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神様と妖怪だらけの島で、気づけたこと。
南国、奄美大島の更に南、大型バスの入れない秘境、いえ、奥座敷、宇検村で、『おひとりさま向けバス観光ルート」を作成しながら、ふと思った。
通訳案内士としてどう仕事していくのよ。
これ、一体どうつなげるつもりよ。
自分でツアーを作って、どこかに営業でもかけるか。
それとも、気ままに自作のサイトでガイド料金を取って呼び込むのか。
もう一人の私が、耳もとで囁く。
それって《地域おこし協力隊》としてどうなん?
自分の事しか考えてないやん?
反対側の肩に乗った、更にもうひとりの私が、囁く。
代理店かバス会社と一緒に観光客流して、もう北部で稼ぐしかないよ。
あんた、生きて行かなあかんねんで。
団体バス乗れる資格あるから、外国語の観光バス作るとかさ。
煮詰まった。
完璧に煮詰まったとある日、祖母の故郷の人々が「ちょっと遊びにおいで」と誘う。
これからの観光にも何かしら役立つかもね、と、見学に行った。
(実際は、肉体労働が待っていた)
風もなく、梅雨時とは思えないほどの凪いだ海。空はどんよりグレー。
「はい、あっちの船に乗って」
その声に、大人しく従った。
その先には、予想していなかった、それはそれは美しい海の景色が広がっていた。
曇り空の下でも透き通る海。海の底まで透き通っている。
手が届きそうなほどの距離に見える巨大なテーブルサンゴ。
(実際はとても深い)
「挨拶に来てるよ」
船を操縦する人の声に横を見ると、イルカの群れがいた。
![](https://assets.st-note.com/img/1653911561323-tc5bjTVpnH.jpg?width=1200)
遠くに見えていたイルカたちは、船と遊ぶように船の下をくぐって顔を出し、勢い良く息をした。
「サービスだね」同乗する地元の方から声が飛ぶ。
「こういう観光も稼げるんじゃないの?」と笑い声も聞こえる。
恐らくは、協力隊としての私に向けられた言葉なのかもしれない。
この島には、というより、この村には、あちこちに神様がいて、
歓迎してくれたり、𠮟ってくれたりする。
村のどこにでも、ケンムンという妖怪がいるらしく、日が暮れると誰もその話をしたがらない。
何か不安なことある時には、強烈な胸騒ぎが身体を襲う。
この村に来て初めて「胸がざわつく」という感覚を覚えた。
その度に、「深呼吸してごらん」と教えられた。
明日が楽しみで仕方がない時には、雨模様だという天気予報も外れて
あり得ないくらいの太陽が顔を出す。
イルカたちは、「頑張れよ!」と言っているようにも見えた。
何故、頑張れよ!と感じたのか。
そう、この後、実はなかなかの労働が待っていた。
それは、ようやく大きく育ったモズクの収穫。
神様の島の、澄んだ海で育ったエネルギー満タンのモズク。
北部でも有名なのだけれど、ここのものはなかなか希少で手に入りづらいらしい。知っている人は、わざわざここまで買いに来るという。
この日、船に同乗していたのは、そのお手伝いをする地元の方たち。
どんなところで実際にモズクが育っているかを確認しに行っていた。
そこに混じり込んだ素人感満載の私。
港に戻り、
「楽しかったね。イルカ可愛かったねぇ」
などと談笑していると間もなく、山のようにモズクを積んだ別の船が戻って来た。船から降ろされるモズクの量に唖然とする。
どんだけあんのよ。
「今年は、少ないから」
という言葉が信じられないほどの量。
![](https://assets.st-note.com/img/1653914248792-SqLNWDNyYm.jpg?width=1200)
この後、泥を落とし、ゴミをはじき、を繰り返す作業が待っていた。
時折顔を出す、カニ、ウミウシ、極小の小魚、そして正体が不明の長いうねうねする物体、絶対もずくじゃない海藻たち。
それらを分別しながら、ぷにぷにした丸いウミウシを触る度、いちいち声をあげていた私。「かわいいじゃない」という人々。(絶対無理)
それでも見慣れてくると、それらを取り除くのに集中して、どんどん無口になっていった。
周りは楽しそうに会話が弾んでいるのだけれど、素人の私は話をする余裕など全くない。
時々話を振ってくれるお姉さまたちの問いに、まともに答えられない私。(相当失礼)
ひたすら動かす指先。固まる肩。痛む腰。霞む目(これは年齢のせいか)
ふと横を見ると、海に投げ込まれる物体を待つウミガメが顔を出している。
どうやら数匹いるようで。上に乗れそうな大きさ。
皆さん見慣れ過ぎていて、全く騒がない。
(いるのが当たり前状態)
黙々と作業すること数時間。
もう、モズクが、すき焼きの最期に残った美味しいしらたきや、ソースこてこての焼きそばに見えてきた頃、昼休憩となった。
と思ったら、弁当を食べ終わる頃には、モズクを買い求めるお客様の長蛇の列。
まじかい。
今度はひたすらパック詰めをお手伝い。
そしてまた、長蛇の列が消えた頃、黙々チェック作業に戻る。
そんなことを繰り返しているうちに、昭和の名曲が流れ始めたことに気が付いた。iPhoneをスピーカーに繋げている模様。
どこでも住めるようになった。
良い時代に生まれたな。
ふと手を止めて、一緒に口ずさんだ。
映画とかで《地方に流れついた主人公の母親(主人公ではない)が、漁港で頑張ってるシーン》
その背後に流れる昭和の名曲。
まさに今の私。
などと感傷に浸りながら、作業を続け、夕方になってようやくその日の作業が終わった。
そうして、優しいオーナーがご褒美にと少しお裾分けそしてくれた。
そうそう、映画もこんな感じやん。
この後で、出会いとか、かつて付き合った男とか、別れた亭主との再開とかがあんねん。映画では……。
後日、その美味しさに感動して山盛り買うことになったのだが。
オーナーさんの、作戦勝ち。
その日、雨は何とか降らずに作業終わりまで待ってくれた。
もずくは、その夜、美味しいスープの具となった。
お姉さまたちが、『桜エビとモズクの天ぷら』がいいとか、
『島うりと塩昆布のお漬物に刻んだ島ショウガ』が美味しいとか、
さっと湯がいて、『そうめんつゆ』で食べると絶品よとか、
『卵焼き』に入れると塩要らずとか、
美味しそうな数々のメニューを色々教えてくださったのだけれども。
みそ汁=洗って投げ入れて終わり
という誘惑には勝てなかった。
だって、家に戻った時は、全身モズクまみれで、足パンパン。
そうめんつゆは切らしていた。
(実際は、さっと湯がくことさえできない人)
自分が作ったとは思えない美味しいモズクの夕食(味噌汁)を食べた後は、速攻眠って朝まで全く起きなかった。
ここの人達が、皆健康で元気なわけだと思った。
こんな風に熟睡するって、何年ぶりだろう。
実際のところ、抱えている問題のいくつかは、全く解決していなくて、
悩みは悩みのまま存在していて、ここ最近では毎日、YouTubeのどこかにヒントないかしらね。などと、他力本願的にぼ~っと画面を見ながら深夜に寝落ちしていた。
そうよ。私はもともと早寝早起き体質。
何のためにここまで来たのか。
何のために地域おこしの仕事を選んだのか。
何のために通訳案内士をしているのか。
なんか、大切なことを思い出した。
もし、ものすごく悩んでいることがある時には、
一度、思いっきり、単発の一日アルバイトでもいいので、
誰も知らない人達ばかりのところで思い切りいい汗流すってのもいいもの。(お金も手に入るしね)
その仕事の質がどうとか、
その仕事をどう思うとか、
その仕事がどう思われているとか、
自分がどう思われているとか、
他人がどんな仕事をしているとか、
誰かと競う事とか、
結果を出すべきとか、
これまでやって来たこととか……。
そんなことが、どうでもいいのではないかな、他人の評価で自分の価値は変わらないよな。
変わるのは、他人が評価した自分の価値で、自分が評価した自分の価値じゃないよなと、思えた日。
他人が評価した自分の価値って、一体なんなん?
いや、別に評価していらんし。
勝手に評価せんといてくれる?
それ、本来の私じゃないよ。
今日も元気に生きていて、美味しいと思えるものがあって、眠いと思える。
それって、かなり素敵なことで、幸せなこと。
当たり前すぎて、また忘れかけていた。
自分がやりたいと思ったことをする。
それだけで、心が深呼吸する。
何も考えずに、何かに没頭して、
それだけで、身体が疲れて眠りにつく。
その事が、とっても人間らしいことなのだと、自然いっぱいのこの村の果てで改めて気づけた日。
この村の何もない素晴らしさを感じてもらえたらと思う気持ちは変わらないままなのだけれど、ひとつだけ考えが変わった。
イルカやカメが普通に泳いでいるこの村の自然を、壊してはいけないという事は当たり前として、だからと言って観光客を排除するというのは違う。
希少な植物だから、誰にも教えないというのも違う。
そう思っていても、観光に対する反対派と賛成派は常にいて。
ずっと賛成派の私、でも、それを決めるのは、私ではないのでは、と。
どんなに観光政策を推し進めようと、魅力が無ければ人は来ない。
逆に、何もしなくても、本当にそこに魅力を感じる人は自ずとやって来る。
代理店の人達の言う、「人は観光の魅力であってもお金にならないです」は本当なのか。
映えるカラフルな写真が取れて、美味しそうに写る観光客向けの食事があって、24時間買い物ができる豪勢なホテルのプールでビキニを着て泳ぎたい。
大変申し訳ございませんが、そんなものここにはありません。
しいて言うなら、島内にはございます。
ということで、ここは「お金にならない」所なのか?
確かにそういう観光を望む方には向かない所。
その代わり、服のまま泳ぐのが普通のビーチがあり。
人との距離の近い生き物が沢山いて、
希少な植物が普通に咲いていて、
珍しい蝶が、珍しくもなんともない。
珍しい鳥も、珍しくもなんともない。
珍しいウサギも、普通にいる。
夜になったら、真っ暗。
コンビニはない。夜になったら寝る。
どうですか、行ってみたいと思いましたか?
そんなあなた、ここへ来て、何もしない贅沢を味わってください。
都会の喧騒で疲れ果てた心を、作られた観光でなく、本物の自然で癒せます。
ただし、日帰りや一泊ではその良さに気づくことは難しいかもしれません。
毎週のようにテレビクルーが来るようになった村。
これから先の展開がとても気になる昨今。
インバウンド旅行者の受け入れも再開しようとしている今、私にできることは何なのか。
これから必要なことを、どうやって観光と結びつけるのかはとっても大きな課題。(正直、誰かに手伝って欲しい)
どこにどうやって、何を使って広めるか、の部分はこれから考えるとして。やっぱりひとり旅バスルートを、ここ宇検村中心に作り上げたい。
(もうちょっと待って。お願い)
たとえそれが一円にもならなくても。