業務改革:変化したくないのは誰[20241010]
特に改革の際、正しい見識を持った人物の意見が組織の中では「かき消されていく」。
この現象は、そのチームの長に見識が無いのか、それともチーム員たちでの多数決の原理が働くのか、詳細はわからないが、まともな意見に耳を傾ける人は極めて少ない。
この多数決というのは、いかにも日本らしい意思決定方法である。
『日本らしい』には、2つの意味がある。
1つは、責任を皆で分担する(?)的な意味合いがある。
失敗した時に「みんなで決めたじゃないか」という言い訳が通るとでも思っているか。
多数決でみんなで決めて、責任の所在を明らかにしないのは日本社会の風潮ではないだろうか。
ちなみに「時間も無いので多数決を取りましょう」という国は日本だけだとご存知だろうか?
日本以外の民主主義国では、答えが見つかるまで「徹底討論」を行う。
多数決で決める、なんてことはほとんどないという。
確かに、いつまでも激論している様子は海外のドラマなどでよく見かける風景である。(『十二人の怒れる男』などは、とても分かりやすい事例だと思う)
納得するまで議論をして答えを出すのだ。
いかなる意見にも耳を傾けて誠心誠意「目的・目標」に則して議論する。
これは決して時間の無駄ではない。
もう1つの『日本らしい』の意味は、「正しい見識」、特に将来を見通すための見識を持つ者が排除されるということだ。
将来の見通しを会議などで述べると、こういう問いが戻ってくることがちょくちょくある。
「その見通しは正しいのか?」
「確実にそうなると言えますか?」
ある仮説に基づいて将来予測をしていても、概ねネガティブな予測を披露すると上記のようになる。
しかも、ネガティブというのは業績悪化などではなく「変化すること」である場合が多い。
意思決定をする者が「変化したくない」のである。
そもそも「変化を受け入れない(=現状が継続すると思い込んでいる)」こと自体に見識が無いと思うのは私だけでは無いはずだ。
見識の無いものが集まり、予測に基づいての施策を鼻で笑い、集団心理よろしく先々を憂う人材の鼻をへし折る。
「決を取ります」とまでしないにしても、ごく自然に却下されるのだ。
いずれにしろ、日本が多数決で決定していく文化を大事にする限りは、失われた40年に突入していくのは明らかである。
「組織を変える」ことは、簡単ではない。
経営が意思決定をする方法すら変化させる対象なのだと、理解すべきである。
合同会社タッチコア 小西一有
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