ここから始まった
久しぶりに到着した関西国際空港は、大きなスーツケースを引く人たちで賑わっていた。
駐車場にはたくさんの車。
日常生活が、自由に観光できる日々が、すぐそこまできていることを肌で感じる。
少し歩いて、『ああ、地面が見えない。地面が暑い』と、少し前まで当たり前だったことに驚いた。
思えば去年の秋、少しばかり落ち着いた感染症騒ぎの合間、オンラインツアーを作るために奄美へと旅立ったのは、まだわずか半年ほど前のこと。
友人で、先輩プロガイドで、ライターで、ミャンマー語まで操る、どの国でも生きていけるわよ!と豪語するY子さんを誘い、奄美市内で合流したのは、ほんの数ヶ月前のこと。
Y子さんは、ガイドの講師としても動けるレベルの方。きっと東京で頑張っているだろうなぁ。
私はというと、その時に不思議なご縁がつながり、今は奄美大島に暮らしている。
何でも動くと変わるもんだなと、その時つくづく思った。
関西2025万博もある事だしと、インバウンド復活前に、大阪でガイドの仲間たちと合同会社を作るはずだった。
各種の山積みの問題、一緒に動くはずだった人たちとのタイミングが合わなかったこと、毎日悩んでいたことも、なんだか全てこのためだったのかと、あの時は感じていた。
でも、次のステップへの期待値が高過ぎると、がっかりしてしまうことが多いのは、よく知られたこと。
それは、新入生として入った学校が、え?な感じだったり。
楽しそうだなと思って入ったクラブ活動やサークルの活動の種類が予想と大きく異なっていたり。
新社会人として念願の会社にやっと入ったと思っていたら、配属部署があらら?な感じだったり。
新しい服を一目惚れで試着もせずに買ったら、なんかマネキンが着てた感じと違うような事故案件?となったり。
素敵な人に会えますように!と祈るようにマッチングアプリや結婚相談所をあてにしていたら、え?これアプリ壊れてる?ってなったり。
(やったことないけど、それでも友人が二組も結婚した。そんな話を教えてくれた友人達も今では幸せそうだ)
いや、どんな場合でもそうなのですよ。
島自体の自然や環境は期待以上。
地域おこし協力隊としても、すごく良くしてもらっている。
けれど、本命だった観光の活動がピクリとも動かない。情報の共有もない。情報を流してもらえるくらいに信用されることがまず先決ってこと。
それでも自己責任で何でもやっていいよと言ってもらえるので、色々試行錯誤してみるが、結局あちらこちらの意見を聞かねばならずで、動かない。というか、地元の方の気持ちを無視してまで動けない。(小心者)
代理店と組んで動きたいと言うのはご法度の雰囲気。かと思えば、大々的にテレビクルーは来ても良いらしい。
インフラ整えるのが先では…。
(代理店が手を出さない理由のひとつ)
島内全てのバスに乗り倒しているが、分かったことは、宇検村に来られる人は、選ばれた人か、よほど慎重に計画をしてきた人ってこと。
車がないと来られないというのは、観光にとっては想像以上の大きなハンデなのだけれど、大したことではないように思われている気がする。
それは、車がない生活というものを考えられないからかも知れない。
現在では、車が無ければ世界遺産湯湾岳へはあらかじめ予約した団体観光バスでやってくる以外の方法がない。(公共バスではないため一般の人向けには無い)
一体、何をやったらダメで何をやってもいいのかも分からず、観光に関する打ち合わせは、半年が過ぎようとしている今も一度も無い。
これも、私の信用のなさが原因か。
『基本、放置ですよ』
と言う地域おこしの先輩方。
(私よりうんと若く、柔軟な人たち)
ゆるいのは嬉しいんだけどさ、もう、コロナのバカ…。
いや…それだけでは無い気がする。
同じように、地域おこし活動で悩んでいる協力隊は、多いのだろうなと思う。
資金があったら、時間があったら、面倒な手続きをやってくれる人がいたら、これをやりたいのだけどという声はあちこちにあって、優れた特産品や名物料理を作れる人もいて。
だからこそ、外からやってきた人たちは期待される。
こう言うの作りたいんだけど、どう思う?と、意見を求められる。
実際、仕事にするのは容易い。
いくつかの煩雑な手続きさえクリアすれば。
けれど、継続できるか、が大重要。
始めるだけなら誰でもできる。
どんな負担を背負ってもやっていく覚悟を持てる人は、どれくらいいるのか?
これから先、ずっと可能性は無いのでは?
『将来に渡ってもここで暮らしたいなら、今は一緒に責任を取れる人を確認していく時期だよ』と、とある関係者の方に言われた。
なるほど。
調べていくうちに、誰も責任を取りたく無いのだ、と気がついた。
3年で移動する人や、担当者が変わってしまうかも知れない組織を信用できないのは当たり前。
このままでは、私自身が、期待してたけどガッカリだなぁの人になってしまう。
期待値が大きければ、大きいほど。
そんな時、やっぱり頼りになるのは先輩協力隊の人たち。同じようにあちこちに頭をぶつけ、同じように悔しを思いをしながら何年も頑張ってきた人たち。
その中のひとりに、こう言われた。
『何だって無ければ作っていくんですよ!何言ってんですか!』
言葉はきついが紛れもない正論。
いや、正論だからこそ、きつく感じるのかも知れない。
村の昔の時代のジオラマサンプルがあればなという話だったのだけれど、その時の私には、それがもっと大きなことを指しているように心に響いた。
苦労をしてきた人たちの言葉は重たい。
その中に、努力や、苦しさや、悔しさがあるからこそ出た言葉。
そう、無ければ作っていけばいい。
少なくとも、今の私には、動かせる身体と仲間がいる。