#9 邦ロック分析① 平成後期の内省的で繊細なロックですわ
やっほー!ねまきですわ!
みなさまごめんなさい!!投稿頻度上げたいって元日にお話ししたばかりなのに、早速ふた月もあけてしまうなんて、むしろペースダウンもいいとこですわ!よく考えたら1月2月なんて東大随一のテスト期間・レポート期間なのに、そんな高頻度にできるわけないじゃない!なんて無謀な宣言だったんでしょう!私のバカーーーーー!!!
しっかり猛省することとして、今回からは新しい試みとして「邦ロック分析編」に突入いたしますわ!
1970年代に日本語ロックが定着してから、脈々と歴史を受け継いできた邦ロック。洋ロックやJ-POPやHIPHOPなど、隣接するさまざまなジャンルと相互に影響しあって独自の多様性を保っているこの素晴らしい邦ロック世界について、少しでも体系的に説明できたらな〜と思っておりますわ!もちろん、どのバンドも唯一無二であって、無責任に「似ている」「影響を受けている」なんていうことは不可能だし望ましくないのでしませんけれど…。分析だの体系だの、「野暮でロックじゃない!」と感じる方も多いと思いますが、書きたい記事を書くのもロックですわよね!!!
久しぶりの更新、気合をこめていきますわよ!
内省的で切実な歌詞を特徴とする、不器用な「僕」のロック
私が今回紹介・分析させていただきたいのは、2010年代前半に特に集中している、私小説的で内省的な楽曲群ですわ。主人公(「僕」「私」)による語りという体をとり、絶望した主人公が悩みながらも生きるのをやめない、というストーリーを含んだ歌詞によって、間接的に聴く人を元気づけてくれるような曲たち。悩みを共有する人間がどこかに存在するという事実は、想像以上に弱った心を救うものですわね。
暗い歌詞を歌うことで、聞く人の共感を掴むタイプもありますわね。このタイプで私が本当に好きなのは、2017年に解散してしまったplentyの「人間そっくり」ですわ。
この曲には、基本的に聴衆を直接励ますような歌詞は見られませんわ。むしろ、スピーディに進んでゆく曲の中で、「ボク」は嘆き続けますわ。
ここも凄いですわね…。これは「君」との恋愛的な悩みというよりは、人生全般において、自分の気持ちにすら自信を持てない「ボク」の内面を象徴的に表しているように感じられますわ。
長い間奏が、自分の中での葛藤みたいに響いたあと、自分だけでも自分のこれまでを認めてあげようとする強い「ボク」の姿に勇気づけられる本当に素敵な曲ですわ。
この曲も本当に繊細な歌詞が素敵ですわね。人知れず孤独に苦しんでいる人が本当に求めているのは、「励まし」よりも「代弁」や「言語化」なのかも知れない、と思わせられましたわ。同じように何かに怯えながら生きている人がたくさんいる。だから、「僕」じゃなくて「僕ら」は一人ぼっちなんだ、って。
PVのコメント欄を見ても、励ます言葉のないこの曲に救われている人がたくさんいるってわかりますわね。
こちらは夜の電車とかで一人で聞くと、色々後悔を思い出してギュッ…ってなる曲ですわね。以前紹介したLyu:Lyuの「メシア」もそうなんですが、明るい笑顔とは別の「笑う」という行為にフィーチャーした歌詞は結構グサッと来るものですわ…。気持ちを偽って笑い、気持ちに向き合って泣く。どっちも簡単にできることではありませんわ。一見救いようのないように見えるけれど、似た境遇の人が笑い・泣きについて言語化したこの歌詞を聞いて「自分は実はこんなに頑張ってるんだ」って気づくことで、これまた間接的に数多の人々を救っているんじゃないかしら?
(GOOD ON THE REELが好みの方は、代表曲の「存在証明書」も聞いてみてほしいですわ!)
ただし!どの曲も、ネガティブな終わり方ばかりするといわけではありませんわ。これは先述のplentyの代表曲「蒼き日々」の一節ですわ。
曲を通して「僕」の悩みは解決しない。朝が来たらまた、きっと他人たちとの関係の中で小さくなって、悩みながら過ごすのでしょう。でも「僕」は、一人きりでいることに安定を見出しているのですわ。この"一人きりでもいいだろう"は、決して開き直ったわけでもヤケになったわけでもなく、自分の正解は自分で決める、という決意が、熱く静かに胸に宿ったことを私たちに教えてくれる。そしてその希望は自分と「僕」とを重ね合わせる聴衆にも伝播する。想定をはるかに上回る音楽の力に、少しはっとさせられるような、そんな曲たちを紹介させていただいた夜ですわ。
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