奄美大島宇検村湯湾さんぽ その①: 人と歴史と変わらないこと-丸田旅館-
空港からバスや車で2時間。
名瀬市内から1時間の距離にある、宇検村。
海の綺麗な屋鈍集落や、釣りイカダで有名な宇検集落へ行くには、そこからさらに車やバスで30-40分。とんでもなく遠い。
「呼ばれた人しか来られない」と言われるが所以。奄美の秘境。山と海に囲まれ、湯湾岳一帯が世界遺産エリアに属している村でもある。
残念ながら、前回の豪雨災害の為、宇検村側湯湾岳展望ルートは、来年3月まで登れなくなった。
観光には大打撃。
ようやく感染症の大打撃から立ちあがろうとしていた矢先。それでなくても飲食店が5件ほどしかない村なのに、とうとう閉めるお店も出て来た。
旅館も続けるだけで精いっぱいだという話を聞いている。
その宇検村の中心部にある湯湾集落。
2,3時間もあれば、観光地をお散歩して回れる。
厳密に言えば、観光地ではないので、観光情報がない。あっても店舗個別にしかない。
バイクマップはあるが、何のこだわりか村に直接来た人以外には渡さないという製作者のポリシーがあるらしく、ネットにも載せないらしい。
ここまで来れば手に入るので、それでもあるだけましなのだけれど、掲載されている情報はとても少ない。
新しくできたまんま食堂も、前からあるかじまる茶屋も載せた地図が欲しいと思っていたが、ようやく見つけたのはどちらも載っていない郵便局に貼られたマップ。
広告地図の縮尺は全く当てにならず、表示されている店舗の大きさは、恐らく支払った広告料か、関係機関との兼ね合いによるものと思われる。
(タイトル写真:湯湾エリア地図 商工案内板)
湯湾は役場があって、比較的新しい住宅ばかりが目立つエリア。観光地らしくはない。普通の住宅街に見える場所。いわゆる人工埋め立て地。
けれど、ここには宇検村の誇り「開運酒造」の工場と店舗がある。数少ないけれどのんびりランチを取れる場所もある。
市内からひと山を越えやってくれば、宇検村唯一の信号が見えてくる。信号を左折して、運動公園の所をまた左折すれば、開運酒造へと道は続く。
反対に、信号を右折してガソリンスタンドを過ぎればまもなく役場への入口が右側に見えてくる。その向かい側、信用組合の隣には市内から1時間かけてやって来るバスが停まるバス停がポツンとある。(トイレ完備)
ここでバスを降りた人は、「ここからどうすればいいの?」となるかもしれない。
歩いているおばあがいたら、是非笑顔で「こんにちは」と声を掛けて欲しい。行先を告げれば、きっと教えてくれる。
信用組合斜め向かいの村民憩いの場、「善時庵」が開いている時間ならば、絶対に誰かがいる。
そもそも、新村からバスで来るならば、まず乗る時に「どこで降りるのか?」を伝えておかねばならない。というよりも、先に運転手さんが「どこ行くの?」と、目的地を聞いてくれる。
バス停でない所でも、ルート上なら降ろしてくれるという有難いシステム。
誰も歩いておらず、善時庵も閉まっていて、どうしていいかわからなければ、ともかくバス道を少し戻って、信用組合からすぐの宇検村役場を目指してみて。平日ならば、誰かがいて、必ず助けてくれるはず。
さて、土日祝なら、バスを降りたらどうするか?
休日には、ガソリンスタンドさえ閉まる村。
レンタカーで来るならば、住用町の「ラ・ムール」というガソリンスタンドが最も宇検村から近いという事実(と言っても車で30分かかる)。
土日には村民も市内に買い出しに出ていて、更に静かだったりする。
そんな時は、開運酒造さん(12時から13時はお休み。16時まで)か、市場(ケンムンの館:新年を除き無休。朝10時から夕方18時まで)へ向かえば、きっと誰かがいる。
10月からはバスの時刻表が変わり、新たなバス停もできる。やけうちの宿、コテージやきょらむん館に宿泊ならば、湯湾バス停では降りずに、その次のケンムンの館で下車を。目の前がやけうちの宿なので、バス旅でも宿泊される方には、とても便利になる。
湯湾はかつては、かなりの賑わう港だったらしい。木材を積んだ船と積み込む為のイカダが川の上にひしめき、商店街には沢山の商店が立ち並び、何軒もの旅館があって、早足では歩けないほどの大勢の人でひしめき合い賑わっていたとか。
今や、かつての面影はどこにもなく、さびれて放置されたままのトタン屋根の家兼店舗と、窓に材木が打ち付けられたままの木造民家があちらこちらに見受けられる。
その賑やかだった商店街の場所って一体どこ?という感じ。
朽ちた木造を全部建て替えて、宿にできるならばかなりの数の観光客が泊まれるだろう。
世界遺産、湯湾岳を背後に控える、透き通る海を持つ村。賃貸可能な新築住居や事務所可能な住宅が出来れば移住者はどんどん増えるだろう。
けれど、その為に自ら動ける持ち主などいない。
それが現実。ここにくる前、そういう事務所をまず作るのだと聞いて信じていた私。旅行社の窓口もそこに出来るのだろうと期待していた。
役場にはその財力はない。あれば、とっくに動いていたはず。それよりも先に、回さねばならない先があるのだろう。残念ながら。
まあ移住者が一時的に増えたところで、今40‐50代の人たちが20数年後、年金だけで暮らすようになった時、その上の世代も皆消えてしまっていて、既に公共バスも消え、自分で車の運転もできなくなった時、果たして、ここに留まる人はどれほどいるだろうかと思わずにはいられないのだけど。
空き家を解体する費用も、思いがけず物件を受け継いだ所有者には重くのしかかる。日本全国で起こっていることがここでも顕著に起こっている。
土地も家も手放すこともできず、朽ちていくだけの物件に溢れた村。
古い物件に、行政代執行を待つだけの人たち。
楽しげなイベントさえも白虚しくさえ見えると口にする村人たち。先にやるべきことに金を使えないのか、と。
でも、そればかりではいただけない。
何事もバランスが難しい。
船が移動手段ではなくなり、港の周りの広大な湾や入り江が埋め立てられ、綺麗な舗装道路が開通した結果、一山超えなければ辿り着くことの出来なかったそれぞれに異なる文化を持つ集落は、簡単に行き来ができるようになり、少しずつ独自の文化が消えていった。
そして近代的になれば、人が戻って来るというのは幻想だった。日本中で人口が減っているのに、そんなことあるわけがない。
近代化する一方で、残したいものが消えてしまう。人間の利便性を優先するか、不便でも自然と共に生きるのか。そんな選択を、絶えずこの村は突きつけられてきたのだろうと思う。
その様々な選択の結果、とうとう消えてしまう村と言われるようになった。かつて沼地だった地は埋め立てられ、そのエリアの外れに渡り鳥がやってくるようになった。
大きな養殖業者が高級マグロを養殖できるようになり、船を手放す人が増え、漁に出る人も減った代わりに、耕作放棄地となっている畑の場所を甦らそうと農家に転じる人もいる。
ここで作られる、他のエリアの会社のパールは、他の町と空港で高値で販売されている。
農地を守るためできた法律のせいで、農地を住宅地に変換できない。このせいで土地を販売することも、家を建てることもできない。結果、市内へと働きに出る、市内で暮らす。悪循環は繰り返されるけれど、住む場所さえあれば、せめて住民税は入って来る。
他に与えることばかりが多い村。自らは疲弊して行くばかり。いずれにしても、その時々で、考えられる範囲で「村民が望むもの」を選択して来たはず。
その数は、過半数ギリギリかもしれないけれど。
有力者にすり寄って利権を手にするのは、日本中、都会でも田舎でも同じ。けれど、その一票の重みが全く異なる投票率9割近い村。その一票が自らの生活に直結するかもしれないという不安と、投票すべき!という同調圧力もあるのかもしれないが、穏やかな村民は、時には強く団結する。
この村のおじいたちは「機動隊ともみあいになってまで石油基地反対運動をしてきた」ことを誇りにして今も語り続ける。
そのおかげで今でも自然は残り、世界遺産エリアに認定された。巨大な無人島は残り、マングローブの植林に向け動き始めた。
他所で木々を数千本も刈り取る予定を持ちながらマングローブを植える企業を見ると何とも複雑な思いがよぎるけれども、よもやここに石油基地を建てる気はあるまい。
一見、長閑にみえても、いろいろある。
一見、綺麗に見える海岸も、実は漂着ゴミで溢れている。役場の人たちが重機を出して、総出で清掃作業する日がある。
一見、自然だらけに見えても、山の奥深くには産業廃棄物が転がっていたりする。それを廃棄しているのは、勿論観光客でなく島で働く人。
辺りには、弁当のプラケースやペットボトルも転がっていたりする。
一見、穏やかな人たちは、その心の奥にとても熱いものを持っている。
「自己利益だけを追求する人達」を数か月もせずに見抜くのは、行政側の人たちではなく村で穏やかに暮らす人達。
そんなことを、この一年で数多く教わった。
環境に配慮することを謳い出せば、その為の費用がかさみ続ける。その為には村外の力に頼らざるを得なくなる。自力で賄う力がない限り。
たとえ数十年後に消える事になるとしても、最後の最後まで、ここに暮らす人々は見えない何かと戦うのだろうと思う。変わらずにいて欲しいと願う人と、変えていかねば若者が来ないと焦る人達の戦いはこれからも続く。
観光業の観点から言えば、最低限必要なものを揃えて欲しいと願うばかり。
旅行予約システムも、それに対応する宿の数も、公共交通機関も不十分。
「お客様の安全と、利益を守る」ことを第一優先にして保証できない場所というのが実情。手を出せる旅行代理店は、なかなか勇気があると思う。
旅行業は遊びではなく、人の命を預かる仕事なのだから。これも村外に頼らざるを得ない現状。
そんな宇検村の湯湾中心部には、今では3件の宿しかない。うち1件だけが、いわゆる近代的な造りの宿の、開運の郷やけうちの宿。埋め立てられたエリアにある為、残念ながら宿から海は全く見えないが、その静かなコテージが私のお気に入り。
他の2件は海沿いに立ち、地元に短期間働きに来る人達の為の宿として利用されている。
思い切り「田舎」に振り切ったような古民家的な建物は無く、コンクリートの建物が多い。しいて言うならば、トタン屋根の建物が並んでいるのが奄美らしい。台風被害の際、すぐに直せて手に入りやすい素材だからだという。
都会から平日にリゾート気分でやって来た観光客側には、トタン屋根は衝撃でしかない。
リゾートらしい海が目の前の環境の中で滞在したいなら湯湾中心部ではなく、宇検村の端、宇検集落や対岸の屋鈍集落をお勧め。
地元の人が、個人で経営されている宿が点在していて、ガイドさんが海や山へと連れて行ってくれる。ただし、朝夕食付きでないと、ご飯にはありつけない。店舗がないのだ。
これから民泊も増やしたいと思っているこの頃、村の人たちからそんなお話もでるのだが、工事費用まで出せる所はすぐにはない模様。
宿泊場所が増えれば、周り回って自分に帰って来るのでやりがいはあるのだけれど。
「そこまで頑張らなくていいのよ」
宇検村の宿泊施設の皆さんは、ほぼ口を揃えてそういう。
「てげてげでよい」、と。
(「てげてげ」=いいかげん、ほどほど、という意味)
そんなてげてげな感じの旅館を、ひとつご紹介。
村に道路が無く、まだ船が輸送手段の中心だった頃からある旅館。
この村に多大な利益をもたらした林業に貢献された方をご先祖に持たれている宿。
かつて宿の目の前は船着き場でそれはそれは人で賑わっていた場所だったらしい。疲れた人達をもてなしてきた100年近い歴史の宿は、ご主人が改装してからも50年近いという。かなりの私財を使って作られたであろう玄関の床板は古い建物とは思えぬほどぴかぴかで、おそらくは柘植の木。
畳敷き6畳のお部屋はなかなかの年季の入り具合。築五十年、古い実家のようなタイル張りの風呂場。タイル張りの長い洗面台付き共同トイレ。男女が別になっているトイレのドアを久しぶりに見た。いわゆる「昭和中期レトロ」様式。
映画、『男はつらいよ』を思い出す。
今風にリフォームすればかなり使い勝手は良くなりそうな宿だけれど、相当な費用がかかるであろうことが容易に想像できる広さと部屋の数。
お掃除が行き届いているけれど、その古さは否めない。
2部屋分を合体させて部屋を倍の広さにリフォームできたら、小さな子供連れのご家族連れでも安心して夏休みに泊まれそうなのだけれど。
「建て替えたいんだけどねぇ。そこまでがんばるのもねぇ」
歴史ある旅館のオーナーご夫妻は、きっと複雑な思いのはず。けれども引退されるには早過ぎると思わずにはいられないくらいお元気で明るい。
どちらかというと、ご自宅の空いている部屋に泊まらせてもらっているような感覚の宿。
夕食には家庭料理が並ぶ。一度ここのお料理を食べてみたかった。ここ一番の売りは、このお料理と、オーナーご夫妻との会話だと思う。
フロントデスクの上部には、どこかのテレビ番組で偶然宿泊されたという芸能人のサインが宝物のように大切に飾られていた。
個人的には、玄関の左に飾ってあった、長い年月で黄色に変色した「かつての木造の役場」の白黒写真の方が気になった。
「宿の前は海だったんだよ。橋も無くて、反対側に行くのは大変だったよ」
そんな話を伺った。
宿の前の埋め立てられた港には、夜釣りを楽しもうとする人の車が数台並んでいるのが見えていた。市内あたりから来られたのだろうか。旅館に泊まっていない所を見ると、車中泊なのだろう。公共トイレも近いので、いつも週末には何かしら車が停まっている。
流行りの軽キャンプにもおすすめの場所。車中泊なら、車で3分のところには公浴湯、やけうちの湯もある。(水曜休)
軽キャンオフ会などご計画の場合には、ご連絡いただければ、村のルールなどお伝えがてら、色々と手配致しますので、是非こちらまで事前にご連絡を。(とか言いながら、この前もせっかく役場まで訪ねてきてくださった方に会えなかった。もう残念で仕方ない)
ちなみに、やけうちの湯は、温泉ではなく地元の公衆浴場、人工の入浴施設。地域の福祉センター内にあり、高齢者の方が福祉でも利用されるデイケアの場所。
「温泉だ」と勘違いして、過度な期待をしていくとがっかりするので念のため。
福祉施設という立場上、地元の人の強い要望もあってか、コロナ禍では観光客の方が入れてもらえなかったとかで、観光客にはかなり不快な思いをさせたようだけど、ようやく復活した。
近くで海水浴をした方や、車中泊の人が立ち寄ってさっぱりするには良い浴場かと思う。
未だに「観光客お断り」の看板を掲げる商店もある高齢者だらけの村。
こういうところ、なかなか融通が利かない。
こればっかりは個人の見解で店舗ごとに対応が違うので、そこはご理解を。
早朝の湯湾やけうち湾沿いには、神秘的な立雲が観られる。
車で通り過ぎる人に怪訝な顔で見つめられても気にせずに、湾岸沿いをのんびり歩いて散歩して欲しい。
宿のご主人から「これもどうぞ」と、いただいた島バナナ。宿の外の木になっているやつらしい。
まだ酸味があるから一日置いたほうがいいかなと言われたけれど、その酸味が好きな私としては、すぐ食べずにはいられない。
これから天然物の島バナナが溢れる季節。
近くの市場でも、家で撮れたバナナを丸ごと納品している人が沢山。
修学旅行で泊まったような懐かしい感じの旅館。オーナーご夫妻は、身体がきついからそろそろ引退かしらと冗談か本気か、優しい笑顔で受け答えをされる。
「続けてくださいね!」の問いかけに、はにかんだ笑顔で「誰か家族が続けてくれたら、また考えるかもねぇ」と呟かれた。
工事関係のガテン系の男性や学生さんをよく見かけていた宿。大きな部屋より、小さな部屋を多くしているのは、そういった経緯があったからだろう。
素泊まり(1泊4千円)と破格。けれどできればシマで採れたものを使った家庭料理を楽しんで欲しい(朝・夕食付1泊6千5百円)。
10月以降の価格は未定とのこと。
さてもう1件の民宿については、湯湾中心部からのバス旅観光のお話と共に、また別の機会に……。