自分の意志をもって人生を歩める人を増やす
こんばんは、テラです。
今日は私のMISSIONについて書きます。
企業でMISSION・VISION・VALUがあるように
私にもMISSIONがあります。
これは、自分の人生で果たすべき役割のことです。
MISSIONの説明
自分で決めて人生を歩んでいる人はどれくらいいるでしょうか?
なんとなく親の目、友達の目、世間の目を気にして自分の人生を歩めていない人は多いんじゃないかなって思っています。
これは本人がどう捉えるかの問題なので、すべてダメではないんですが。
一番悔しいなって思うのは、
本当は選びたかった人生があるのに選べないで終わること。
例えば、物理的に挑戦できないこと
例えば、心理的に挑戦できないこと
自分で選びたかったのに選べないと、
だんだん自分の人生を歩まないような気がします。
だれかが「いい」といったものを選ぶようになる。
挑戦したら、何かしら学びがあります。
結果は問題ではないです。
でも、挑戦しなかった結果、
後悔する、人のことを応援できなくなる、
自分のことを好きになれない、
卑屈になってしまう、挑戦を笑う傍観者になってしまう。
そういう人生になってほしくない。
挑戦は物理的な環境が整っていることも大事ですが
心理的に挑戦してもいい場所、
失敗しても許されると思える場所があることが何より大事です。
何より、私自身がこれまで一つ身の丈上のチャレンジをできたのは周りのひとが背中を押してくれたからでした。
その挑戦の積み重ねがなかったら今の自分は当然いません。
だからこそ今度は周りのひとが
自分の人生を歩んでほしい。
具体的には決めてないけど
そのために自分が何かしら関われたら最高です。
MISSIONの背景
ここからはなぜ自分がこれをMISSIONに定めたか説明します。
きっかけは母とテレビでみたフィリピンのスラム街の子どもです。
母は(正確に言うと父のお金w)私と弟にやりたいことは色々やらせてくれました。
もちろん全部が全部ではないけれど
・進研ゼミ(付録と赤ペン先生しかやってない)
・習い事(空手7年間)
・卓球(道具代や遠征費など)
・塾(中学3年から大学受験まで)
振り返るとどれも自分の人生に欠かせない、
重要な出来事ばかりでした。
その機会をつくってくれたのは母でした。
しかし、母は自分のことはかなり我慢してきた人生ではなかったのかなと思います。
(母はいま幸せだといっているので可哀想とは思ってないです。)
三姉妹の長女として生まれた母ですが、家が貧しかったため
(母の父がギャンブラーだった)
部活動や進学を諦めてアルバイトして家にお金を入れていました。
挑戦をできなかった母は応援してくれる反面、どこか
自分の人生に対してちょっとネガティブだなって思うときがあります。
もう一つのテレビ番組の話。
小学生のとき、フィリピンのスラム街の子どもの特集がありました。
その子どもはおかゆをもっと水で薄めて
わずかな塩味で食事をとるのが普通でした。
そして、病気をしている母のために医師になることを目指していました。
学校にはお金がなくて通っていません。
彼女の人生の延長上でおそらく医師にはなれません。
物理的な環境が整っていないからです。
彼女も小学生でしたが自分と正反対でした。
私は好きなものばかり食べて、むしろ好き嫌いをしている。
学校にも通って進研ゼミに取り組むくらいの余裕がある。
違いはなんでしょうか。
生まれた場所がちがうだけです。
幼い自分たちには変えようのないことです。
私の母だって、時代はちがえど生まれた家庭がたまたま
そこだっただけです。
いわゆる親ガチャかもしれません。
でも医者になりたい、など夢をもっていて未来に
可能性がある人の将来が親ガチャで
一蹴されていいのかというとなんだかモヤモヤします。
ここから自分のMISSIONはこれじゃないかって思うようになりました。
今後
2,3年後、若者の可能性を拓けるような事業で関われるように準備中です!
いまは小さく大学3,4年生向けに就活アドバイスに乗って
社会人向けに開かれている働き方や
経済のこと、今後のテクノロジーなどを学ぶ勉強会に参加しつつ
本を読んでインプットを重ねています!
では今回はこの辺で!
またねー!