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もうすぐ、お盆

奄美大島では、様々な行事が旧暦で行われる。
そう、月と太陽の暦(太陽太陰暦)を使う国と同じ。

太陰、つまり月や天体の動きも考慮したカレンダーと言えばいいのか。
通称、旧暦。

新月の日が、1日(ついたち)。
新月を見たら、ああ。今日は1日か、と思う。
満月を見たら、ああ、今日は15日か、と思う。
自然と月の満ち欠けと共に今も生きる暦。
太陽の動きを基にする今の太陽暦とは違う。

1年が11日ほど短くなっているので、新暦と旧暦は少しずつずれていく。
そのずれを調整するための閏(うるう)月。1年が13か月の時がある。

毎年ずれていく日付。
韓国では、今でも誕生日を旧暦で祝うので、友人の誕生日をいつも間違える失礼な私。
毎年、誕生日の日が違うので、最初は訳が分からなかった。
そんなこと、通訳案内士なら知ってる!って?
でも、計算したことないでしょ?

先日、日本語の流ちょうな、長年の友人の韓国人ガイドと話をしていたら、そんな話になった。

今年は、旧暦のお盆の日付が、とても珍しい、と。

彼女の家のルーツは、いわゆる上流階級と言われた「両班(ヤンバン)」という身分らしく。長男の家。
それでなくてもお盆は身内が集まって、料理だけでも大変なのだそう。

似て非なる文化圏。
ここ奄美も、お盆はとても大切。
かつては沢山の人々が、同じ暦で生き、行き来していたのだろうなと思う。

毎年のおもてなしに大忙しの彼女のご家族。
オンドルという床下暖房がいまだに機能しているという事で、文化人類学者やら、建築家やら、日本の大学教授からの見学希望が次々来るらしい。

一度行ってみたいな。と言いながら、彼女に出会ってからもう10年が過ぎようとしている。最初の韓国旅行で出会った人だった。

某旅行会社で経由でツアーを申し込み、個人ツアーだからと奮発して全行程で個人ガイドを付けた。ガイドを付けないと、自分のガイディングのレベルが分からないよと言われたこともあったけれど、なにせ言語が読めない話せない。
未知の文化圏だったから。

まだ企業勤めで、通訳案内士の資格を取った方がいいと上司に言われ迷っていた頃だった。(資格のない通訳アテンド業務が違法だった頃)

当時は今ほど、若手歌手グループが騒がれていなかった気がする。
(いたけど、多分気にしていない)

初めての仁川空港で、笑顔で出迎えてくれたのが、彼女だった。
きりっとしたパンツスーツ姿。
歩きやすそうな靴。
バッグに沢山の荷物。
長い手足。(うらやましい)

会って挨拶するとすぐ、体調についての確認。
両替の確認。
市内到着までの時間を言い、化粧室にいかなくてもいいかの確認。
ハイヤーに乗り、到着までの韓国についての情報提供。
この旅行に目的。したいことの確認。食べたいものの確認。
アレルギーの有無のチェック。

そうしてガイドの間中、カフェで休憩する度、次の場所と思しき場所へ電話をしていた。どこへ行っても彼女のおかげで、大変手厚くもてなされた。

どこまでも顧客のリクエストの一歩先を行くガイディングだった。
彼女のガイディングは、今でも私のお手本。

ただひとつ、とても驚いたことがふたつあった。
空港からのタクシーの中、「パスポート、見てもいいですか?」と、
「部屋覗いてもいいですか?」と言われたこと。

いや別にいいけど? 部屋はなぁ……。

何ごとかと怯える心の声

部屋については、ハイエンドのお客様の部屋を見てみたいという事だった。
確かに奮発したけど、ハイエンドでもないぞ。スイートでもないぞ。
代理店が良い部屋とってくれただけだぞ。

後で知ったが、パスポートを見たがったのは、年齢が上か下か、どれくらい海外に出ている人なのか、どの国が好きなのか、を知りたかったらしい。
(それで何がわかるのか?)

ともかくも、相手の年齢で言葉遣いを変えるらしかった。
(日本語通訳やねんから、いらんやろ?)
一日違いでも、一時間、いや、一分遅かったらそれは下になるらしい。

それから、彼女は確かに対応を少し変えた気がした。
韓国は、年齢を重ねて訪れると、より親切にされるのね、と思った。
それが、儒教の精神に基づくものだという事は、後で通訳案内士の試験のために勉強をし始めて知ったのだけど。

まずはホテルの部屋に荷物を置くのが先。と、着替えることに。
普通なら、ガイドはロビーでお客様が戻るのを待つものだけれど。

荷物が重たいでしょ?と言いながら、半ば強引に荷物を持って、
彼女は部屋の中を確認していた。

やるな、このガイド。

呆れたのではなく、尊敬した心の声

そう、ガイドだって、ホテルに泊って日々勉強する。
カプセルホテルから、一流ホテルまで。
でも、殆どはビジネスホテルの確認。
というか、仕事で手配されることが多い。

一流ホテルに泊っても、お客様のいるフロアとは隔絶された、ガイド専用の部屋。
宿泊せずに、中を確認させてくれたらどんなにいいかとは思う。
恐らく、無理を言えば確認はさせてくれるのだけど。
泊まってみないと分からないことの方が圧倒的に多い。

カンファレンスとかある時で、こちらがクライアント企業の時なら、宣伝と、宿泊者用の部屋決めのために全クラスを見せてくれたりもするけれど、一介のガイドには冷たいホテルのフロント。(気のせい?)
会社を辞めた途端に、掌返しの塩対応。

彼女の気持ちがよく分かった。

そうして一緒に過ごした3日間。
私は、その国が、大好きになった。

行くまでは怖かった。
言葉も伝わらないのに、ぼったくられるんじゃないか、とか。
食べられない物だらけだったらどうしよう、とか。
夜にファッションビルに出かけたいけど、危険かな、とか。
(結局、彼女が時間外無料でついて来てくれた)

きっと、日本に来るインバウンドも同じような気持ちで日本へ渡って来るのだろう。

それから、ガイドされる側の気持ちが分かるようになった。
何を基準でガイドの良しあしを決めるのかは、人によって違う。
けれど、これがキモ…と思ったことがあった。

「相手が求めていることを、危険のない範囲で。強弱のインパクトで、少しずつ叶えていく」こと。「期待を超える何かを相手に投げられること」
「会話のキャッチボールが、上手いこと」
「知っている知識を、相手が退屈するほど必要以上に伝えない」こと。

個人旅行で、気ままな旅しかしてこなかったけれど、こうしてガイドに会うことで、その場所がこんなに好きになれた。その威力。この仕事に惚れた。

ガイドが果たす役割は、とても大きいのだと身を以って体験した。
酷いガイドだったなら、それ以降その国は大嫌いになるはず。
民間外交官と言われる所以。
かれこれ3年、訪れてはいないけれど、彼女は今でもガイドであり続けている。大ベテランガイドとして。
未だに人嫌いの私には、かなりハードルが高いことではあるけれど、私も、「ガイドを続けているよ」と言うと、彼女はとても喜んでくれる。
「あなたのおかげね」と言うと、「そう?」と笑いあう。

夏に北海道ツアーへ添乗ガイドとして日本へ来るはずだった彼女。
どうやらツアーが中止になったらしい。

同じ苦境を乗り越えてきたせいか、以前より互いの気持ちを語り合うようになった。
勿論意見が相違、衝突する時もあるけれど、自分の意見を押し付けたり絶対にしない。相手を説得しようともしない。自分が絶対正しいとは思わないが、相手の考えは受け入れられないこともある。
そういう考え方もある、という認識を互いにするだけ。

相手の文化や慣習や、考え方を肯定も否定もせず、ただ理解する。
その中で、自分が好きなところを見つけていく。
全部が好きでなくても構わない。
国際交流ってこういうことかな、と思っている。

今度、お互いに行き来できるのはいつの日か。

「奄美大島に絶対行くからね、ゆりオンニ!」
そう元気な声で、電話がかかってくる。

オン二、はお姉さん。歳上女性に使う言葉。
面白いことに、ここ奄美でも、年上の人には「姉(ネエ)」と、名前の後につける。どちらの国も、「親しみを込める」時につける。

オンマ(お母さん)、は、ここの島唄ではアンマと唄っている。
きっと言葉も昔はもっと近かったのだろうな。と思う。

地元の方たちが話す島言葉が、韓国語に聞こえてくるこの頃。
文化って、言語って、面白い。

さて、旧暦の7月13日、14日、15日にお盆がやって来る。
今の太陽暦の、8月10日、11日、12日となる。
旧暦のお盆の日が、8月13、14、15日より前。

いつも、8月13日、14日、15日よりも、旧暦のお盆が後だったので、調子が狂う。彼女も同じように言っていた。

似た様なお盆行事が韓国でもあるらしく、「秋夕(チュソク)」というらしい。今年は9月9日で前後はお休みだと言う。

これ、旧暦の8月13、14、15日である。

お盆からは、海に入ってはいけないと祖母は言っていた。
「きっと悪いことが起こる」と。
ここ奄美でも「彼岸に連れて行かれる」と言う人もいる。

夕暮れ時の海は、怖い。
夕暮れの山も怖い。

黄昏時は、「誰そ彼」時、「逢魔が時」ともいう。
この世にあらざる者たちと遭遇する時間。

ここ宇検村では、本当にそれが起こりそうな気がしてしまう。
映画、「君の名は。」にある現象だって、普通に起こりそうだ。

どうしても、湯湾岳の「夕日に真っ赤に染まる山」を見たくて、何度も車で上ったけれど、まだその景色には出会えていない。

というか、怖くて、赤く染まるまでいられない。
いつか快晴の日に、きっと写真に納めたいなと思っているのだけれど。

先日も、夕暮れ時間に山道を走ったら、ヤギの軍団(ファミリー?)に出くわした。

恐らく、父?であると思われる立派な角を持つヤギが、いつものように夕暮れに家路を急いでいて、うっかり道路に飛びだしたのだろうと思う。

父ヤギと視線が合い、彼は「びっくりした~!」という顔になった。
(そういう風に見えた)

その後に、少し小さめのヤギ(母?)。
その横に、さらに小さいヤギ3頭(兄弟姉妹?)。
車の前に飛び出した父に繋がって、父を信じて次々飛び出して来る。

父ヤギの後ろを信じて疑わずついて行くヤギ4頭。合計5頭。
そもそも時速20キロ程度で走っているので、大事には至らないけれど、
ヤギのお尻を追い、そのお尻を見続けること数分。

すぐに横に逸れるのかと思いきや、ずっと車に追い抜かれまいと、ドドッ、ドドツ、と軽快な足音で前を走り続けるヤギ。

アルプスの少女ハイジに出てくる、ペーターの気分。(わかる?)

1頭、2頭は普通に見るけどさ。
5頭って。
ほんで、なんでず~っと、前におるん?
なんで脇に避けへんの?

ハンドルを握りしめて呆然としている時の心の声

いや、インスタにあげたいけど、夕暮れ運転めっちゃ危ないし。
ハンドル握りしめるだけで精いっぱいやし。

携帯を取り出して撮影したいけど、絶対動けない時の心の声

ふと、気が付いた。
同じ速度で走っていると、延々前を行くのではないか。

繋がるヤギ5頭、プラス車。

少し速度を緩めてみた。
振り返る父ヤギ。走る速度を緩める。
後ろ4頭、同じくゆっくり進む。

そうして3回目の大きなカーブで(どんだけ一緒に走ってんねん!)、
父ヤギはようやく山の急斜面に飛んだ。
後ろ4頭、同じく飛んだ。左右に分かれて。

また、目があった。

勘弁して。

そうして、「ふん」という感じの父ヤギの視線を感じながら、カーブを曲がり、山頂方向へと車を走らせたのだけど。

それが、いつも働いている場所からすぐ裏手の山の、目と鼻の先であることに気が付いた。

やっぱり、自然の中に人間がお邪魔している。
そんなことを思いながら到着した湯湾岳展望台駐車場。

広々した駐車場には、人っ子一人いない。車もいない。
昼間に観光バスまで停まる場所なのに。

不思議な鳥の声。
迫る闇。

右に見える鳥居はくぐってはいけない。
不思議な世界に連れて行かれるというわけでは無くて、この時期、鬱蒼とした森の中はハブだらけ。
特に、暑い昼間を涼しい所で過ごしている彼ら、涼しくなってくると活発に外に出て動き出す。

左に行けば、展望台があり、夕焼けに赤く染まる山の写真が撮れる。
行こうか行くまいか。迷いながら車を降りて、写真を撮った時、辺りに一瞬平たい真っ白な閃光が、横に長くゆっくりと走った。

それは、夕焼けの太陽光なのか。
はたまた別の物なのか。彼岸への入り口か。

満月の日でなくて良かった。
あのヤギたち、止めに入ってたな。
上に上がれないように時間遅らせたな。

そう思い、展望台に上がるのは諦め、車に戻った。
帰り道、ヤギたちはすっかり姿を消していた。

次のみずかめ座流星群まで1週間を切った。
こういう時に、船に乗っていると、沢山の星が見られるのだけれど。

星が動いている。流星が来る。
夕やけに赤く染まる空に白い閃光。
やっぱり、これって、「君の名は。」の世界やねんけどな。
私は誰に会うのかな。

そんなことを思いつつ、自然だらけの村で、本当に川のように見える天の川が見られる村の、「星を見るツアー」の構想を膨らませた。


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