成人向けの支援について。
峠工房のスタートは重度、最重度の知的障害、発達障害を持つ人達の療育、支援を主としていました。
設立当時、重度、最重度の知的障害、発達障害を持つ人達の居場所が少なかったからです。
峠工房を創設する前、創設者は中学の特殊学級の担任をしており、生活も学習も指導していました。
その頃は知的障害支援施設も支援の種類も数が少なかったので、卒業したら、行き場や居場所を失い、自宅で家族が支えているようなことも多くありました。
家族は仕事や生活をしながら支えることとなるので、目が届かない、手が回らない部分も出てきます。
また、当事者も家にずっといると生活のメリハリがなくなり、だらしなくなってしまったり、家族だからと甘えてなあなあになってくる事もあります。
そうして中学までに身につけた学習や生活などの習慣をだんだんと忘れていってしまう事が多くありました。
最悪のケースでは、犯罪に巻き込まれたりヤクザにいいように使われたりなんて事もありました。
もし卒業で途絶えた学習や生活習慣などの療育支援が続いていれば、成長も続き、習慣も途絶えず、やがては支える家族への負担も減るかもしれないし、就労できるかもしれない、そんな可能性があるのに。
今ではそんな考え方は普通で、行政の方針も継続した支援となっていますが、当時はありませんでした。
その間を生きていた人達は
支援の隙間に落ち込んでしまっていたのです。
時は流れ、制度や法律が変わり、重度、最重度の方の療育、支援は施設も種類も数は増えました。
(まだまだ縦割り行政の影響がある為万全とは言えないと思っていますが…)
そうなると
隙間産業のような存在
だった峠工房は役割が変化します。
新しい隙間ができたからです。
軽度発達障害者支援。
2005年ごろから増加傾向にあり、社会問題となってきました。
それから行政は支援の仕組み作りに取り組んできたのでやはり支援は少ない状況でした。
増加傾向になる前は軽度発達障害はいなかったのか?
というと、まったくそんなことはなく、クラスの変人や問題児として過ごし、その後社会に出ています。
増加傾向前の人達は
支援の隙間に落ち込んだ人達
なのです。
知的障害がないため見過ごされ社会人として社会に出たけれど、なぜかトラブルに巻き込まれ、または起こし、社会で居場所を失った人が心療内科などに罹り、発達障害との診断を受けたのだけれど…という相談が増えてきました。
長く引きこもってしまい、社会復帰のために毎日通ってきて、社会での習慣や仕事をする人としての在り方、人との付き合い方などをやり直し、再就職を目指す後押しをします。
離職してないけれど行き詰まっている人は、定期的に相談に来たり、行き詰まったら相談に来たりして、躓いた部分をカウンセリングにより掘り起こし整理し、これからどう対応、対処を一緒に考えていきます。
対応は変わっていますが、重度、最重度の知的障害、発達障害の人達も軽度発達障害の人達も目指すことは同じです。
この社会で生きる事。
生活を続ける事。
それには、子どもも大人も関係なく、必要な支援なら続け、成長を後押しし続ける事が必要だと考えています。
サポートは峠工房の維持運営費となります! 受け皿のなかった重度障害者の生活・学習・就労訓練から始まり半世紀、近年は増加傾向にあり、対応が追いついていない軽度発達障害、また選択肢の少ない身体障害の人達も住み慣れた地域で生きていけるような自立を支援をしています。よろしくお願いします。