いよいよ旧暦の送り盆
祝日こそ稼ぎ時、祝日には休みなし!の皆さま、お仕事お疲れ様です。
ええ、知っていますとも。
定休日の無い仕事や、平日お休みのお仕事をやっていると、一緒に遊べる友達がどんどん減ること。
でもね、本当の友達というのが、どういうものか誰よりわかるんですよ。
ラッキーだと思いましょうよ。
新盆の暦だと、今週土曜日から3日間お休みの方が多いのでしょうか。
奄美大島ではこの時期、航空運賃も高く、ホテルも人だらけの様子。
さて、最近の宇検村、マンゴー真っ盛りとなっています。
大きさも様々。お値段も様々。
箱入りは、贈り物やお土産として好評で、すぐに宅急便で発送される方も増えてきました。ナイフなどが無い旅行者向けには、カットされたフォーク付きのマンゴーもあります。超完熟したものがパックされております!
冷凍して持ち歩いて、ゆるゆる溶けた頃に食べるのもありです。
最近フルーツが増えてきて、あまりに量が多く、可動式の台座を二台繋げているのですが。ちょっと、悲しい思いをしました。
それは健常者の事しか考えていない狭い通路配置になっている事。
悲しいなと思ったのは、それが当たり前の場所であるという事。
「車いすの人なんかめったに来ないからいいのよ」という人がいる事。
これ、奄美大島ではまだ結構よく見かけます。
大手のスーパーでは、ダイバーシティが叫ばれる中、車いすでも、杖をついていても、手押し車でも歩けるように広めに通路を取っておられます。
通路にものを置く。という昭和市場なスタイルは、かなりなくなっては来ているのですが、激安スーパーを中心にまだ若干残っているようです。
「車いすの人が来ないから」という理由で通路を狭めているのですが、実際のところ、「あの市場は車いすでは入れないから行かない」と言われていることを、どれくらいの人が知っているのか。
通路にものを置き続けていては、入って来る福の神も入って来ない。
入りにくくなったと言われる理由は何なのか。気になるところです。
住み分けが出来て良い、といえばそれまでなのでしょう。
けれど、「入りたいんですが、良いですか」と、車いすで来られて入り口で悲しそうな表情のお客様を見る度、どうしてこの通路の狭い配置を継続するのだろうと思わずにはいられません。
いつか自分が、歩けなくなったらどうするか。
若い人だけでなく、高齢者も村から減っていって生活に便利な場所へ移るのではないか。そんな気さえします。
「障がい者」は肩身が狭いのか、割合が少ないのか。
街では普通に毎日見ていた足の不自由な方や、視力障がいのある方を見かけることが、島では殆どありません。
車が無いと暮らせない場所は、身体が不自由になったら暮らせない所。
「障がい者」と「健常者」が一緒になるツアーをするたびに、お客様から
「日本は先進国だと聞いていたのに、ひどすぎるな。こんなに遅れているとは!」というコメントやレビューをたくさん頂いてきました。
それは、京都でも大阪でも東京でだって同じです。
「いつか自分も、歩けなくなる日が来る」という事を考えて、そういう方たちが不自由なく旅できる旅行先であってほしいなと感じずにはおれません。
いくつになっても、旅をしたい。
そう思う方は、少なくないと思います。
旅をする人、特にインバウンドのお客様の中には、沢山歩けないという方が本当に増えてきているなと感じます。
旅行会社のみならず、ガイドたちは下見の時、必ずそういうことをチェックし、バリアフリーでないところにはお連れしないという選択を取ります。
特に、トイレがバリアフリー化されていない観光地は、致命的。
さて、ここ最近ではランチ場所が無いという問題も。
お弁当が昼前に売り切れていて、残念そうに帰っていく地元の方や観光客を見ることが増えました。
「昼過ぎたら買う人がいないから」という理由で納品業者さんへの発注自体を減らしているのですが、実際調べたところでは「昼過ぎて行っても、いつもお弁当が無いからあの市場にはいかない」という評判が既に立ってしまっているという事実。名誉挽回までの道のりは遠そうです。
業者さんからは、せめてランチタイムが終わるまでは販売してください。
うちの信用に関わります!との声も上がってしまう程。
それもこれも、無駄を省く。勿体ないことをしない。という考えがベースにあって、それはそれで正しいとは思うのです。
フードロスゼロの観点からも。
でも無駄なこと、少しはあってもいいのではないかなと思ったりもします。
皆様、どう思われますか?
ところで、奄美では、旧の暦でご先祖様をお迎えし、送り出します。
昨日がお迎えの日、迎え盆でした。
お墓に行って、お線香をたいて、その線香の火を消さないように家まで持って帰ります。(消えたらもう一回始めからやり直し)
ご先祖様を家にお連れしているという事らしいです。
その線香を持って歩く人たちに対して、通り過ぎる村の人たちも手を合わせ頭を下げるそうです。
「おかえりなさい」と。
何とも感動的な光景ですよね。
集落によって色々違ったりするようなのですが。
祖母が、若くして離れた故郷には、もう我が家のお墓は無く、その行列を作ることができないのが残念ではあります。
最近では、共同墓地も増えて、お迎えの儀式も簡素化している……と、聞いていたのですが。
お迎えの日の前日から当日にかけて、あちこちのスーパーは、沢山の買い物客でごった返しておりました。
もともと朔日と十五日にはお仏壇やお墓に供えるお花が売り切れるのですが、その比ではない。
何なら、大阪や、京都の正月前のあの市場の緊張感です。
奥様達が大変なのは、いずこも同じらしく。
お掃除をして、お料理をして、親戚を迎えて、と、話を聞いているだけで、長男さんのお嫁さんは本当に大変そうでした。
大阪にいた頃は、数件のお墓参りだけで、ぐったりしていましたが。
ここでは、もっともっとご先祖様を大切にしています。
驚くほどに、ご先祖様との距離が近い気がします。
どの集落も、お墓が住んでいるエリアのすぐそばにあります。
正月よりも、お盆の方が大切。なんだとか。
さて、共同墓地に行くにもはばかられた迎え盆の日は、仕事が入っていて、お花を準備するだけで精いっぱいとなった不届き者(私)。
それでも、狭い部屋いっぱいにお供えを盛り、線香をたいてご先祖様を想いました。
といっても、頂き物だらけのお供え。
唯一購入したのはアイスクリーム。
(すぐに冷凍庫に入れないといけないものを買う愚か者)
反省しつつ、パッションフルーツ(時計草)を再度購入して、頂いた赤うりを煮たのですが、どうも味が決まらない。
唯一上手くできたのは紫蘇ジュース。
ううむ。これでは、この家の食事、あり得ないなとご先祖に言われそう。
同じ職場の方が言うには、ご先祖様たちはお盆の後に集まって、
「あそこの料理は最高(最低)だったよ」と、噂をするとかしないとか。
(まじか)
なるほど、女性の方たちの料理の腕が良いのはそういう事も関係しているのかと妙に納得。
普通なら、料理の腕を磨こうとするところ、普通じゃないので、出来上がった料理を買いに行く不届き者。
本物のシマ料理を召し上がっていただきたい、とかなんとか理由を付けて。
「あら、結局、自分が食べたい物、買ってきて並べたのね」
と、ご先祖様、言っている事でしょう。
何故って、日頃からお世話になっている業者さんのお弁当をお供えとした私。「これお供えにするんです」との私の明るい声に呆れながらも、せめてこれもつけてあげてと、和菓子を頂きました。
昼から売り切れているお弁当、直接買いに行くと、売っていただけるという事実。業者さん、やはりもっと売りたいのに、市場からの発注方式のため出すに出せないご様子。
発注していいよと上は言ってくれているのに、何故?か。
残った時にだれが責任を取るかで、結局話が進まない。
これはもう、納品される側が一日の数を決めて売った方が楽かもとか思うのですが。で、また話が戻って、残ったらどうするのか……。
ともあれ、かくして出来上がったお盆のお膳。
机いっぱいにお花とフルーツとお弁当。
ご先祖様、来年は、もう少し頑張りますので、許してくださいませ。
明日は送り盆です。ええ、勿論、私は出勤です。
ここでは、送り盆の「次の日」は山にも海にも入らない風習があるようで。
山に入るお仕事の方もお休みになるようです。
そう言えば、母も同じようなことを言っていました。
と、いうことで、次の土曜日はお仕事がお休みの人と、観光客で沢山の人になりそうです。
お弁当、山盛発注してやる。
残ったら、私が買うからいいでしょ?
宇検村まで観光で来られる皆様、くれぐれも、道中お気をつけて。
お昼ごはん、確保できるようにして来てくださいね。