
たまには真面目に仕事の話:その11-通訳案内士ってどうよ-初仕事-
奄美大島での初めてのお正月
正月気分が全くない正月だった。
正月早々、大阪でガイドをしていたせいもある。
けれど一番の原因は関西の実家の付近に《しめ縄飾り》が殆ど見られなかったせいかもしれない。
それくらい祝う気分になれない環境の家が多かったという事か。
年末に数多く訃報を聞いた。
未だに施設に入っている方たちを最後に看取るのは施設の人たちということになっている。家族が最期に会えない状況を何とかできないのか。
悔やむご家族の声を聞く度にそんな思いになる。
家族のことを想いながら、静かに過ごした年末。
将来の仕事について考える間もなく、例年たてる元旦の新年の誓いもなく。
かつて年末にカウントダウンコンサートに言って騒いだ翌年、
死ぬほど忙しくて倒れた経験がある私。
これ以降、年末年始は、穏やかに過ごすぞと心に決めていた。
それでも、働いてしまう習性。
今年の最初の仕事は通訳ガイドだった。
昨年の初仕事は、地域おこしとしての挨拶だったのだけれど。
毎年、年の初めにする仕事で一年の柱になる仕事を占う。
恐らく今年は一年中この仕事になるはず。良いお客様で良かったと思った。
もう少しベテランになれば、正月から働かずとも余裕で年を越せるのだろうなと思うけれど。
それでも私はきっと仕事があれば、依頼があれば、正月から働くのだろう。
「日本では花火を打ち上げないの?」
年末年始に仕事を受ける度、この質問が出る。
世界中があなたの国と同じだと思わないでいただきたい。
『日本は神様に感謝しながら厳かに年を越す国なのだ。
花火バンバンしたら、神聖な除夜の鐘の音が聞こえないでしょ!』
そんな風に毎回答えている。
まぁ、花火上げる所もカウントダウンしている所もあるにはあるけれど。
そういうことするとその年一年間、慌ただしくなるんだからね。
(偏見と思い込み)
もう何件対応したかも覚えてもいないけれど、毎回違う出会いがあって、
毎回お客様に御礼を言いたくなる。
そして、日本を好きになってくれて、また訪れてくれたらいいなと思う。
「いつか奄美大島にも来てください。世界自然遺産に認定されたんですよ」
この言葉を最近は必ず別れ際、アンケートの回答をお願いする際に付け足すようにしている。
お客様からのフィードバックは、ガイドにとっては宝物。
ガイドになりたてだった頃、毎回落ち込まされていた厳しい意見も、今では有難いなと思えるようになった。
ガイドを依頼するお客様は千差万別。
ハイエンドのお客様で楽々タクシー付きでも、召使いみたいに扱われたり、
お金を貯めてやっと日本に来れた!という人たちもいたり、
「時間がかかりすぎる。この時間内では回れない」とどんなに説明しても、公共交通機関以外は使えないという人がいたり、
それでも一生懸命友達同士で相談してランチをご馳走してくれたり、
ハネムーンで互いを見つめ合い続け、ガイド要りますか?という人たちでもやたらとチップを弾んでくれたり。
ガイド前に現地に訪れ下見をするたびに、毎回何か違う発見があって、
いつまでも勉強できて、いつまでも成長できる職業だなと思える。
80歳を超えたベテランガイドの姿を見ると、まだ自分も頑張れるなと思う。
年の初めが良いお客様だと、一年いい仕事に恵まれる気がする。
そんな思いで戻ってきた奄美大島。
戻ってくる飛行機の中で、ようやく新年の誓いを立てた。
「この島々を今年は全て巡る」
「インバウンドツアーをここで催行させる」と。

本当は、この島々で通訳ガイドの仕事をしたい。
それまでは、日本全国とこの島を行ったり来たりの仕事が続く。
厳密には、日本縦断のスルーツアーのお客様のルート一部として奄美大島が入ればいいなと考えている。
ああ、正月らしいなと思えたのは、今年初めて職場に出た日。
クロウサギの絵が、出迎えてくれた。

他にもふたつ別バージョンがある。新年に見かけた方はぜひ撮影を。
そう、私はガイド以外に幾つも仕事をしている。
分かっているつもりではあったけれど、そろそろ体力が限界のお年頃。
ゼロから物を作る作業は楽しいけれど苦労も多い。
国内ランドオペレーターとして動ける日はいつになるのか。
地域おこしという仕事をしながらどうやってそこに結びつけるべきなのか。
組織任せにせず、将来にわたって繋がってゆける人を見つけていく年にしたいなと思っていたら、新年早々色々な人からご相談がやってきた。
神様やっぱおるな。
そう言えば、ご先祖様エリアの神社へお参りしていないと思い出し、慌ててその方面へ向かう不届き者。
ハブが出ないことを祈りつつ鬱蒼とした熱帯林を抜けた先に小さな神社(祠)が姿を現す。「絶対なんかおるやん」的雰囲気。

上には祠が。勿論お供えは焼酎「れんと」
今年もここにいることができることを感謝。
そして奄美での今年初の対外的お仕事を始めた。
新年の各店舗を回る挨拶ことはじめ。
ガイドの大切な仕事のひとつでもある。
例年は、京都の各店舗やホテルを回っていたけれど。
流石に新年早々何度も往復は出来ない。今年の関西での挨拶は、新年互例会まで待とうと諦めた。
そして奄美の奥座敷、宇検村の、そのもっとも先の外れ(失礼)の集落の、さらに道路が行き止まりになる場所にあるカフェへ。
インバウンド客もきっと喜んでくれるだろうな、でも荒らされたくないな、
そんな思いでいつも訪れる場所。
また別の機会にでも記事を書こうと思っている。

消極的に営業中の店故、その日ももちろん閉まっていたのだけれど、
活動を始めたばかりのフリーマーケットのポスターを手渡せた。
もうすぐタンカンの季節、鮮やかなオレンジ色のマーケットが今年も賑わいますように。
ここでのインバウンドツアーが成功しますように、と祈りながら。
いくつものわらじを履いて走り回る日々。同じ目標を持つ人と一緒にやっていきたいけれど、ひとりでやるべきことの方が多い。
これって、ガイドの仕事も全く同じ。
そもそも人はひとりだと思っている。
期待するとがっかりする。だから、生きたいように生きよう。
期待では無くて、期待しないことから始める。
この考え方が、超ポジティブなのか、ネガティブなのか分からないけれど。
新たに通訳案内士となられた人たちのための新人研修が間もなく始まる。
自分がガイドに向いているか。
その研修を受けた組織が自分に合っているか。
本気でガイドを仕事にするかどうか。
同期ガイドのレベルがどれくらいなのか。
確認できる場でもある。
自分に期待しすぎないこと。
それがリラックスするコツ。
自分より有能なガイドは無数にいるのだから。
そして決して他のガイドのやり方を批判しない。
そのガイドのやり方が好きなお客様も必ずいるのだから。
でもいい所はどんどん盗んで真似して自分の物に。
勉強するだけではガイドではない。
ガイドするだけでもガイドとは言えない。
きっと、研修ではそんなことを実感できるのではないかと思う。
言語以上に、発現する内容や、人柄を見る先輩たちの怖い視線に耐え、評価され点数を付けられる。
そして鬼のように忙しい春のデビューシーズンがやってくる。
インバウンド解禁となった春、怒涛のインバウンドラッシュがやって来る。
空港のピックアップだけの仕事でも、お客様にとっては、そのガイドが日本の印象を決める。
誰もが日本代表として活躍できる機会が目前に迫って来ている。
「桜を見にはるばるやって来たのに全然咲いてないじゃない!いったいどこで見られるの? そうね、できるだけ人が少ないところがいいわ!」という質問に今から答えられるよう、準備をぬかりなく。
お客様の国籍が分かっていれば(連絡先国際番号でだいたいわかる)、その国や町の人口や面積を調べておく。
と、案内する場所との比較ができて話のネタが一つ増やせる。
そうやって今のうちにできる限りネタ帳を作っておく。
日本人とは何ぞや?
ということを自分自身に問うことを繰り返す不思議な仕事。
毎日語学の勉強は続く。ネイティブでもない限り。
それでもどうかお客様と共にバカンスを楽しんで。
無駄な笑顔は作らずに、でも「笑い」を忘れずに。
新たな一年が、ガイドと、観光のV字回復の年となりますように。