、僕は右サイドから左サイドへと走り回り相手のディフェンスの四角形を歪んだ形にする。僕に釣られてディフェンスがついてくる。そのすきを見逃さなかった。立花君が教科書に載っているような基本通りの型で手嶋君にワンバウンドパスを送る。少しファンブルしたものの手嶋君は必死な顔で受け取る。
試合前、バスケを授業でしかしたことが無い手嶋君が不安そうに僕に声を掛けてきた。
『ねぇボールきたらどうしたら良いの?』
「ゴールを見て、目の前に誰もいなかったらシュートをすぐに打って」僕は真剣に答える。
『え?もし誰かいたら?』不安そうな手嶋君。
「ゴールに向かってシュートを打つ」
『入るかな』
「手嶋君はシュートを打てる」
『分かった』
「大丈夫、手嶋君はシュートを打てる」
『うん!』
僕は嬉しかった。中学に入ってから不登校になり、中学3年生になってからも両手両足で数えれるほどしか登校していない。そんな僕を頼ってくれる。僕は震えるほど嬉しかった。初めて頼られているという不思議な感覚を感じた。
手嶋君は中距離から思い切ってシュートを放つ。野球をやっていたからかかなりの速度でボールがリングに向かって放たれた。
ガンッ
『リバンッ』
またしてもリングがボールを撥ねる。僕は任せろなんて言うキャラではない。だけど今日だけは言わせてくれ。任せろ。それを拾うのが僕の役目だ。垂直飛び60㎝。運よく他の人より腕が長い。結果としてリバウンドには有利だった。僕は迷子になっているボールを左手でしっかりと引き寄せる。相手のデカい体が僕にぶつかる。痛いな、もう。
着地。
顔だけのシュートフェイクを入れる。相手は見事に引っかかってくれた。相手の運動神経が良すぎるんだろう。分かるよ、デキル男は反応しちゃうよね。僕はひょろい体をくねらせてドリブルでゴール下の人混みを抜け出す。人混みは嫌いだ。そして手嶋君にもう一度パスを出す。彼は左手でしっかり受け取る。そしてためらうことなくシュートを打つ。
またしてもなかなかの速度でリングに向かっていくボール。どうか。
バン
ザッ
「ナイッシュ!」
『お、おう』
と、自分でも入ったのかという驚いた顔の手嶋君。
僕の左手と手嶋君の左手がバチンと暴力的にぶつかる。
『痛いよ』
「僕もだよ」
笑顔になる。
相手チームがボールを運ぶ。相手はバスケ経験者3人、野球部1人、陸上部1人。こっちは不登校を含む経験者2人、野球部1人、ドッヂボールの抽選に外れて入れなかったクラスメイト2人だ。
A組(僕たち)は当然負けるだろうと誰もが予想していた試合は意外にも接戦。しかも決勝戦なので大番狂わせと言える。そしてほかの競技が終わったのだろう、コートサイドにはたくさんの生徒が(100人以上!?)試合の顛末を観戦していた。不登校の僕のことを知らない人も大勢いただろう。
相手が攻めてくる姿は圧巻だった。運動部5人が迫ってくる。そんな光景見たくない。はっきり言って恐怖だ。
立花君が積極的に相手のボールを取りに行く。この場合ほとんど右側にボールを捌く。そこには右利きでかなり上手な相手がいるからだ。手嶋君にはあらかじめ言っておいた。「うちらから見て相手の左側に立っていて」「うちらの左から抜かれなければOK」と。そうすると慣れない左手で攻めざるを得なくなる。バスケ経験者でも左手でシュートを打つのには慣れていない。ブロックしなくてもほとんど外れる。
案の定、外れる。とはいえ相手は180㎝近い人が2人もいる。リバウンド勝負。僕はひょろいから場所取りはあっさり負ける。懸命に手を伸ばそうかと思ったけど止めた。ジャンプを諦めて下から盗ることにした。ごめんね。ズルいの、僕。
リバウントを取れて安心したのか着地までに油断しまくってくれた。下から右手を出しスティール成功。これだからディフェンスはたまらない。あの驚きとムカつきの顔見た?好きだわ。下から叩かれ跳ねたボールが相手のあごに当たる。ごめんね、少しわざと。昔、僕の野球ボールを無くしたバツだ。宙を舞い行方が定まらないボールを僕はしっかりと制してキープ。残り1分切っている。おそらくラストチャンスだろう。すぐに立花君にボールを戻す。
歓声が聞こえる。
僕には初めてだった。女子の声が聞こえる『あの子って学校に来てない子だよね?』『運動できるんだ』『ってかこの点差すごくない?』『かっこよくない?』
最後のは盛りました。ごめんなさい。
歓声が聞こえる。
僕には初めてだった。みんなの声が聞こえてくる。『頑張れー!』『勝てる勝てる、逆転だ!』こんな声を掛けてくれる人なんていなかった。不登校児が体育館を揺るがす大きな歓声を受けるなんて誰が想像しただろう。嬉しかった。僕は大きく深呼吸をして集中しなおす。
立花君がセンターラインを越える。僕はハイポストに立つ。が、体格差が大きいのですぐに追い出される。仕方なく右のアウトサイド寄りに場所にお引越し。するとパスが来る。
決める。ここで決める。主役は俺だ。
得意のチェンジオブペースで相手を抜こうとした刹那、視野の端っこに左サイドに展開していたノーマークの立花君をとらえる。相手の左わきのさらに下から倒れながら右手を振り切りパスを出す。バスケはボールを持っている選手だけが主役ではない。
タァン
立花君にパスが通る。
バスケットボールは6.25㍍先のリングまで空を飛ぶ。それは孤独に見える孤高の姿をした旅だった。あの20分間で一番きれいな放物線を描いていた。独り旅ではない。みんなが見守っている。
その目的地が正しかったとしても、誰かが拾ってくれるだろう。
その目的地が少しずれたとしても、誰かが拾ってくれるだろう。
独りではない。
僕は中学一年の頃に遭った給食事件から学校に行っていない。簡単に言うと不登校児だ。極稀に行くのは校長先生に呼び出された時か、何かしら大事な要件で先生に呼ばれた時。もしくは気まぐれ重役出勤として学校に行っていた。
それでも鬱陶しいくらいそばにいてくれた立花君。軽蔑せずに話しかけてくれた手嶋君をはじめ、たくさんの友人が声を掛けてくれるようになっていた。余程意外だったのだろう。不登校児が声を張り上げ、指示を出し、必死にボールを追いかける姿が。これは僕の青春の紛れもない真実の1ページ。誰にも書き換えることはできない。
空を飛ぶ気持ちが少し分かった気がした。
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