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【辞書書評】1986年と2020年の岩波国語辞典を読み比べたら、言葉に対する国語辞典の覚悟を見ることが出来た。

久々に古辞書を購入。

今回購入した辞書は、写真の通り岩波国語辞典の第4版。しかもうれしいことに、本当に発売当初に発行された第1刷。

1986年10月というと、バブルに入る直前(もう入ってる?)。

派手なイメージの時代に、無駄のない重厚なデザイン。やっぱ国語辞典はこういうシンプルなほうが好みだな。

今回はせっかく第8版も持っているので、読み比べしつつ面白いなと思った点をいくつか紹介していこうと思う。

序文から見る岩波のスタンス

比較をする前に、まずは、岩波国語辞典の序文(はじめに)を読んでいただこう。

しばしば、日本語のあいまいさということが指摘されるが、これは日本語自身の責任というよりも、日本語を使う人の側に責任がありそうである。(中略)そして、語の基本的意味を明確に記述しておくのは辞書の役目のはずである。

そして第8版の序文には、

新しい語、新しい意味・用法については、他の辞書に比べて若干慎重な姿勢をとり、十分に定着したと判断されるものを掲載するようにしている。

この文章から、「岩波は言葉の基本的意味を明確にし、使う人にとって使いやすい辞書を目指している。しかし大々的な変更はあまりせず辞書の中では保守的」というイメージがわかるだろう。

しかし、確かに大きな変化はなくても、いざ見てみるとやはり変化が随所にあって、35年の歴史と岩波の神髄を感じるのです。

古語が掲載された辞書

第4版は、古語(高校で学んだような古文)が掲載された最後の版。

従来の岩波国語辞典は、古文を読むための古語も掲載するというスタンスだったが、第5版からはより現代語(といっても、範囲は20世紀後半だけでなく、明治時代後半以降の語)に注目するため削除されてしまった。

つとめて 早朝。あかつき。「冬はー」(枕)。もと、何か事柄があった、その翌朝。「そのーそこをたちて」(更科)
※第4版

このような古語の掲載が第4版まではあったが、第8版には削除されてしまった。

古文を解釈するのは古文専門の古語辞典に譲ったということだろうか。


一応現在も使われている言葉もあるので、古語が完全になくなったわけではない。「いと」というページを開いてみよう。

いと<副>
①きわめて。はなはだしく。「風ーすずしくなりて」(源氏)
②全く。実に。「ーかく思うたまへましかばと息も絶えつつ」(源氏)
※第4版
いと<副>
きわめて。はなはだ。「それはー(も)たやすいことです」▽さらに強めて「いとど」(=「いといと」の転)とも言う。ともに、既に古風。
※第8版
こふう【古風】 様子・やりかたなどが現代的でなく、昔ふうなこと。
※第8版

とはいえ、第8版でも一応載ってはいるけど、既に古風という響きになってしまって泣ける。現代的でないって…私、高校では「いとおかし」とか言ってたんだけどなあ…

他にも「ごとし」など、一応掲載されてはいても、古文をもとにした解釈は削除されてしまった。

使いやすい国語辞典をテーマに初版から続けてきたのに、古語と現在の意味を1冊で調べるということは出来なくなってしまった。たしかに少し寂しい。


しかし、これは編者が昔の古語を完全否定したのではなく、むしろ昔の古語を踏まえた上で現代の言葉に活かそうとしている姿勢の表れである。

その証拠として、第5版の刊行の際の編者の言葉を見てほしい。ちなみに、この前書きは第8版にもすべて掲載されている。

この辞書は、現代の、話し、聞き、読み、書く上で必要な語を収め、それらの意味・用法を明らかにしようとした。(中略)採録語を、どこまでも、現代生活に必要なものという観点から厳選したところに、本書の第一の特色があるだろう。
第五版では古語項目を削った。四版まで基本的な古語を含めたのは、一つには高校生向けの学習辞典を兼ねるねらいもあったが、現代語の理解に古語の意味を知っておくのが有効な場合が多いからでもあった。(中略)
また、古い用法との脈絡を捨て去ったのでは、根無し草の現代日本語になりかねまい。これは編者の可とするところではない。古語の見出しや用法に代えて、語源的な古語の形や用法への言及を旧版よりふやした。この部分が単なる語源知識の興味に発するのではないことに注意せられたい。

はっきりと、「古語の語源を興味本位で掲載したわけではなく、現代語に生かすべく掲載している」と言い切っている。たしかに古語から現代語に派生した経緯もあるので、古語の解釈を完全に捨てることはしなかった。

第5版になって古語を削除したというのは、初版から続けてきた伝統を捨てたといわれることもあるけど、私はむしろ岩波の覚悟表明だと思う。

古語を削ったが古語を捨てることなく、むしろ語源や過去を大事にしながら現代の言葉に目を向けようという決意が垣間見える。(この次の章以降でもその想いは見ることが出来る)

古文は全く意味が通じないように見えて、古語から現代語に派生して新語となっている語もあることがわかり、やはり言葉は意味を捨てるんじゃなくて、現代に合わせて進化していたんだなあと感じた。

古文不要論が主張されている現代においても、じっくり見つめてみると、古文は現代に通じるものがある。

言葉が簡単に移り変わる時代に、言葉をただ闇雲に増やすことは出来ても、減らすことは容易ではない。

配慮による変化

新明解国語辞典でもそうだったけど、読み手に対して解釈文の書き方が配慮されている。

なまる【訛る】(方言などで)言葉や発音がくずれる。
※第4版
なまる【訛る】(方言などで)言葉や発音の形が変わる。
※第8版

1986年というと東京に一極集中している時代。高度経済成長期のころは大阪など他の大都市圏に出稼ぎする人も多かったけど、1980年代は東京圏のみ流入しまくったんだよね。

東日本だけでなく、西の方からも知らない言葉の人が来てしまって、標準語じゃないと思うこともあったかもしれない。やっぱり東京から見ると、方言でなまっている人はおかしいみたいな差別も少なからずあったのではないか。

「発音が崩れる」というマイナスなイメージになってしまっている。それを訂正して、「発音が変わる」と変更した。

辞書を否定するのは時代の否定になっちゃうけど、その違いを後々ちゃんと変える配慮は、当たり前と言えば当たり前だけど流石の一言。

恋愛に対しても、異性間だけのものではないことを強調している。

こい【恋】異性に愛情を寄せること、その心。恋愛。「―は盲目」
▽本来は、その対象にどうしようもないほど引き付けられ、しかも、満たされず苦しくつらい気持をいう。
※第4版
こい【恋】(特に男女の間で)相手に愛情を寄せること。その心。恋愛。「片思いの―」「―は盲目」
▽本来は、その対象にどうしようもないほど引き付けられ、しかも、満たされず苦しくつらい気持をいう。
「―に焼けて死ぬ虫になったって、思いはとげて見せるぞ」のような用例から見て取れるとおり、心の活動(やその内容)を言う「思い」とは区別される。「―は楽しい夢じゃもの」のような言い方は、1910年代ごろからのもの。
※第8版

個人的に、"(特に男女の間で)"という言葉がミソ。

少数派を否定しない多様な世の中とはいっても、恋愛が男女間でする人が大半なのはおそらく今後も変わらないから、この表記は良いと思う。

フランスとかはLGBTをあまりに尊重しすぎて物議をかもしたって聞いたことあるけど、中途半端にすべての人々に対しての愛も認めるというのは(残念ながら)現実的には難しいと思うから、地味に良解釈じゃないかな。

恋愛に対して語っている新解さんと違って、「恋」という言葉の意味を詳しく解釈している。

恋愛論を聞きたかったら、新解さんを読もうということでしょうか。笑


いなせな男のイメージ

突然ですが、「いなせ」という言葉をご存知でしょうか?

サザンオールスターズの『いなせなロコモーション』という曲があるから、名前は知ってる、という方もいるかもしれない。

でも、こういう知らない言葉を見たら、文脈で推測したりネットで調べるのもいいけど、ぜひ国語辞典でも調べてみてほしい。

いなせ 侠気のある、いきな若者。また、そういう気風であること。勇み肌。▽江戸時代、江戸日本橋の魚河岸にいた若者たちを称した語から
※第4版 
いなせ 侠気が見え、身のこなしがいきなさま。「魚河岸の―な兄い」
※第8版

※侠気(きょうき)意・男気。強いものをくじき、弱いものを助ける人のこと。

うおがし【魚<河岸>】 産地から送ってきた魚・貝を(仲買人・小売人の間で)競り売りする市場。特に、江戸の日本橋の河岸にあり、現在、東京築地にあるのをさすことがある。▽単に「かし」とも言う。
※第4版
うおがし【魚<河岸>】 魚市場。もと、江戸の日本橋の河岸にあり、関東大震災後、東京築地に移ったものを指す。▽魚市場のある河岸の意。単に「かし」とも言う。
※第8版

あの曲ってポップな割に、粋な男という意味が含まれているんですね。

国語辞典を開いて見れば、知らない言葉を的確に答えてくれる。さすが岩波。

だけど、何となく第4版の方が深みのある解釈をしてくれている印象があるように思う。

第4版では、語源があるから、そうか江戸時代にはそんな人も多くいたのか…と感じる。また、魚河岸も競り売りしてる活気があるのかなあ…と何となくイメージ付くんじゃないかな。

第4版は第8版に比べて、抽象的な記述は少なくイメージしやすくなっている。


実は、独特な解釈で有名な『新明解国語辞典』では、

(若い男性が)いきで、勇み肌な様子。「―な兄い」

としか書いてないので、むしろ岩波の方が独特な解釈をしている。

たしかに意味を載せるだけでも辞書としての役割を果たしてはいるし、あまり使われない言葉に紙面を使うのはもったいないかもしれない。

でも贅沢を言うと、言葉に対するイメージを膨らませるのも、辞書の役目ではないかと思う。


古き良き過去を思い出させる第8版

続いて、35年の歴史を感じるフレーズがいくつか見つかったから、味噌シリーズのことばを使って紹介する。

みそ【味噌】①日本風の調味料の一つ。大豆・麦などを蒸し、塩・こうじを加えて発酵させたもの。
※第4版
みそ【味噌】①日本の伝統的な調味料の一つ。蒸した大豆に塩と麹を加えて発酵・熟成させたもの。
※第8版
みそこし【味噌漉し】溶いたみそをこしてすかをとり除く器具。▽以前は深めの竹ざるで、豆腐などを買いに行く容器としても使った。現在はステンレス製で、枠に網が張ってある。
※第8版
みそまめ【味噌豆】①みその原料として煮た大豆。▽それに薬味を加え醤油をかけて副食にもした。 ②大豆の異名。
※第4版
みそまめ【味噌豆】みそに加工するために蒸した大豆。▽豆腐屋が売りに来て、薬味・醤油をかけて副食やつまみにした。
※第8版

味噌シリーズって何だよ!というツッコミはさておき。

なんと味わい深い文章だろうか。

豆腐屋が売りに来て、竹ざるで豆腐を買って、麦でできた味噌をこして、薬味など色々なものをかけて酒のつまみにした…

なんというか文章を読んでいると、過去の忘れられゆく(というか私も知らない)時代の日常風景がおぼろげながら見えてきて、当時の日常生活の香りすら感じるような気がする。

果たしてこんな解釈する辞書が、過去の歴史を切り捨てていると言えようか。

やはり第8版は、過去の生活を大事にしつつ現在風に解釈しているように思う。こういう細かい点からも、過去の歴史を踏まえた上で現代につなげているように感じた。


現代の俗な言い方に寛容になった第8版

さらに、現代に即した辞書を目指す第8版は、現代の言い回し(俗な言い方)に寛容になったことも上げられる。

だいじょうぶ【大丈夫】
㋐安心しられる(任せられる)ほどに危なげない(確かな)こと。
㋑安心して。▽…近年、応答に用いることが増えている。
「「おかわりー(=不要)ですか」「―です」」
「「かゆいところありますか」「―(=問題ない)です」」
※第8版、一部例文省略
だいじょうぶ【大丈夫】①危険や損失・失敗を招く恐れがないと断定できる状態だ。
②よい結果になることを請けあう(信じて疑わない)様子。
※新明解国語辞典第8版、一部例文省略

「~~しますか?」と聞かれた時に返答として、不要という意味で「大丈夫です」と答える人、多いよね。

私は「いりません(いらないです)」とか「結構です」とか、言い切る人だからあまり使わない。だけど、として載せている。

これは地味にすごい。現代語を掲載するというのは当たり前のようだけど、辞書に掲載する以上は言葉の模範となってしまうので、ミスがないよう慎重に考慮しなければいけない。

それでも現代辞典として現代のグレーだった用法の解釈に踏み切ったのは、かなり攻めている。ここまで改訂するとは現代に適した辞書を本気で目指しているから驚きだ。

ただ、このような現代の言葉にかなり寛容になったことに対して、岩波ファンの中でも賛否両論あるらしい。

私は現代的用法に寛容なのは現代の辞書としてふさわしいと思うので賛成派だが、現代語に強い三省堂の『新明解国語辞典』とか『三省堂現代国語辞典』とかあるので、別に現代の解釈ばかりではなく言葉の本来の意味を伝えても良かったのでは…と思っている人もいる。

岩波には載ってないけど、ら抜き言葉が良い悪い論争につながるかもしれない。どちらの言い分もいい意見なので難しい。これが多様性。


ちなみに、岩波より後に改訂された新明解にも「応答の意を含む」旨は掲載されておらず、応答として使うことは正しいかどうか、辞書の中でも評価が分かれているように思える。

いずれにしても、現代に使われている言葉を見逃さずにきちんと掲載している事に関しては、正しい間違いを超えて、評価するべきだと思う。

現代語にふさわしい辞典となった岩波国語辞典

ここまで見てきたとおり、時代の変化とともに言葉も辞書も変わりつつある。

どちらがいいかわからないが、岩波国語辞典は古語を失ったからといって、信頼を失ったわけではない。


もう一度序文を見てみよう。

辞書は、全く知らない語を知るためのものであるが、また、自分が知っていると思う語でも、その意味や用法を確かめるために引いてみる必要のあるものである。

知っている言葉でも辞書を引いてみろと書いてあるのは、岩波国語辞典が現代に適した辞書という出版社や編者の自信があるからだろう。

保守的で、古語もあって、日本語に強いという岩波のルーツからすると、現代的に変わりつつある岩波国語辞典は、少し物足りなさを感じるかもしれない。

でも、古語がないから信頼が失われたわけではない。むしろ過去を捨てたわけではなく、過去をリスペクトしつつ現代の辞書にも過去を入れた上で対応しようという気概が見える。

現代の言葉に向き合うことが出来る辞書を、岩波国語辞典の本当に目指したんじゃないかな。

個人的に、第4版は知的好奇心をくすぐる辞書で、第8版は現代使用するのにとても適した辞書だと、私は思う。

新しい言葉を入れて大々的なアップデートをするわけではなく、明治後半時代~現代までの言葉に対してじっくり目を向け、少しずつ堅実に、しかし大きく変化しながら言葉を載せ続けた岩波国語辞典。

「辞書を読む」までしなくても、「辞書で調べる」ことの重要さが残った良辞書であることに変わりない。気になった単語を調べる癖はつけておきたいと思った。

言葉とは何か、考えさせられる超良辞書だと思う。実際に私も辞書の意義をここまで考え、言葉の使い方を気を付けつつ、言葉の楽しさを発見したきっかけとなった辞書の一つだ。そして今後もお世話になっていく辞書だと思っている。
(岩波の熱意に気付き感動したのに、その想いをうまくnoteに記せていないのがとてもやるせなく悔しい…)

岩波国語辞典は、今後も質の高い現代の実用的な辞書として、これからも進化し続けるだろう。

簡単に言葉が変わってしまう現代において、現代風に言葉の解釈をするというのはとても難しい。また保守的な辞書ゆえ賛否両論も多くなる。

にもかかわらず、当たり前のように言葉を見つめ続けている姿勢と現代に適した辞書を作り続けようという覚悟に、改めて敬意を表したい。


辞書レビューをまとめた記事はこちらから。↓

気合が入りすぎて、かなり読みにくく長い文章になってしまいました。もう少し短めにまとめて書けるようになりたいものです。
読んでいただきありがとうございました。


参考にした辞書

岩波国語辞典
・第4版 1986年10月8日  第4版第1刷
・第8版 2019年11月22日 第8版第1刷

新明解国語辞典
・第8版 2020年11月20日 第8版第1刷

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