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あのブランド、「なんかいい。」
普段何気なく暮らしているなかで、「なんかいい。」という感覚を持つことがある。
もちろんその逆で、「なんか違う。」とか「なんか無理。」もある。
こういう時、僕は職業柄というと大げさだが、すぐさま言語化しようとする。
学生団体で見ている学生さんたちにも、
「なんかいいとか思うことがあったら言語化してみてほしい!自分の価値観を知るきっかけになったりするよ。」
と言っている。
そんな中で、去年の夏、店長から言われた「なんかいい。」がずっと心に残っているので結論もなく書いてみる。
seya.
普段東京のBIOTOPというお店で働く店長が、広島アダムの蚤の市の店頭に立つと聞いたのは開催1週間前。
この頃ほとんど服を買っていなかった僕には絶好の機会だったほか、店長に久々にあえるということでテンションが上がっていた。
こんな高揚感と緊張感をもって広島PARCOへ向かうのはいつぶりだろうか。
地下駐輪場に自転車を止め、エレベーターで1階へ向かうと、CristaSeyaの涼しげなシャツアップを着た店長がいた。
「お~あずまくん。元気してた?」
文字にすれば普通の挨拶だが、だらっとして眠そうな独特の雰囲気をもったしゃべり方で、
ああ店長だ。と感じた。
世間話を交えながらお客として服を選んでもらうのは久しぶりで、とても光栄だった。
一通り服を見た上で、最初に着てほしい。と念押しされたのが、
BIOTOP別注のseya.のTシャツだった。
もともと良いブランドとは耳にしており、シルクの艶は美しいとは感じつつも、無地のTシャツに40,000円という値段はさすがに理解ができなかった。
そんな戸惑いを隠せない僕に彼がかけてくれた言葉こそが「なんかいい。」だった。
正確には、
「正直値段見てびっくりしたでしょ?でも着てみたらわかると思う。なんかいいっていう感覚。」
だったと思う。
僕は半信半疑で、ただ言語化をさぼってるだけなんじゃないのか?と思いながら服に袖を通した。
衝撃
あの感覚は未だに覚えている。
今までに着たどんな服よりも優しくて軽やかで、何よりも
「なんかよかった。」
着ている感覚や鏡に映る自分の雰囲気が、どことなくいつもと違って、まだまだ洋服にはこんな世界があったのかと驚いた。
そしてたしかにそこには着た人にしか分からない感覚があった。
そんな驚きを隠しきれない僕に、彼はこう続けた。
「どうこの感覚。伝わったでしょ。今まで着てきた洋服とは全然違うんじゃないかな。」
「デザイナーの瀬谷さん自身もこういった感覚を大切にしている人で、とっても魅力的な人なんだよね。俺はこの感覚すごくいいなって思うんだよね。」
「まぁ、でもあずまくんにはまだ早いね。自分でしっかり稼ぐようになったときに買いに来て。」
結局僕はそのシャツではなく、ほかに気に入った二着を購入した。
言語化しない楽しさ
あれからも僕は変わらず言語化をしている。
しかし一つ気が付いたことがある。
それは、言語化しない楽しさもあるということだ。
洋服はもちろん、食べ物や景色などの感じ方は千差万別である。
人それぞれに楽しむものなのだ。
にもかかわらず、それらを体感する前に誰かが感じたことを聞いてしまうと、見方や感じ方がフラットでなくなってしまうように思う。
だからこそ無理に丁寧に言語化をするのではなく、
「なんかいい。」
という曖昧で、緩い言葉で伝えるのである。
せっかく素敵な洋服が存在し、触れられる世の中だからこそ、自分なりの感じ方を大切にしたい。
そして願わくば、seya.を買える、というよりもseya.を理解し、落とし込める大人になりたい。
BIOTOP 瀬谷慶子 インタビュー記事(2015/09/04)
https://www.biotop.jp/journal/%e7%80%ac%e8%b0%b7%e6%85%b6%e5
伊勢丹新宿 瀬谷慶子 インタビュー記事(2018/08/17)
https://www.isetan.mistore.jp/shinjuku/column_list_all/shinjukunews03112.html