そうだ、奄美大島へ行こう(その4:神様と妖怪たちとあたたかな人たちが住むところ)
ここ、奄美大島宇検村には、ふたりの神様が降りてきて奄美大島を作ったという伝説のある湯湾岳がある。 世界自然遺産に認定されている場所だ。
(同じような話が北部にもあるらしいのだけれど)
奄美大島は、全島が世界自然遺産として登録されたわけではない。
屋久島と同じように、世界自然遺産としてリストに載ったエリアは一部の山岳部に限られていて、認定された面積は島全体の凡そ1/6程度のエリアのみとなっている。
奄美市の金作原と、湯湾岳のある宇検村と大和村、油井岳のある瀬戸内町の一部エリア(加計呂麻島は残念なことに入っていない)などが、そのエリアに該当する。
マングローブ林でさえ認定エリア外の緩衝地域と聞いている。 その海は自然遺産から完全除外されている。 世界中からやって来る、海洋ゴミの問題もあるからだろう。
市内から、マングローブ林で有名な住用方面へ向かい、さらに車を南に走らせると、国道が二手に分かれる。 瀬戸内町古仁屋へ続く道と、右折して宇検村へと向かう山を越える道だ。
宇検村方面へ曲がり、トンネルを抜け、アランガチの滝を超える辺りから、その空気感が一変する。 歩かなければ分からないかもしれないけれど、夜には絶対歩きたくないなと感じる森の気配。 道沿いに歩いている人はほとんど見かけない。 スピリチュアルゾーンなんて言葉では薄っぺらすぎる。
山と海に囲まれた村は、山に入るとアマミノクロウサギのうんちがあちこちに転がっている。
特別保護地域となっているエリアが広がる宇検村。 そのエリア内では石ころや落ち葉、枯れ枝さえ、持って帰るには国の許可が必要だ。
このエリアが世界自然遺産に登録されてからというもの、珍しい植物などを無断で持ち去ろうとする不届者も出て来たらしく、パトロールも強化され、あちこちに撮影機器があるらしい。
いや、ここ、神様のゾーンやで。 分かってはる?
捕まるとかの問題ちゃうねん。 絶対罰当たるで。 怖すぎる。
「何かが住む」空気感がする森に囲まれる村。 村のあちこちには、ケンムンという妖怪の像がある。 ガジュマルの木に住むという妖怪(妖精? )。
これも北部にもそういう名前の観光施設があるのだけれど。
ここに施設などない。 村全体に「いる」のだ。
実際に、この村には「ケンムンに会ったことがある」という人が沢山いるというから驚きだ。 妖怪と言えば、「ゲゲゲの…」しか思い出せない私。
中には可愛い妖怪だって、親切な妖怪だっている。 と、テレビを見て幼心に思っていた。
先月、やけうちっ子環境学習世界自然遺産博士講座「妖怪と自然保護」とかいうタイトルだったか、主に子供たちの向けの講座をYouTubeで見たのだけれど、その中で水木しげる先生の長女、原口先生が講演されていた。
そこで水木先生の描いたケンムンを見た。
その絵に描かれたケンムンは、ころんとした愛くるしい可愛い絵だった。
けれど、この村の人が思うケンムンは、「怖いもの」、「恐れるべきもの」として捉えられているように思う。
水木先生の絵とは違って、この村に幾つかあるケンムンたちの銅像の手足はとても長い。 その銅像の横には村の人たちから聞いたという伝説が抜粋されて書かれている。
それ以外にもイノシシみたいな妖怪もいるらしい。 股の下をくぐられると人は病気になるそうだ。 日本にいる八百万の神様たちと同じように、この村には様々な妖怪たちが、人々と共に暮らしている。
言うなれば、リアル《千と千尋の神隠し》だ。
妖怪は、人間がいないと生きられないらしい。 その存在価値は人間と関わり自然界を恐れさせることにある。 その自然の中に妖怪は住んでいて、そこには神様もいる。
ケンムン伝説は、自然に対する畏敬、畏怖の念を人々に教えるためのものかもしれないけれど、これだけ「会ったことがある」と言う人がいたというのは驚きで、とてもただの伝説とは思えない。
そんな話を聞いたり読んだりし過ぎたせいで、毎朝ガジュマルの木の下を車で通り過ぎるたびに挨拶する癖がついてしまった……。
どんなものも、いると思えばいるし、いないと思えばいない。 のだけれど。
絶対、なんかおるって! (心の叫び)
人工的な建物が増えた今でも、ケンムンはこの村で、ガジュマルの木の上や海で魚を捕まえながら、『僕が住めなくなったら終わりだよ』と、目を光らせているのかもしれないなと思う。
気温は20度近くても、冬場は天気が変わり続け、雲と雨の多い村。 久しぶりにお天気になったので、お昼休みに近くのケンムン像の一つの写真を撮りに出かけた。
全部の像を撮りにまわっているのだけど、どこにあるのかは皆さま、宇検村に来てご確認ください。 (ネットに載りまくってるらしいけど)
撮れたのは、ケンムンが赤いハートをこちらに投げかけてくれそうな写真。
(合成写真ではありません)
なんだかケンムンが喜んでくれているような気がして嬉しくなった。 写真をよくよく見ると、赤いハートは終わりかけのハイビスカスのよう。
どの銅像も怖い妖怪としてではなく、可愛く作ってあるなと思う。
いつか戻って来るであろうインバウンド観光客のためにと、ケンムン像の横に立てられたボードに書かれた伝説や、本に書かれた物語を少しずつネタ帳にまとめているのだけれど、何せ話の数がとても多くて終わりが見えない。
そうしてやってきた三連休前の週末、収束の気配のない感染症のせいで集落へ行くのは気が引ける。 明日からどうしようかと悩んでいたら、職場の若い移住の先輩が声を掛けてくれた。
「図書館で参考になる本を探して、併せて図書カードつくりませんか」と。
ずっとここの本を借りに行きたかったのだけど、一度見学に行ったきりで、なかなか踏み出せなかった。 幸い今は、地域の方向けにだけはオープンしているらしい。
行きます! と即答し、訪れた小さな図書館は、大好きな古い本の香りに包まれていた。 本屋さんの新しい紙とインクの匂いも好きなんだけれど、図書館の香りは不思議と日本全国ほぼ同じ香りがしていつも何故だかほっとする。
図書館兼資料館の中で展示されているノロ(神職)の道具を観たり、遺跡の欠片を観たり、ケンムンの物語の本などを何冊か借り、三連休はひとりでも時間が足りなさそうなくらい読むものを入手した。
そうして、そこで、珍しいシバサシという行事のビデオを見せてもらった。
そこで話されていた言葉は、全く未知の言語。
そう言えば、祖母も時々不可思議な言語で話していたなと思い出す。
シバサシとはススキの葉を束ねて作られたものという事だったけれど、映像では家々の軒にそれを差していた。
悪霊を祓ったり、家族の健康祈願の意味もあるらしい。
『神様降りて来て下さい』と祈る人の様子に心を奪われた。
でも、どう見てもこれまで見てきたススキとは葉の大きさも長さも違って見えた。 何より、その葉が青々している。 そして、長い。 榊とも違う。
ああ、自分の知識の何たる乏しいこと。
神様に向けて発せられる言葉たちは、感謝と歓迎とお礼の言葉らしいのだけれど、何せ聞き取れない。 その後、集落でたくさんの人が唄い、踊り続ける映像も流れた。 かつては何日も踊り続けたのだという。
こうやって、この村の方たちは、神様やご先祖様と共に生きている。
自然に、ごく当たり前に。 日常の一部として。
これは観光客に見せてもらえるものだろうか?
そもそも、この行事は観光客に見せてもいいのか?
踊ってみたい観光客は、きっといるだろうな。
神様とご先祖様への踊りの輪からは途中で抜けられないとかだと、
行程表がえらいことになるな。 宿泊場所の確保も大変かもなぁ。
文化や慣習を知るにはホームスティとかが一番いいのだけど……。
ビデオを見ながらも、観光ツアーモードに頭がスイッチオンした。 けれど、何とも言えない違和感を感じて、行程表を作りかけていた頭が停止する。
観光化されることが悪いとは言わない。
例えば、盆踊りに浴衣を着て参加したい海外からの観光客はたくさんいる。
神様が降りてくるものだという事を知らずに、連なる鉾の列をただ観るために祇園祭に来て、フラッシュをたきまくる観光客も大勢いる。
けれど、この特別な風習は、観光化するべきものではない神聖なもののような気がした。
「これまで無かったものを新たに取り入れていく」という観光化より、
「そこにあるものを、その観光資源を、失わないように生かす」ことのできる観光の道を探していきたい。 その思いがビデオを見て一層強くなった。
観光の要は、やっぱりそこに住まう「人」だと思う。
そこに住む人が「受け入れられない」ものや「観光客に望まないこと」を、早く見定めていかねばと思いながら、図書館を後にした。
さて、図書館訪問を終えて仕事からの帰り、三連休前の週末くらい贅沢していいよねと自分を甘やかしに「宇検食堂」へと向かった。 美味しい晩ご飯をテイクアウトで注文したのだ。 数週間に一度のご馳走で、心はうきうき。
どうして人が作ってくれたものって美味しいのかといつも思うけど、ここのは別格で私好みの味。
食堂の入り口には、隣接するホテルのチェックインカウンターも兼ねる受付がある。 そしてその横には、いつも素敵なディスプレイがある。
ほんまに、いつも綺麗にしてはるなぁ。
一月には豪華でダイナミックな生け花があった場所に、今月は立派な七段飾りのお雛様が飾られてあった。 来月はひなまつり、春までもう少しだよ。 と言われている気がした。
もうお雛様を早く片付けないといけないと焦る年齢でも無くなった私。
両親(正確にはおそらく祖父母)が買ってくれたお雛様は、私と一緒に嫁入りして、私と一緒に戻って来たのだが、かなりの年代物だった。
雛人形は時代でその顔つきが変わる。
一緒に連れ帰った雛人形たちは、細面で切れ長の目をしていた。
最近のものは、丸顔で顔つきもふっくらしているらしい。
宇検食堂に飾ってあったお雛様は、その中間くらいのお顔立ちに見えた。
「きっともう使うこともないけれど、箱にずっとしまっておくのは人形たちが気の毒だから」と、かつて私と一緒に戻って来たお雛様たちを、昔の人形の顔を知る世代の多い高齢者施設に寄付したら、とても喜んでもらえた。
それを母に伝えると、「あなたのものが無くなってしまったじゃないの」と、陶器でできたウサギのひな人形をプレゼントされた。
《お内裏ウサギ》と《お雛ウサギ》のみで、微笑みあっている。
「あんた、兎年生まれやからな」
(ご自由にご計算ください)
なんでやねん。 もうええねんって。
という事で、今だに家ではひと月前からウサギひな人形を出し、3月3日を過ぎて片付けるという行事が続いている。
懐かしい思い出に浸りながら、許可を得て写真をパチリ。
ふと、お雛様のお膳に目が留まった。
『れんと』やん!
宇検村のお雛様は、黒糖焼酎、れんとを飲んでいる。
しかも二つのお膳のうち、一方のお膳には二本のれんとが乗っているのに、もう片方のお膳の方は、既に飲んでしまったのか一本消えていた。
日頃お世話になっている開運酒造さんの焼酎。 ここはその系列の食堂。
宇検村にある黒糖焼酎製造工場見学ツアーが再会したら絶対に行くぞと心に決めている。 クラッシックを聞かせて熟成される焼酎なんて、説明の文章を考えるだけでわくわくする。
去年は《紅さんご》という名前の焼酎が、225本もの銘柄の中から、
ベスト・オブ・ザ・ベスト焼酎として日本一に選ばれたらしく、カウンターの横のキャビネットには《試飲用》と書かれたボトルが見える……。
ああ…… 車運転して来たんだった。
通勤も、お買い物も、郵便局も、ごみを捨てに行くのだって、いつだって車が必要なところだもの。
車がないと来られない場所。 それは観光客にとっては大きなデメリットかつ観光に向けた課題ではあるけれど。 だからこそ、自然がこれほど残っているのかもしれない。
だからと言って、自然を守るために全てを規制し、あれもダメこれもダメと閉じて観光客を遠ざけていくのは、エコツーリズムではない気もする。
どうも日本のエコツーリズムは自然を守る方に強く傾倒している気がする。 海外ではエコツーリズムは明らかなビジネス。
儲からなければやる意味もない。
エコツーリズムは、あくまでも「ツーリズム」。
地元に還元するためのビジネスのかたちのひとつ。 儲からなければ、結果、自然を守ることもできなくなる。
これからはその折り合いをつけていくのが課題。
さて、そろそろ現地ツアーを組みだそうと思っている。
いつの日か無事にツアーが出来たら、関係者にまずお知らせできたらいいなと思いながら、家でちまちまと原稿を書いていたら、夜ドアのベルが鳴って素敵な贈り物が届けられた。
ご近所さんからの有難い差し入れ。
なんと、ロールケーキ!
ここでは車で最低30分から1時間走らねば入手できない代物。
徒歩5分で入手出来ていた時代がもはや懐かしい。
ひさしぶりやなぁ…… あんた。 会いたかったわぁ。
週末になると何かしら美味しいものが手に入る。
これで明日からどこにも行かずに読書三昧決定となった。
貰ってばっかりやなぁ。 お返しする時、いつになるかな。
何がいいかなぁ……。
街に暮らしていた頃には無かった、さりげないやり取り。 人との距離が近い。 古き良き時代のかつての大阪のようだ。 今でも大阪南部にそんな風習がわずかに残っているらしいけれど。
それを心地よいと思うかどうかは、人や年代によっても違うのだろう。
そうして、それを心地よいと思わない人が増えていって出来上がった街にもきっと人と触れ合いたい人はたくさんいるはずで。
非日常を求めて、自分探しに(絶対見つからんけど)、理由は何でもいい。
ふと旅に出たくなったら、ここ宇検村を思い出してほしい。
観光地化されていない、のんびりした素朴な空気感を感じて欲しい。
その空気感はここの人達から生み出されたもの。
(ほとんど人に会わないと思うけど)
そうして、誰かと奇跡的にすれ違ったら、是非気軽に「こんにちは」と笑顔で言ってみて欲しい。 照れずに。
奥ゆかしい感じの、気を遣っているような、不愛想にも見えるけれどそれでいて照れながら答えてくれる、そんなほっこりした空気感を纏った返事が、きっと返ってくるはずだから。
今はまだ感染症禍、観光客を喜んで受け入れる状況ではないのだけれど、
これから先、また暖かい季節に人々がふらりとやって来て、地元の人たちと触れ合えたらいいなと思いながら、今日も本の虫となりネタ帳を作る。
ふらりと村に訪れたフーテンの寅さんや寅美が、ここの方たちと自然に触れ合える場所をいつか作りたい。 手作りのシマ料理を食べて行って欲しい。
そんな思いが一層強くなる。
図書館のビデオで見た、神様とシマ(集落)の人たちに近づける夏の季節が今からとても待ち遠しい。
どうか、今年こそは、全てのお祭りが開催されますように。
神様、お願いします!