開運とはこの世の涅槃
開運について、この数年考えている。
例えば、吉方位に行くとか、風水をやってみるとか、実際に行ってみて思った以上に効果があることに驚いた。だけど、だけどである。
例えば開運グッズをたんまり買って開運するのだろうか?吉方位に行ったり、風水を行うだけで開運するのか。それでは無理だと思う。実際に本にもどうなりたいかを思い描いて行うように、と口酸っぱく書いてある。だから、方位にしろ風水にしろそれを行うときに自分の目的を頭に思い描きながら行うことで、いろんなヒントが情報や直感として降りてくる事が多い。
開運するためのいわゆる「フック」としての作業であって、結局は思考なんだと気づいたのである。
人間の潜在意識というのはやっかいで、何度も何度も自分のパターン化された思考を書き換えるのに、時間がかかる。方法はいくつもあるけれど、それを継続して行うかどうかが鍵で、1回で書き換わることは多分ないだろうと思う。ただ、書き換えるための作業を意識的に行っていると、思考の歪み、癖の取れ方が早く、そして新しい思考パターンへの切り替えが早くなってくるのがわかる。ただそうなるためには地道に毎日、自分の意識を改革する作業が必要である。
継続していくことで確実に変わるのは確かだ。そして変わると現実もそれに伴って変わり、世界が変わる。そして望むことや人との縁を引き寄せる。それを人によってはパラレルワールドというのかもしれない。私は根っからスピリチュアルなことを知っている人間ではないのでわからないけれど、そういうことってあるのかもな、と最近よく思う。
そして開運というと、お手軽で幸運なことが起こり続けるとか、現世利益を思い浮かべる人が多いように思うがそうじゃないのでは、と思う。
いわゆる開運したという、望む未来を手に入れても課題や問題は起こる。それを
どうやって乗り越える・乗りこなすか
そこにやはり思考が関わる。前向きに捉える思考とか認知力が必要であって、それさえあればもう開運しているといっていい。
つまりは起こる物事をどう捉えるかが重要であって、それさえ獲得できるならば、そして獲得している人は開運している。ただ、難しいのはそれを自分の生活や人生すべてにおいて考えられるかどうかであって、前向きといってもそれぞれ多少の得手不得手があるので、自分の不得手なところで後ろ向きに考えたらそこが開運の妨げになるだろうと思う。
開運の思考を身に着け、恋愛に仕事に適応させれば、もちろん物質的にも成功すると思う。私自身はまだまだだけれど、それで成功している人をすべからく見ると皆さん、その思考で生きている。
開運して自分の人生にイエスと言い、喜びあふれるものをただただ受け取ろう。それはまるで、涅槃への切符を手に入れるのも同然のことなのだ。