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そうだ、奄美大島へ行こう(その2:宇検村の夜の山)

まさかの連続投稿をしている。
気持がざわざわ落ち着かない。その理由は、今日の津波警報。
厳密には、深夜の、津波警報。

移住してまだわずか。いろんなことが起こりすぎている。
持って来た神棚をいつまでも飾れずに丁重に箱に納めているせいか。

神様ごめんなさい。
あの、来月台座が来るんで、もう少しお待ちください。

お詫びをしながら神棚をクローゼットにしまう毎日。

「明日は朝早くに、字費(月の区会費)を納めに防災会館に行かなきゃな。地図で確認しておこっと♪」

そんなことを思いながら、昨夜は付近の防災マップを読んでいた。
何といっても、今住んでいるところの目の前は海、山はすぐ後ろまで迫っている。数日前には地響きがする地震があったばかり。

今思えば、あの地鳴りは、今回の前兆だったのか。

大阪にいた頃は、リュックに水や、着替え、非常食に靴なんかを用意していたけれど、こっちでは不要だろうと持って来てもいなかった。
阪神淡路大震災を知る人は、皆、携帯紙製トイレとヘルメットと大量の水、手動ラジオに懐中電灯、テントなんかも常備している人もいる。部屋に靴を置いて眠るのも普通だった。
幼い乳児を抱えている人は、これに粉ミルクと保温ポットにオムツと処理袋が加わって、避難袋はいつもパンパンだ。

「防災会館がある」という事が何を示しているのか、普通の人ならそこそこ理解して防災マップを読むはず。
でも普通じゃないから、理解できていなかった人。

「ふむふむ。この建物は2mの津波でも安全。こっちの学校の方は8mまで大丈夫か。ここから近いな、走ったらすぐやん。有難いわぁ」

そんなことを考えながら、うとうとしていた深夜。
とてつもない音量で《警報音》が鳴った。 

夢だと思って、むにゃむにゃしていたら、再びけたたましい音。

「何ごと?????」(ようやく起きる)

見つめた携帯の画面には、
《津波警報:沿岸部の方は直ちに高台など安全な場所へ避難してください》とあった。

地震があったのは数日前のこと。
その時は、ものすごい地鳴りと海が騒ぐ音で目が覚めたのだけれど。
今日のような大きな警報音はなかった。

「少しも揺れてないよなぁ……。誤報?」

そう思って窓の外を眺めていると、ものすごいスピードで目の前の道路を、車が何台も通りすぎ始めた。

しばしの、脳内処理停止状態。

??????????????????????

友人から、「3m級の津波が来る可能性がある」と、
「逃げて!」のメール。

??????????????????????

処理停止状態継続中。

一度深呼吸。

阪神大震災のあった同じ日まで二日。
この時期の満月頃には必ず何かが起こる。

お向かいからは、家族で声をかけ合われているような声が聞こえてきた。
波は静かで穏やかだ。引き潮も見えない。

潮が引くのが見えてからでも、間に合うのかな?

「神様、私が何をやらかしたか分かりませんが、ともかくお詫びします。
どうか、お怒りをお鎮めになってください」

まずは海に向かって祈る。(依然として脳内停止している)
そうしてから、パジャマの上から綿入りのロングコートを羽織った。
マイナス1度の内地から着てきて、全く使わなかった服が役に立つ日が、
まさか再び来ようとは。

そして、玄関で気づく。

ビーチサンダルしかないやん……。

そう、『日曜の朝になったら、防災会館で区長さんにご挨拶して、
字費(月会費)を納めて、それから市内にスニーカーを買いに行こう♪』
なんて、呑気に考えていた私。

こっちに来てからというもの、市内へは一度も出ていなかった。完全防備で市内へ行こうと思っていたけれど、神様がまだ行くなと言っているようだ。

やむを得ず一足しかない革靴を履いて、駐車場に向かった。
ダウンロングコート on パジャマ with 革靴姿。

お隣に電気がついていたので、ベルを押してみると、まだ動かれない模様。「もう少しここで様子を見ておくから。非難するなら山側がいいかもね」と、教わった。

この時、昨夜読んだばかりの津波・高潮時避難所(8m)の建物のことを、なぜ思い出せなかったのか。
停止したまま寝ている脳細胞たちよ、起きなさい。

でも、思い出したとしても、暗闇の中で行ったことの無い場所を見つけるのは至難の業。それに見知らぬ人が突然現れると集落の人を怖がらせることになったかもしれないので、思い出せなくて良かったのかもしれない。

お隣さん大丈夫かなと思いながら、一昨日登ったばかりの山側へと車を走らせようとするも、テンパっていてエンジンがかけられない。

呆れ顔のお隣さんが、車内の電気の付け方を教えてくれた。
ようやくキーの差込口が見える。
「あのね、運転するんならライト点けないとだめだよ。車のライト、点いてないよ」

はい。

何とか出発したけれど、何故か、皆さん反対側へ車を走らせている。
が、脳内停止したままひとり反対車線側を走る。
焦りすぎて、お向かいさんに声をかけそびれていることさえ忘れていた。
脳内停止状態継続中。

いつも朝に挨拶していた、妖怪ケンムンが住むと噂の大きなガジュマルが見えてきたので、落ち着こうと声をかけた。

「わたしなんか悪いことしました? 許してくださいね」

ガジュマルのあるバス停

(お昼間のバス停の景色。タイトル写真は、ここの裏側)

大きなガジュマルの木のあるバス停を通り過ぎた時点で、
「そうだ、こういう時は役場だ」と、脳内にひらめいた。
(徐々に脳内回線復帰中)阪神大震災のときの映像が蘇ってくる。

本当にひらめくべきだったことは、実は、
「ここを左折すれば、防災会館だ!」
なんだけど。なんで思い出せないかなぁ……。

それから車を走らせても、走らせても、いつもすぐ見つけられる曲がり角が見当たらなかった。

え?

そう。思いのほか、真っ暗。
ここに来て夜のドライブは、初めてだった。

「暗くなったら、外に出ちゃいけないよ」
ばあちゃんが言っていた言葉を守って、《お家に帰りましょう!》という
アナウンスが聞こえたら、その時間以降は絶対家にいる私。
(子供向けアナウンスと判ってはいるが)

み、見えないんですけど……。

はい。 役場への曲がり角、通り過ぎました。
海沿いを走っているので、胸のざわざわがおさまらない。
信号が見えてきて、ここから反対方向へ戻れると思い出し、角を曲がる。
そこから役場はすぐ。

……のはずだったのに、何も見えない。
どうやら、また、通り過ぎた。
というよりも、本当に、なかった。右に曲がれるはずの道が。
(暗さで見えなかっただけとは思えないレベルに)

もしや……、化かされたか。

そう思って前を見ると、真っ暗闇に白い光が左右にゆらゆら飛んでいる。

勘弁して。

ケンムンのお皿でも光っているかと思ったが、光に近寄って、正体を見て、ほっとした。
暗闇の中、ひとりの人が、懐中電灯を揺らして人々を誘導している。

「どこ行くの?」  
「あの、役場に行こうと思ってたんですけど……」
(新参者は、不審者以外の何物でもない)
「反対だよ」
「はい。ここでUターンしていいですか?」
「いいよ。誘導してあげる。もうちょっとこっちにハンドル切って」
車を誘導してもらい、運転が上手くない私は、必死にUターンした。
時間をかけて。
何とか反対方向へ向けた時、二方向から人がやって来た。
杖をつきながら歩かれている。

「あなた、皆を乗せて、役場の裏手の山に連れて行ってもらえるかな」

もちろんです。と言いながらも、その場所が全く不明の私。
引きつりながら、「道案内宜しくお願いします!」と皆さまをお乗せした。

移住して来て、この方たちと初めて交わした会話が、
「道案内宜しくお願いします」。

挨拶くらいせなあかんかった。
せめて、名乗らなあかんやん。
めっちゃ失礼な不審者やん。
(脳内電流微弱のまま)

ともかくも、ご案内いただくまま車を動かす。
役場があるはずの場所へ。

「ここ左よ!」

そう言われ左を見た。そのはるか先に、役場の灯りが見えた。

さっきは、本当に何の灯りも見えなかったんだけどな……。

左に曲がるや否や、「ここをすぐ右よ!」のお声。
皆さん、夜目が良過ぎではありませんか?
私には真っ暗に見えるんですけれども。

急な上り坂の山を車は登っていく。
側道には杖をつきながら、ゆっくりと歩くが見える。
申し訳ない気持ちで脇を抜け、そうして山を少し上ると、人が沢山いた。
恐らく、ここの集落の方たちだ。
(別の集落から来た、テンパった人)

皆さんを降ろすと、後ろからどんどん車が繋がって来るのが見えた。
「あなた、そこに停まると、皆があがれないよ」のお声が聞こえる。
焦りまくって、再び一人になった車をもう少し上まで登らせた。
そこにも数台の車が停まっていた。

「ここに寄せて止められるよ」の声で、前に進む。

運転が上手くない人が、駐車が上手い訳はない。
察していただけたのか、外にいた人が誘導してくれてなんとか停車した。
誰に言われたわけでも無く、皆が何かの役割をごく自然にこなしているように見えた。

「ひとり?」
外から別の誰かが、避難している人の数を数えられている。
「そうです」
答えてから、職場の人にとりあえず無事を伝えようとメールをした。

便利な世の中になった。けれど、今繋がるだろうかと思いながら。
阪神大震災の時は、15分後には全く何も繋がらなくなっていたけれど。

幸いメールは飛ばせた。
グループラインの既読数が増える。無事な人たちが分かりホッとする反面、反応の無い人が気にかかる。
上司に電話も繋がって「安全なところにいるならいいから、動かないでね」と優しい言葉を貰った。

はいっ、これ以上、真っ暗闇を前に進んで脱輪したくないので、
ここでじっとしています。

ふと、「役場にいます」という別のメール返信に気づいた。

そうだ、役場に行くつもりだったんだ。

絶対間違えようのない道を迷わされたのは、きっと神様が、
「一人で運転していないで、人を乗せなさい」と伝えたのだと思う。
あと一分早くても、遅くても、あの場にピッタリのタイミングでいなかったら、あの方たちを乗せることは無かった。

私がひとりで運転しているだけだったら、声をかけても、誰も乗らなかったかもしれない。
あの場にいて誘導してくれた人が、「この人に乗せてってもらって」と、声をかけたから、この不審者の運転でも乗ってくれた。

そんなことを考えていると、パトロール隊の車が、黄色いライトを照らし通り過ぎた。そして、1分もしないうちに戻って来た。

山頂が近いのかな? この山道の先、どうなっているんだろ。

気になって、車から降りて外を見た。
車のライトを消すと、真っ暗で何も見えない。

夜の山は”まっくろくろすけ”だらけ。ラジオの津波警報に関する放送の音と、あちこちで通話する声だけが聞こえてくる。

これって、絶対にハブが出る、っちゅうやつちゃんかいな?

慌てて再び車内に戻ると、携帯に着信があったことに気がついた。

区長さんだった。

そうか、区長さんに避難場所聞けばよかったんだ……。
ていうか、私、寝る直前に、防災会館確認してたやん。

こんなお間抜けなよそ者のことを気遣ってくれていることに感動し、自分の馬鹿さ加減にうんざりする。
折り返しの電話をかけ、いきさつを説明しようとすると、
「もう聞いているから大丈夫ですよ!」とのお答えが返ってきた。

誰から……? 隠れて動くことなどできないのね。

そうして私は決意した。

やっぱり、役場へ行こう。

車を動かそうとする私に、驚くまわりの方々。

「あの、この上に行くと、どこに行きますか?」
「湯湾岳の方だよ。途中で曲がると下って、役場側にも戻れるけど?」
「暗くて細い山道は脱輪が怖いのですけど……」
「なら、すぐそこでU切って降りる? パトロールの車がやってたでしょ」「?」
「前見ててあげるから、動かして」

言われるまま誘導してもらい、なんとかおっかなびっくり下へと方向転換し、山を下り始める。
少し下ると、沢山の人たちが固まって外で並び、肩を寄せ合うように座っているのが見えた。さっき降ろした方もこの中にいるはず。
外はかなり気温が下がって来ている。何せ深夜だ。
亜熱帯の島と言えども、冬の夜は寒い。きっとトイレにも行きたいはず。
大震災の時の映像がまた蘇ってくる。

「下に行くの?」車の外から驚いたような声をかけられた。
「はい。さっきの方たち、良かったらまた車に乗せますけれど」
「駄目だよ。まだ動いちゃいけないから。皆でここにいた方がいい」
「寒いかと思って」
「大丈夫だよ」

山頂側に向いて繋がる車の列と、並んで外に座る人たちの寒そうな姿が目に焼き付いた。急いで山を下り役場に着くと、思ったとおり役場に詰め、情報を収集して動く方たちがいた。

恐らく私は、ひきつったような顔をしていたのかもしれない。
心を落ち着かせようとしてくれたのか、明るい顔で声をかけ、迎えてくれた役場の方たち。全身の力が抜ける。

皆、慌ただしく動かれている。色々な準備があるのだろう。
何も出来ない私ができることは、邪魔しないようにじっとしていること。

「満潮が朝だから、長丁場になるから少し座って眠った方がいいよ」
優しい声をかけられて、安心しすぎて泣きそうになる。

「寒くなってきたね」
その声に、寒かった山の上を思い出して、それを何の気なしに伝える。
了解です!と返事が来て、あっという間に人が動き出した。

結いの力ってすごい。
私では何もできない。

しばらくすると、ひとり、ふたりと役場に来る人が増えてきた。
山から車で下ろしてもらった人もいるようだった。

長い夜。
テレビの画面には、市内などで大渋滞する車の列が映っていた。

警報が注意報に変わったのは、満潮時刻が過ぎた早朝。

やっぱ、テレビ買おう……。

外が明るくなって、避難して来た人たちが少しずつ家に戻り始めるのが見えてきた頃、慌ただしく動き続けている役場の人達に申し訳なさを感じつつ、役場を後にした。

部屋に戻って、お隣さんとお向かいさんは無事だったろうかと気になった。
そもそも、他の集落へと車を走らせた馬鹿な私。

以後、気を付けます。

そうして、再び区長さんに電話した。

「あの、今朝は今月の字費を納めに行く予定で……」
「また今度にしましょうか!」

そりゃそうだ。皆、徹夜明け。
失礼しました。

こうして、次に起きた時にはもう夕方前。
日曜日、短かかったなぁ。


(つづく)

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