今、置かれている状況を考えてみる[20240430]
皆さん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしだろうか?
今日はカレンダーでは平日、仕事で新宿に出掛けたが「人が多い」のに驚いた。
もちろん普段から新宿は人が多いのだが、観光客と思しき人々ばかり。
日本人半分と外国人半分くらいの感覚だろうか?
先週末には京都に行ったのだが「京都に観光客」が多いのは理解できる。
新宿に何故人が集まるのか。
円安だから、外国人は買い物? では、日本人は?
比較的、年齢層も若い女性が多いように思ったが何処に何をしに行くのだろう。
お洒落なカフェ?美味しいラーメン?
さて、考えてもわかりそうもないので、本題。
今週は平日が3日しかないが、ここで円安をどう考えどう付き合うのかについて話してみたい。
昨日はドル円がとうとう160円を付けた。
34年ぶりとか言っていたが、160円という数字には、ちょっと意味があるのだ。
1985年に「プラザ合意」が交わされる。
このプラザ合意以降に「現代経済」が確立したと言って良いだろう。
従って、ビジネスマンの「一般教養」として1985年以降の為替レートと金利、株価をちょっと頭の中に入れておくと良い。
現在、何が起きていてそれは何時頃と同じ(違う)状況かが分かるのである。
で、プラザ合意だが、当時の為替レートは1ドル235円程度。
戦後は1ドル360円の固定為替相場、日本経済の安定を目指して固定為替にだった。
1973年2月14日に変動為替制度に移行し現在に至るのだが、日本が”Asian Miracle”と言われるほどの高度経済成長に進む中、為替レートは普通に「円高・ドル安」に変動していく。
変動相場に移行してからわずか10年少しで235円にまで円高が進むのである。
強い日本経済への正しい評価だと考えても良いだろう。
さて、この時米国はどうなっていたかいうと、日本から輸入される製品の品質と価格に米国企業は全く太刀打ち出来ずにいた。
そこで、ドル高を是正したいと各国の中央銀行がドル高是正のための市場介入をするという合意を取り付けたのが「プラザ合意」だった。
この合意後円はあっという間に210円くらいまで値上がりした。
その時に東海銀行のアナリストが「すぐに150円になる」と言って世間を騒がせた。
世間の評判は「150円だなんて馬鹿も休み休みにしろ!」だった。
しかし、彼に言わせると「経済の実情からみれば150円くらいが丁度良い」と言うのだ。
当時は未だビッグマック指数みたいなものも無かったと思うが。
実は1年後には1ドル150円近辺で取引されることになり、東海銀行のアナリストは「高い評価」を獲得する。
当然のこと乍ら日本の輸出企業は、あっという間に「儲からない構図」を為替相場から押しつけられ厳しい状況に陥った。
しかし、日本の輸出企業は1ドル100円でも適正な利潤を得られる体質を構築していった。
丁度その頃にバブル期に入るが、恐らく当時の企業努力の結果としてIMDの国際競争力ランキングで堂々の世界1位を5年くらい継続することになる。
実際、日本企業は凄かったと思う。
輸出で儲ける構造だった日本企業は、為替の影響を受けることなく利益を出し続けたのである。
ところがその後、バブルが崩壊し30年に突入して現在に至る。
「昔は勢いがあった」のはバブルの影響では無く、どんなに円高に振られても頑張って結果を出してきたということなのだ。
では、円安になれば日本企業はどうすれば良いのだろうか!?
「人件費」を上げるべきなのである。
税金や社会保障費が無慈悲に上昇する中、給料が上がらないのでは国家全体の勢いがなくなるのは当然だ。
3連休中に国会議員の補欠選挙で自民が大敗したと言うが、原因は「裏金」に対する国民の審判が下ったと言う。
まあ、それはそれで宜しく無いのだが、本当は増税しか知らない財務省や社会保障費を上げることしか知らない厚労省を放置している自民党に「喝」を入れるべきなのではないか。
合同会社タッチコア 小西一有