![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85247840/rectangle_large_type_2_703a3c116639122b61f2bd04e96ac495.jpeg?width=1200)
奄美大島≠沖縄
いまだに勘違いしている人が多いのだけれど、奄美大島は鹿児島県にある。
長い歴史の中、琉球王国の統治があった時代もあるけれど、本日時点、日本国鹿児島県所属。(この表現が正しいのかどうかわからないけど)
でもって、ここでも何度かお伝えしている事なのだけれど、沖縄パラダイスを想像して奄美に来ると、「何か暗いね」と感想を言う観光客が多い。
ちょっと、どういうことよ?
「暗い」、とはどういう意味か。
多くの観光客のご意見をよくよく伺って纏めると、
「さびれた感がある」=「地味」=「陰気」という事になるらしい。
えらい言い草だわねと思いながらも、自分が初めて訪れた時にも同じようなことを思っていたことを久しぶりに思い出した。
今では、麻痺していてそんなことは思わなくなってしまっているのだけれど、一体何がそこまでの印象を生むのだろうかと考えた。
確かに、明るい《観光地》と言う言葉が当てはまるのは、空港近くの北部だけな気もする。
北部には山が少ないせいか、いつも晴れているイメージがある。
観光客は、北部の空港に着いた時にはワクワクしているのだけれど、
南下するにつれ、その「暗い」雰囲気を感じ始める。
中心部(名瀬市内)さえ、都会から来た人には、薄暗い気がする。
中心部エリアは、値段の安いホテルも多く便利なのだけれど、グレーの古びた建物だらけで、これまた暗い印象を生み出している。
潮風を受けるせいだろうか、古いまま朽ちていたり、錆やカビの目立つ建物も多く見かける。いや、もう、映画になりそうな景色だらけ。
昔ながらの市場エリアが、とてもいい味を出していて、面白い華やかさがあるけれど、ここも今では移住者がやっている店が多いらしい。
パッケージツアーでは、昼間はそういう楽しい場所には立ち寄らずに、人々と触れ合うことなくバスで遠くに連れて行かれる。
そもそも市内でさえ、昼間に明るく人で賑わう場所がない。
(夜の飲み屋街はある)
華やかな土産物屋さんがいくつも繋がるようなストリートはない。
(商店街はある)
街並み全体の統一感が無い。
(建物の色や形がばらついている。出来た時代が異なるのか)
だから、ツアーバスは観光地らしい場所を目指して南下する。
けれど人気のマングローブのある一帯も、いつもどんよりしていて、雨が多い。(だからあんなに鬱蒼としているのだろうが)
そしてさらに南下すると、実は瀬戸内は雰囲気は意外と明るいのだけれど、
見られるものが、戦跡が多かったりする。
そして団体ツアーバスは南から北まで駆け足で通り抜け、また薄暗い市内のビジネスホテルへと戻って来る。
ふと思った。その暗さの原因は、人々が暮らしている場所に観光客が訪れるという感が強いからなのかもと。
集落を抜ける道路が多いのも特徴。
もともと人が暮らしている場所なので、華やかさがあるわけがない。
万が一そんな場所があったとしたら、作られた観光地。
空港近くのエリアは、内地の企業が開発し、それっぽいリゾート感を醸し出しているけれど、一体見どころは?と聞かれると、出てくる内容を説明する度、重くて暗い歴史に繋がってしまう。
観光地として、文化や楽しみを見せると言うよりは、その重い歴史や、
どれほど大変な思いをしてここまで来たか、残していかねばならない文化への切迫感を前面に押し出してくる雰囲気があって、それが訪れる人に閉塞感や暗さを与えるのかもしれない。
ガイディングのネタ帳を作る時も、どうやったら明るい楽しい話に繋がるのかと、随分考えてしまう。
そして、考えた。広島とはどうしてここまで違うのだろうと。
あれほどの悲劇を体験した街なのに、明るささえ感じる街、広島。
最終的には希望溢れる人々のストーリーをいつもお伝えしていた。
日本にある栄えている観光地は、大抵は暮らす場所から程よく離れている。
デザインも、観光地化もしやすい。
有名観光地では道路に面した目立つところに観光客向けの店、その裏手に暮らす場所、ということが多い。
けれど、この島は両方が複雑に混ざり合っている。というより、観光客のために計画して造られていない。
暮らす人の領域が広く、観光地との区別が無い。
観光地化されていないと言うのはそういう事。
だから、観光客向けのバスもない。
だから、人の温かさを感じる反面、その奥深く根差した切なさや暗さもまた感じ取ってしまうのかもしれない。
世界自然遺産、奄美大島。
リゾート感を作り出そうとしている北部。
リアル奄美の人々が暮らす南部。
どちらにも移住者が増え、さらに複雑な色合いを見せている。
結局、自分が好きなのはどこなのか?という事なのかもしれないけれど。
北部が、内地の人の描くリゾートとして作られたとしても、そこはそれで今の奄美なのだろうと思う。
どんなに「造られた、内地の人の手掛けたもの」と否定したところで、観光客にとって、そこは既に美しい奄美大島。
そんなリゾートを希望して来る人には、そこが奄美。
島の人が、あれは奄美ではないと言ったところで、観光客には世間的には、それももうすでに奄美なのだから認めねばならない。
嵐山の様相がかつての美しさからすっかり変わっていても、
清水坂から清水焼がほとんど消えてしまっていても、それが京都観光地とされて人々が訪れるのと同じ。
どんなに否定しようがもうすでにそこはその場所の一部。
もうひとつのこの島の難点は、ひとつひとつの観光地が、どこもかなり離れていること。
ひとつに≪まとまって、インパクトのある≫「ザ・観光地」ではない。
≪一か所に、ひとつだけの観光≫なのだ。
これも暗さを生み出す原因かもしれない。ひたすら運転し続ける観光地というのはなかなかない。
一時間でぐるりと数か所巡れる観光地を想像してはいけない。
例えるなら、一日かけて高尾山に行ってから、また等々力公園に行く感じ。
奈良の大仏を見てから、どこにも立ち寄らずに、京都の金閣寺に行く感じ。
その間には、ひたすら山道で何もない。と、想像していただければその移動の大変さと、時間がいかにかかるかが分かっていただけるかもしれない。
北から南まで二泊三日でレンタカーで回ろうなどと考えていたら、車に乗っている時間が殆どの観光になる。そりゃあ、地味だ。
一か所行く毎に往復二時間は当たり前。滞在時間を入れれば余裕で三時間。
よって≪二泊三日≫で行ける場所はとても少ない。
午後に奄美着、朝に奄美発、なんてことになったら、訪れることのできる場所は一泊目に一か所、二泊目に二か所、以上で終了。
そこにナイトツアーをねじ込むと、ふらふらで寝不足の疲れる観光になる。
一日中車に乗っていましたね。と言う感じ。
ドライブ好きの人にはいいけれど、ひとりにばかり運転させていたら、きっと三日目あたりには疲れすぎて喧嘩が始まる。
運転だけでぐったりして、戻る時には運転し続けた記憶しか残らない。
初奄美をレンタカーで、主要観光ポイントを回ろうとすると、殺風景な道路の記憶ばかりで「地味だった」となるのかもしれない。
ゆえに、販売されている奄美大島へのパッケージツアーは、効率よく、無駄なく、近場だけをバスで回れるようにできている。宿泊場所は市内が多い。
大手代理店のツアーを批判する人もいるが、じゃあ、それに代わるプランを二泊三日で考えてみなさいよと言いたくなる。
訪れる人の立場に立てば、こんなに観光しずらい島は他にない。
そして島を離れる時に出る言葉が、「一回来たら、もういいね」。
本当の奄美大島は、やっぱり地味。それは事実。
世界自然遺産になったことで、観光客が増えたとしても、本当に自然を目当てに来る人は一体どれ位いるのだろうかと思う。
この島の良さ、この島の落ち着きを醸し出しているのは、実はこの、
「地味」な景色。
その特徴をさらに極めた場所が、宇検村なのではと感じる。
道路は美しく、中心部は普通の住宅街。観光地らしさは皆無。
けれど、ほんの一歩、山道へと踏み込むと、驚くべき景色が潜んでいる。
「もう奄美はいいね」、「移動ばかりで忙しくて、全然癒されなかったね」と思った人には、「宇検村には行ったことある?」と聞いてみたい。
二度目の奄美旅なら、ぜひ数日滞在するつもりでここに訪れて欲しい。
あちこち見に行く旅ではなく、ここにだけ、来てほしい。
自然以外、何もないことを楽しんで欲しい。
キッチン付きのロッジで、鳥の声を聞いて目覚め、ゆっくり朝食をとって、
運転することを一日完全に忘れ、焼酎工場併設の店で黒糖焼酎を飲み比べ、
ロッジで昼寝をたっぷりしてから、夜には地元の人と山に入り、
珍しい生き物を見て、晴れた日には青い海で一日中過ごして、あるいは、
一日中トイレ付きの釣りイカダの上で過ごし、時に海に潜り、夜には満天の星空や天の川を堪能する。
ホテルの食事に飽きたら、食べられる店は近くに無いからロッジで作るか、気ままに開けたり閉めたりする店に電話して予約する。
お天気が悪ければ、それはまた明日。
ああ、また見られなかったから、また来ようか。
そんな過ごし方が、暮らすように過ごすことが、似合う場所。
ここに暮らす人々は、なんというか、雄大だ。
北海道のそれとは違う、似て非なるもの。
のんびりしている、というのとも違う。
うまい日本語が見つからないのだけれど、
私が祖母が大好きだった理由は、ここにルーツがあったからなのだと今ならよく分かる。
雄大で、豪快。
控えめで、明るい。
それがごっちゃになっている。
必要なものを見極め、無駄なものに固執しない。
必要なものを作り出し、大切な人やモノに囲まれて暮らす。
神様や妖怪の存在を信じ、神様や妖怪と共に暮らす。
それらはみんな自然と直結している。
神様が、自然が、常に共にある。
噂話が好きで、誰かが病気になったことはあっという間に広まる。
そして、その人のことを本当に心配する。
外からやってきた人にも親切で、見返りを求めず、
喜んでもらおうなどという考えの前に、心を自然に配れる人たち。
買ってきたものよりも、育てたものや、作りだしたものに価値がある。
料理が上手く、美味しいものをいとも簡単に作り出す。
そういうものを交換し合って、日々新しい味を楽しむ。
(お願いだから売ってください)
お互いを助け合ってきた人々。
だから、頼りにされないと、とてもがっかりされる。
小さなコミュニティにありがちな、仲間外れも普通にあって、
こそこそ話も大好きなところが微笑ましい。
悪気があろうがなかろうが、その人はそういう人、と、相手にしない、
気にしない。
落ち込んでいる人がいれば、言わしておけ!と励まし合って飲んで笑う。
だから自然と集団が目に見えない線で分かれている。
どんなに相手を引き込もうとしても、無理なくらいに。
けれど仲が悪いわけでもない。適度な距離感があるだけ。
その分、仲のいい人たちとは深くつながっている。
観光客との距離の取り方は、人それぞれだけれど。
これは、きっと、ここに暮らす人にしか分からない事なのかもしれない。
事実、観光で訪れていた時と、暮らし始めた今ではその印象が違う。
暮らしてみなければ分からない喜び、大変さ。
何もないのに、暮らしやすい。
自分が自然の一部であることを感じられる。
それを感じようとさえすれば。
休日、雄大なという言葉で片付けられないような連なる緑の山々と、
どこまでも青い海を見ていると、それだけで心が癒される。
大阪にいた頃の、ひたすら毎日心が疲れ続けた日々とは比べ物にならない、心地よい疲れ。
アクティブに海へ山へと観光する人も、
何もせず、海を見つめたいだけの人も、
夜空の星を満喫しに来る人も、
可愛いウサギやウミガメやイルカに会いに来る人も、
珍しい渡り鳥を見に来る人も、
きっと心が癒される場所。
けれどそれを見るには、ゆっくりした滞在が不可欠。
ちょっと立ち寄る人だけの人に、そういう思い出はなかなか作れない。
二泊三日で奄美を全部観光したい、とか、沖縄のような街の便利さや、何でもすぐに手に入る環境を求めてここに来ると、確かに辛い。
期待は大外れの旅になる。
この巨大な村で、アクティブに山や海にと繰り出したくても、
海だけで一日、山だけで一日。
実際のところ、お天気次第でもっと滞在する必要がある。
何もせず、海を見つめたいだけの人も、ビーチに到着するまでに、村の中心から山道で往復二時間はかかる。
夜空の星を満喫しに来る人も、快晴の夜を待つなら、一日だけでは足りないかもしれないし、可愛いウサギやウミガメやイルカに会いに来る人も、珍しい渡り鳥を見に来る人も、それぞれに季節があり、一日だけの滞在で、会えるかどうかは分からない。
もぎたてのタンカンやパッションフルーツやマンゴー、島バナナを食べたくても、それぞれに季節があるので、一度の滞在ではまず不可能。
旅行代理店が作る数泊のツアーでは、この島の、この村の良さを全て伝えるのは難しい。リピートしてもらうための秘策を考えねばならない。
ましてや瀬戸内から北上する際に湯湾岳へちょっとだけバスで立ち寄るだけなら、何も見ていないのと同じくらい、殆どの名所をスルーしている。
川に飛び込む経験もできなければ、神秘の滝も見られない。
何もせず海に釣り糸を垂らす経験もできない。
満天の星空と天の川を見ることも、クロウサギを見ることもできない。
ここの道路は、アップダウンが多く、大きなバスは入って来られない。
団体バスは湯湾岳しか行けない。だから団体客は難しい。
利益がなかなか出ない。と、旅行代理店が、この村を敬遠する所以。
多くの人が、この村を知らない所以。
小型のしまバスで、左は山、右は海、という絶景を走り抜けると感動する。
その夕日の美しさ、夕日の中に客船が重なり合う様は本当に美しい。
けれど、それらを見るにはゆったり滞在する場所があちこちに必要。
バスは一日三本しかないのだから。
泊れる場所やバスをもう少し増やしたい思いで活動しているけれど、
道のりは長い。何より、この雰囲気を壊したくはないから。
いつか、そのようなツアーができるようになるのかは分からない。
けれど、海外旅行客向けに作るとしたら、かなりのロングツアーになるだろうという事だけは確か。
恐らくは、アイランドホッピング型になるのではないかと感じている。
日本に何度も訪れたことのあるリピーター向けのツアーになるだろう。
一週間で数十万円かけてやって来る人たちをがっかりさせないツアーづくりをしなくてはと思いながら、そういう人たちを受け入れてもらうためのインフラ作りがなかなか進まない。
でも、まぁいいか。
てげてげに行こうと決めて、ここに来たのだから。
ここは、心を癒す場所。あくせく観光する場所ではない。
是非、素朴な何もない時間を望む人に訪れてほしいなと、思う。
だから、どうか頭を真っ白にして、リゾートという固定観念を捨てて、
見たことのない自然を見に来るつもりで、ここに訪れて欲しい。
変わらない海や山の景色の中で、新しい建物と古い建物が交じり合った、人々が穏やかに暮らしている場所。
それを心地よいと感じてくれる人に来てほしい。
これからも、きっと変わらない景色が、あなたを待っている。