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8分でわかる沖縄県南大東村(補遺)

こんにちは、牛乳屋です。
今回の動画も、たくさんのご視聴・コメントありがとうございました!

村の読み方を間違えて(×みなみだいとうむら みなみだいとうそん)、後から投稿し直すというハプニングもありましたが(笑)楽しんでいただけたようで何よりです。
では、さっそくコメ返しはじめましょう~

「北大東村もあるので・・・あと沖大東島もあります」

そうそう、大東諸島には南大東島以外にも島があって、「北大東島」「沖大東島」が存在し、行政機関として北大東村が設置されています。
(ちなみに沖大東島は1945年に無人化、現在人が住んでいるのは北大東島だけです。)

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これらの島も南大東島と同じく、地殻変動とサンゴ礁の発達によって形成された「隆起環礁」の島ですが、決定的に違うのは、これらの島からはリン鉱石がたくさん採れたこと。
海鳥の糞からつくられるリン鉱石は、肥料としてきわめて重要で、高値で取引されていました。特に、太平洋の島国「ナウル共和国」は、リン鉱石の採掘で繁栄し、国民が誰も働かなくても成り立つ(!)夢のような国になったことで有名です(なお現在)。
当然、サトウキビを作るよりもこっちの方が儲かるので、南北大東島を手中に収めたあの玉置半右衛門も、北大東島については「リン鉱石の島」として開発を行いました(並行して砂糖作りも行われていたようですが)。

もし南大東島でもリン鉱石が採れていたなら、島の風景はだいぶ異なったものになっていたかもしれませんね。(写真は北大東島のリン鉱山施設跡)

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「おぉ盆地だ」「宮古島もサトウキビが有名だけど池や湖なんてないぞ 万年水不足だったし」「うどん茹で放題やんけ」

隆起環礁からなる南大東島の地形、何度見ても独特ですよね!
普通なら、真ん中に水がたまって湖になっていてもおかしくなさそうですが、そうなっていないのは何故かというと、やはり「地質」が原因です。

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石灰岩は雨水による浸食に極端に弱いため、年月が経つと岩盤は虫喰い状に浸食されてスカスカになってしまいます。例えるなら「スポンジ」みたいなものです。したがって、いくら雨がたくさん降ろうと、スポンジの中を通って海に流出してしまうわけです。
逆も然りで、島の中央部には池がたくさんありますが、底の方は海水がしみ出しているので農業用水には使えません。最初の頃はともかく、農地の開発が進んでからは、貯水池(ファーム・ポンド)を作ったり、海水を淡水化したりしてしのいでいるそうです。

ちなみに、大東諸島と同じく全体が石灰岩からなる宮古島では、なんと地下にダムを作って雨水を貯蔵しているんだとか。
本州にいるとなかなか想像が付きませんが、石灰岩の島ならではの苦労があるんですねえ。

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…なので、残念ながらうどんはゆで放題ではありません(笑)
香川県民さんは早明浦ダムの水で我慢して、どうぞ。

「出荷よー」「アトラクション感ある」「クレーンのためだけに船に乗る人いそうwww」

南大東島のクレーンでの上陸風景、すごいですよね。ハイテクなのかローテクなのかよくわかりませんが(笑)、これをやっているのは日本ではここと北大東島だけだそうです。

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長らくこんな港しかなかった(それも海が荒れると使えないので3カ所の港を使い分けている)南大東島ですが、2000年、4つめの新しい港が完成しました。その名も南大東漁港

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「海に港が作れないなら、陸地を爆破すればいいじゃない」というマリーアントワネット的発想(?)でつくられたこの港のおかげで、島の漁船は安定した操業が可能になり、漁業が新たな産業として育ちつつあるんだとか。
…ただしこの港、小型船専用なので、連絡船「だいとう」は大きすぎて入ることができません。なんでだよ!

「暗黒メガコーポかな?」「砂糖・利権企業・南洋の植民地は切っても切り離せないのか(カリブ海を見ながら)」

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玉置商会による開発が始まって以来、南大東島では40年あまりにわたって製糖会社による独裁が続きました。日本にこんな地域があったこと自体驚きですが、この欧米諸国による植民地支配みたいなことをいち企業がやっていたというのも面白いですよね。

カリブ海の植民地では、宗主国の人々が支配層となり、黒人奴隷や先住民インディオの人々を搾取していたことが知られていますが、どうやら大東諸島でも似たような構図があったようです。
すなわち、最初に島に移住した八丈系住民が支配階層となり、後から出稼ぎでやってきた沖縄系住民を搾取していた、というもの(表をみると、来歴からくる男女比の違いがよくわかります)。

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八丈以外にルーツを持つ人のほうが多かったにも関わらず、現代の南大東島で八丈方言(例:「あばよーい」)や八丈文化が色濃く残っているのは、それが「支配者の文化」であり、その他の人々を同化させていったからなのかもしれません。

もっともこの構造も、支配者が玉置商会→東洋製糖→大日本製糖と移り変わっていく中で、徐々に解消されていったようです(単に、みんな会社に「支配される側」になっただけという話な気もしますが)。

「半右衛門は当初から村民に将来の土地譲渡を約束していたから当時も今でも島民には慕われているのよ。その約束は東洋製糖に反故にされたけど」

地元の生の声、助かります。半右衛門さん、慕われてるんですね!

補足すると、彼が最初の移民に提示した条件では「30年間土地を貸し与え、その後分配する」ことになっていたんですが、玉置商会の方が30年持たなかったので、なかったことにされました(笑)。
部外者としては正直、ほんとに土地を与える気があったのかな…?と思ってしまいますが、今となっては真相は闇の中です。

「大丈夫?揉もうか?」「私にとっては六花ちゃんのがベストサイズです!(*´Д`*)」

おまわりさーん!!

お後がよろしいようで。
…それでは、また次の動画でお会いしましょう! あばよ~い。