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そうだ、奄美大島へ行こう(その1:宇検村の山)

奄美大島への移住サイト《ねりやかなや》のオンライン講座を受けたのは、確か半年ほど前。

5市町村全ての講座を受け終わって、
「実際に5市町村を見てみなきゃ、どこが自分に合うのかわからないな」と、航空券とPCR検査を予約した去年の夏。
世界遺産登録がほぼ決まって、感染症の広がるニュースばかりの中で、唯一明るい話題を届けてくれていた奄美大島。

騒がしく暗い街の片隅、ひとりぼっちの部屋で、ツアー予約のキャンセル
だらけの手帳を見つめながら、穏やかな祖母の故郷の空気感を思い出し、
明るい村への移住を夢見ていた。
思えば、この時点ですでに宇検村の事しか考えていなかった。

いてもたってもいられずに、墓参にあわせ、御礼がてら、奄美大島の役場に挨拶に来たのは、感染がおさまりかけていた去年の初秋。

オンラインでお話を聞いた方々に会いに役場まわりをして、奄美の寅さんにお礼を言って、お墓参りをして……。

ガイドの先輩K子さんのおかげで再び押し掛けることができた宇検村役場。
縁あって、わずか半年で、その村に移住することになった。

ご先祖様に導かれるようにあっという間の超スピード移住。
こうして、K子さんは、私の人生の大転換期の目撃者となった。

K子さんにも、移住相談に乗ってくださった役場の方々にも、
起業相談の時間を取ってくださった方にも、一生足を向けて寝られない。

宇検村で働きたい!と決めてから、わずか数か月。
「身体ひとつで来て、ゆっくりものを揃えて行けばいいから」
という未来の上司のお言葉に甘え、少しの荷物を送り、布団一組だけ抱え、
残りは事務所兼自宅に残して、とるものもとりあえずやって来た。

本来なら、集落巡りをしたり、短期であちこち滞在したり、
そんなことをいろいろ体験してから慎重に移住を考えるのだろうか。
奄美の寅さんの、『最近は二拠点生活も流行ってるからね』の言葉に背中を押され、ともかくやってみるかという事になった。

集落への観光は、このご時世いろいろ考え諦めた。もちろん集落近くに宿泊することも控えていた。祖母の故郷の共同墓地と、その近くの海以外のことは殆ど何も分からないままにいきなりやって来た。

普通の人は、もっと観光してからゆっくり働き始めるらしいけれど。
ここは、私にとっては観光する場所というより、心を取り戻す場所。

しかし、いつも同じ時期にしか来ていなかったという事を失念していた。

頼みの綱は《ねりやかなや》で教えてもらった情報のみ。
(それさえ頭に入っているか怪しいが)

何はともあれ、今回ご縁のあった役場の方が手配してくださった場所に
ありがたく素直に住ませていただくことに。
これも《ねりやかなや》の講座を受けていなかったら分からなかった。

何がびっくりしたって、出迎えてくださった役場の方の臨機応変度。
激しすぎる対応能力。
住む場所まで送っていただくと、その日の午後到着した少しばかりの荷物が既に家の中に置いてあった。

鍵かけないのね(笑)

家まで送り届けてくれた後、不具合のある場所をてきぱきと確認されると、すぐさまあちこちへ電話をかけ始め、あっという間に対応する人が次々に家にやって来た。

そうしてわずか数時間で問題を全てクリアして、笑顔で帰って行かれた。
『予想外のことが起こりましたよね~。いや~想定外でした』と、
笑いながら。

何をするにも時間をかけすぎるのんびり屋の私とは大違い。
おそらく私を受け入れることで、仕事の負担は爆増しているはずなのに。

一体、どれだけコネクションがあるのだろう。
人とのつながりの力、相互扶助の精神みたいなものを「結(ゆい)の心」と呼ぶそうだけれど、結の心インジケーターランプが、点滅し続けること半端ない。(たとえが変?)

何も準備をしていなかったので、一週間くらいは色々と手間取ることがあるだろうなと呑気に思っていた私は心底驚いた。

便利すぎる街に暮らして、「私は独りでも生きていけるわ」と、勘違いしている私と同じ考えのあなた。
ここで暮らす気なら、結の心メモリの増幅が必須です。

その日から、まるでずっと住んでいたかのように暮らし始めることができた私。その住まいは、綺麗で快適。(益虫さんたちはいるけど)
ま、ベッドが来るのはひと月先だけどね。

でも到着した時、外も部屋もぽかぽかで暖かいと思っていたのに、一週間で身体が気温に慣れてしまい、15度あっても寒くて暖房をつけるように。
今から請求書が来るのが怖い。

しばらくちゃんと家計簿を付けよう。
セーター持ってくればよかった。
そう言えば、役場の人が言ってたよな。ちゃんと冬は寒いですって……。
(心の声)

人の言うことをちゃんと聞かないとこうなる。

ああ、《ねりやかなや》の運営者の方にも足を向けて寝られない。
多分私はそのうちどっちを向いても寝られなくなるな。と思う。

住むところを貸してくださった方に御礼も言いに行きたいけれど、
今しばらくは出かけるのは控えた方が良いのかもと悩む日々。

そして買わねばならないこまごましたものが、日増しに増えていく。
市内までは一時間。買いに行くべきか行かざるべきか。

実際のところ、数日で食べるものとトイレットペーパーが無くなり焦った。何せスーパーが無い。一番近いコンビニまで車で30分ほど。
地元のとれたて野菜と果物は、すぐ近くで破格値で手に入るのだけれど。
人づてに聞いたある商店には「内地から来た人には売りません」の文字が。

今、外から来る観光客を怖がる気持ちはわかるけど……。
非常事態なんで、なんとか許してもらえないでしょうか。

見知らによそ者に顔をこわばらせるお店の方とお客さんたち。
お礼を何度も言い購入した、最も必要な品。それはトイレットペーパー。
小銭はもちろんトレーに置きました。怖がらせてごめんなさい。
でも本当に助かりました。
うう……背中に「検査結果、陰性」って書いて歩くわけにもいかんしな。

宇検村に来る前に、スーパーに立ち寄ってくれていたのに。
「必要なものを買っておいてくださいね」と言われていたのに。
人の言うことをちゃんと聞いて、想像力を働かさないからこうなる。

ともかくこの一件で、これ以上皆さんを怖がらせてはいけないと、じっと家にいることになった。
ネットで何でも買える時代に生まれてよかった。と、心から思う。

焦りすぎていた私のことを思い、若い移住の先輩が昼休みにわざわざ家から持って来てくれたペーパーは勿体なくて、使えずに家に飾っている。
(神棚へのお供え状態)

スムーズに事が運ぶときは、きっと『そっちでいいよ』と神様が言っているのだなと思う。
何だか手間取る時は、きっと『ちょっと気を付けて』と。

不思議なご縁で繋がれた村。
ドタバタはありながらも、やっぱり、私は『宇検村が好き』だ。

何故ですか?と聞かれても、答えるのは難しいのだけれど。
それって、紅茶が好きなのはなぜですか?
どうしてタンカンの方がオレンジより好きなの?
って聞かれて答えられないのと同じ。
(相変わらずたとえが下手すぎる)

本当に素晴らしいものや大切なものは、目には見えない。と思う。
人の心の広さや、温かさ、村に漂う空気感。
伝えることができないのがもどかしくて、友人に言うのはいつもこれだけ。

「とにかく遊びに来て。来たら分かるから。今の状況が落ち着いたらね」

空を仰ぎ見る程の大きなガジュマルに、山に飛ぶルリカケス。
温かい気温。カラフルな花たちや果実。曇っていても温かい空の色。
村の人の笑顔。人々の挨拶する元気な声。
戻って来る度に、ほっとする。

曇り空と花

にっくき感染症騒ぎが無ければ、もっと人と触れ合うことができるのに。
せっかくやって来たのに相変わらず部屋に引きこもって、これからのことをひたすら考える日々。
けれどラジオから聞こえるシマウタに、『てげてげにな~』と言われている気がした。

今年のおみくじに書かれていた、
「今から来年のことをよくよく考えておきなさい」の言葉。

ここで、何ができるのか。
どうやったら、様々な人にもらったご恩を返せるのか。

そんなことをふと若い移住の先輩に話したら、素敵な答えが返ってきた。

いただいたご恩を同じだけ返すなんて、絶対に無理ですよ。
私だってどれだけのことをしてもらったか数えきれないです。
『そんなおこがましいことは考えなくていいから、
そのご恩は、次の人へと繋げて行けばいいよ』って、
そう私も言われましたよ。

Pay it forwardの心。
それが、当たり前のように人々の心にある場所。
そうしよう、と思ってやっているわけではなく。
自然に。自然に。

どれくらいのご恩をこれからもいただくか分からないけれど。
返しきれないご恩を、次の人に。
そう思って丁寧に生きよう。人生の最期くらいは。

そういう人々の温かさが、この村の空気を作り出している気がする。
その中に、神様や、妖怪や、自然や、野鳥や、花々や、動物たちが共存する不思議な村。
私にとって特別なことが、ここではごく当たり前の普通のこと。

欲まみれだった、汚れた、我がままな心の自分。(恥)

きっとすぐには変わらないし、心配事は尽きないけれど。
ともかくこうして始まったのだから、こっちでいいという事だと信じたい。
この村に相応しい人にいつかなれるだろうか。

世界中からやって来る観光客が、素敵な笑顔の村の人たちと触れ合って、
みんなが笑顔で溢れている景色をいつか見たい。
観光で、村の人に喜ばれることって何だろう。
荒らされた観光地をたくさん見過ぎてきた私には、大きすぎる課題。

でもきっと、村のひとたちの笑顔が自然に出るようなことを最優先にしていけば間違いは無いはず。その笑顔あってこその観光の場なのだから。

順番を逆にしたら、多分、ばあちゃんにしばかれる。
きっと、あの世から、怒りのメッセージが届くだろう。
いや、その前に、妖怪にしばかれる。とも、思う。
いや、山の神様か。

この神秘的な魅力を伝えたい。その何処かに関わっていけたらいいな。

この様子じゃ、まだまだ先になりそうだけど。
そのための準備期間を神様に与えてもらったのだと思おう。
そう思いながら、今日もひとり、ネタ帳を作る。

やっていることは同じなのだけれど、これまでとひとつだけ違うのは、独りぼっちでネット情報やオンライン講座だけを見て作っていたネタ帳ではもうないということ。
移住の先輩たちの助言と、本物を見られるおかげで、その言葉はずっと説得力のあるものになりそうだ。

初めての宇検村での山歩き。
写真ではない本物の植物や鳥たち。

巨大なヒカゲヘゴを見て、「これは木じゃなくてシダ。人の破壊の象徴」と教えられた。人が道を開いた場所に陽が当たって勢いよく茂るのだそうだ。
ジュラ紀そのものの世界観を見せるシダ植物は、手つかずの自然にあるのではなく、人間が手を入れた証。その事実にまた驚いた。

綺麗な色の鳥や、生まれたての鳥たちが枝にぎこちなくとまる。
役場の窓にも何度も「いれて~」とぶつかって来ていた。
この島では、日本で見ることのできる半数近くの鳥が見られるらしい。
渡り鳥たちが元気に飛び交う村。野鳥の会の皆さま、ぜひお越しください。

赤土山

「あ! この並んで歩く風景見たことある! デジャブです!!」

そういう私に、スニーカーを貸してくれた先輩移住者はこう言って笑った。
(ほとんど着の身、着のままで来たから、革靴とビーチサンダルしか持っていない、とんでもない人間)

「あの、それ、疲れているサインらしいですよ。脳が疲れすぎていて、処理できなくて、通常と脳内処理が逆に動くんですって」

うむむ……。今週末は、しっかり休もう。
(どっちにしても、筋肉痛で動けない)

今日は筋肉痛。だけどそれが嬉しかった。
山歩き初心者の私にも優しかった、山の中の舗装済道路。
柔らかい土の上の方が脚には優しいのだろうけど、まずは靴と、長靴と軍手の三つを買いに行かねば。

全く苦にならなかった3時間近い山歩き。
(でも最後は、通りすがりの役場の車に乗せてもらって喜んだのだけど)
3万歩を毎日歩いてガイドした、充実していた日々が蘇ってくる。

因みに、通常、舗装道路を歩いている人はいない。みんな車なので。
何度も二度見されていた、歩くわたしたち。

山歩きなら集落の人を怖がらせることもないからね。
でも、まだ独りじゃとても怖くて入れない。
ハブもいるしさ。

一人一人の背中に感謝を込め、嬉し泣きしそうになりながら歩く。
(スニーカーに一番感謝してるかもしれないけれども)


さて、一昨日も、新たな移住者さんがやってきた模様。
おふたりで暮らすらしい。
そういう人が増えたらいいな。

私もずっと住むことのできる家をいつか見つけられるだろうか……。
住む所を見つけるのが、実は一番の課題なんだよなぁ。

てげてげに行こう。

(つづく)

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