8分でわかる福島県大玉村(補遺)
こんにちは、牛乳屋です。
今回の動画はもともと「原石祭」用に作っていたこともあって、いつもより地味な題材だったのですが、多くの方にご視聴・コメントをいただけてほっとしています。ありがとうございました!
…前置きはこのくらいにして、さっそくコメ返しはじめましょう!
「視力検査」「左下」
まずは、大玉村の村章のところから。
どこからどうみても視力検査の輪っかですが、村公式HPによれば、「OOTAMA」の「O」と「T」を組み合わせたデザインだそうです。言われてみれば、まぁ確かに…?という感じですね。
ちなみに、大玉村は1955年に「大山(おおやま)村」と「玉井(たまのい)村」が合併してできた村で、OとTは旧2村の頭文字でもあります。2つの文字が融合したマークには「2村の融和」という意味も込められているのかも。
「東北の農村部で人口増加してるとか激レアだなぁ」「新しい人が増え続けている村ってそれだけで移住しやすそう」「利便性があって人口が増えている丁度良い田舎」
東北地方の田舎というと万年人口減少に悩まされているイメージがあり、実際そういう所は多いのですが、大玉村に限ってはそんなことはなく、現在もコンスタントに人口増加が続いています。
もちろん増加率は福島県内トップ、年少人口(子どもの人口)の比率も同じく県内一。交通も便利で、しかも自然が豊かとくれば、これほど魅力的な移住先もないでしょう。
そんな感じで(?)移住者もどんどん増えて発展中の大玉村ですが、実は大きな「弱点」がありまして……
「でも、駅がないのがネック」「駅が存在しないのにアクセスしやすいだと・・・?」
そう、大玉村には駅が1つもないのです。せっかくJR東北本線が通っているにも関わらず!
このあたりの駅はたいてい、江戸時代の「奥州街道」の宿場があった所に置かれています。江戸方面から来て、本宮宿(本宮市)の次は南杉田宿(二本松市)。それぞれ現在の本宮駅と杉田駅にあたりますが、その間にあった大玉村には宿場は存在しませんでした。したがって駅が置かれることもなく、そのまま今に至っています。
ちなみに、村内には高速道路(東北自動車道)も通っていますが、こっちもなぜかインターチェンジがありません。
こうした交通面の中途半端さは、大玉村の産業構造にも少なからず影響を与えています。駅やICがある隣の二本松市や本宮市が大規模工業団地の開発に成功している(下写真)のに対し、大玉村には小さな工場が数軒あるのみ…。
そんなわけで、大玉村は必然的に「働く場所」ではなく「住む場所」、つまりベッドタウンにならざるを得ませんでした。
村の就労人口と居住人口の比を表す「昼夜間人口比率(昼÷夜)」は78.9%(2015年)で、全国でも下から数えた方が早いくらい。東京や大阪など大都市圏のベッドタウンと同水準です。
駅・ICともに構想はあるようですが、いまだ具体化には至っていないようです。実現はちょっと難しそうですね…。
「大玉村はプラントファイブあるから年1くらいで買い物に行くなぁ」「(略)あだたらの里直売所とPLANT5で食べ物もすぐ揃う!」
ほかに言及が多かったのが、村の国道沿いにあるスーパー「プラント5」。
このスーパー、全国展開している癖に都市部をガン無視して田舎にしか出店しない(そもそも本社からして福井県の田舎町!)というなかなか異色の存在。
私の住む兵庫県にも1店舗だけありますが、場所はなんと淡路島!・・・頭おかしいんか?
…言葉が乱れましたが、東北地方ではこの「大玉店」が唯一の店舗。ホームセンターや書店も併設されていて本当に何でも揃うので、2006年の開店以来、住民の買い物スポットとして親しまれているそうです。
「歴史の教科書で見た絵」「ブラジル以外にも沢山行ったのね。知らなかった」「真実は国に騙されて口減らし移民させられたんやで」
話は変わって、南米への移民のお話。
20世紀の初頭、日本からは、ブラジルを中心に南米各国に多くの移民が送り込まれました。
上の画像は、そのときの勧誘ポスター。「そこに行けばどんな願いも叶うと言うよ」なんて歌が昔ありましたが、長引く不況の中で苦しい生活を送っていた農民たちの目に、「南米へ行って夢を叶えよう」という誘い文句はさぞかし魅力的に映ったに違いありません。
・・・が、実際には「大人の事情」があったことは、動画でも触れたとおりです。日本国内の人口過剰と、南米の労働力不足。一連の移民政策はふたつの問題を同時に解決する手段として考案された物でした。
コメントでも指摘がある通り、要するにこれは体の良い「口減らし」だったともいえるでしょう。人口が多すぎるから、とりあえず適当に農民をそそのかして南米へ送りつけ、後はどうなろうが知ったことではない。―そういう安直な政治が現実に行われていました。
ひるがえって現代では、こんどは逆に南米側が人口過剰に悩まされていて、一方の日本では労働力不足が慢性化。完全に立場が逆転してしまいました。
移民の流れも逆転し、特に自動車工場が集積する東海地方には、就労目的で来日したブラジル人(その多くは日系人、つまりかつての移民の子孫)が多く働いています。野内与吉さんの孫・良郎さんも、かつてはそのひとりでした。
ですが、南米と日本は言語も文化も全く違う地域。出稼ぎ労働者の子どもたちは言葉の違いから教育を十分に受けられず、結果として収入の低い仕事にしか就けなくなってしまう…という「貧困の再生産」の問題が発生しており、異国の地で苦しい生活を強いられている南米人が多くいます。
歴史は繰り返すと言いますが、正直、あまり繰り返してほしくない歴史ですね…。
…それでは、また次の動画でお会いしましょう!ばいば~い!