何のための道具として発展すべきか[20240927]
随分と秋らしくなってきた。
天候が良く無いことも手伝って気温がグッと下がっている。
今日から長袖のシャツに切り替えた。
若い頃は、真冬でもワイシャツの袖をまくり上げていたものだが、寄る年波には勝てぬ。
さて、最近の生成AIの発展状況からAGI(汎用人工知能)やASI(人工超知能)に想いを馳せてみた。
テクノロジーは、それ自身の発展・進展ために存在している訳ではない。
ちょくちょく間違える方がおられるが、テクノロジ・セントリック(技術中心主義)な考え方がある。
例えば、ソフトバンクの孫正義氏は、「ASI(人工超知能)の実現が自分の人生の意味だ」と語ったそうだが、彼はテクノロジー・セントリック(技術中心主義)ではない。
そのテクノロジーの先の未来社会を見据えている。
今年の6月には、Open AIで開発を率いてきた元幹部のイリヤ・サツキバー氏が「安全なASI」を開発する新会社を設立したという報道があった。
世の中にAGIの先にあるASIの話が当たり前に出始めたことは「AGIが完全に見えてきた」ということだろう。
AGIは人間同等の能力を有しているということらしいが、どんな人間だろうか?
一説には、一般人ではなくアインシュタイン博士程度の能力を持つという説もある。
アインシュタイン博士が、いきなり24時間365日稼働し始めたら一体何が起こるのか…。
想像を絶するAGI時代の到来ではないか。
アインシュタイン博士の学術成果のおかげで核爆弾が開発されてしまったと言う方もいるが、彼は後世までその事を憂いていたと言われている。
昔、大学に入学して最初に受けた講義は「分析化学」で、講義担当をしてくださった先生は「原 正 教授」という方だった。
(水曜日の1限目だったと記憶している)
私が卒業時に原先生は学長になっておられたので、学長からの祝辞(大学の先生から聴く最後の講釈とでも言うべきか)も原先生だった。
その原先生は、陸軍士官学校をご卒業され終戦後に京都大学で化学を学び学者の道を進まれた。
原先生からの最初の言葉
「工学を学ぶ者は、その技術が軍事などに悪用されないように気配りをすべきである」
テクノロジーは、世の中を幸せにする道具でなければならない。
AI、AGI、ASIなど人工知能は、何にでも利用できる。
悪用することも「可能」である。
悪用と言うのは世界中の富を独り占めにする行動様式のことを指す。
地球を含め、地球上の生物である人類全てが幸せに暮らす方法を模索するための道具でありたい。
皆さんは、目先の仕事を如何に効率的に片付けるか…の方がご興味おありですか?
合同会社タッチコア 小西一有
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