風習と慣習とならわしと
ここ奄美大島宇検村では、先月中旬から、豊年祭が毎週続いている。
そのうちの最後の祭りが来週なのだけれど。
移住間もない人や、観光でふらりと観に来る予定の方に、ちょっとした
「ご忠告、兼、プチ情報」をお伝え。
このお祭り、実はずいぶん前から、「参加したい」と言われていた観光客も多く、何度か役場に掛け合ったが、「地域のお祭りだから」、「神聖なものだから」的に参加が見合わされて来た。
ついでに言うと、コロナ渦で、観光客は実際ウェルカムではなかった。
マスクをせずに訪れた日には、嫌な顔をされまくっていた小さな村。
けれど、役場の大半の人が感染者となってから何も言う人はいなくなって、マスクをしている人もほぼいない。今やそういう感じ。
「わ」ナンバーのレンタカーが、あちこちで見受けられるようになった。
私はと言えば、関西圏の出張時に海外観光客の方をご案内する際、マスクをしないこともあって、逆に奄美に戻ってきた際には、最低でも2週間マスクをつけるようになった。高齢者の多い村。念には念を入れている。
私のせいで、おじい、おばあが倒れたらと思うと、怖くて仕方ない。
宇検村へお越しになる際は、くれぐれも体調を万全にしてお越しください。
(小さな診療所は、土日祝はお休みです)
そんな観光客が増加中の折、豊年祭の準備に余念がない集落の人たち。
地域の青年団の方々が、一番大変そう。
今年、3年ぶり(4年ぶり?)の祭りで、尚のこと力が入っているようで。
退院して戻ったばかりの私は、近づくべきではないと全身で感じた。
足手まといになること間違いない。
「あ」、「うん」の呼吸で指示しなくても、無言で動ける集落の人たち。
その見事な連係プレーは、ここに1年やそこら暮らしたからといって、身につく類のものではない。
集落によっては前日から、ほぼ徹夜で動いている人もいるらしい。
ご馳走を準備する人、酒をまわす人、婦人会の踊りの練習は、それこそ何週間も前から誘っていただいていた。
で、ここで、なんとか移住者が溶け込もうとして、善意で手を出したりなんかするととんでもないことになることを知っている私。
一度、踊りの輪の中に入ったことがあったが、「目で見て覚える」修行のごとく、誰も教えてくれるものではなかった。
とにかく隣の人の足を踏まないよう必死。それでも、笑ってくれるので良いのだけど。とにかく見て覚える。以上。
その習慣も、慣習も、ならわしも、集落の中で、どの人に従えばよいのかも、さっぱりわかっていない新参者。
「しきたり」、「序列」、「やっていいこと」、「悪いこと」の全てを教えてくれる人はいない。何かをお手伝いと思っても、いちいち教える人もいない。「知っていて当たり前」スタンスなのだ。皆まで聞くな!という感じ。
人によっては、疎外感を感じる人もいるかもしれないなと思った。
地元で生まれ育った人たちが、どんなに優しくて親切に接してくれても、その同郷の輪の中には入れるわけはない。
深く、強い、絆。故郷を愛する強い心。
新参者が、一朝一夕に身につけられるものではない。
何があるのか、何をすべきかをおおよそ教えてくれる優しい方たちがいて、そのおかげて、住んでいる集落のお祭りにだけは出ようと思っていた私。が、やはり体調は戻らなかった。
これは、神様が行くなと言っている。あなたが来ても厄介よ。と。
いずこの集落も、婦人会は、炊き出しの準備に余念がない。
ふりだし行列の為に、カミミチ(神通)も綺麗にされている。
まわしをつけた子供達だけは、楽しそうにはしゃいでいるのだけど。
ということで、そんなところへ観光客がふらりとやって来て、温かく迎え入れてくれるなどと思うべからず。
最低限、「寄付」という名の「参加費」(お花代?御礼?)を受付で支払いもせず、飲み食いしておさがりまで貰った日には、とんでもないことに。
今後、村に足を踏み入れられると思うなよ。
ということで、今度の日曜、宇検村の祭りが観たい!という皆様。
遠くから見ようなどと思わず、寄付という名の「参加費」をお忘れなく。
土俵のあたりに、受け付けている人がいるはず。
誰も、何も、教えてくれないし、何なら一番忙しい最中、そこら辺にいる人に声を掛けにくかろうが、たまたま声を掛けた人が機嫌が悪かろうが、寄付を渡したければ、誰かに聞くしかない。
「何も言われなくても、自然に動いてお手伝いができる」ことを求められ、何か指示をしないと動けない人は、来ないでくれオーラを出される。一緒にいて、かばってくれる人でも側にいない限り。
まぁ、よそ者を連れて行ったその人が後になって「なんであんな人を連れてきたの? で、寄付はいくらよ?」と言われるだけ。
住民全員の顔を把握している村の集落の人々。
「あなた誰?」、「何してるの?」、「あれしなさい」、「そんなのいいよ」と言われても、何が「あれ」で「それ」なのか、さっぱりわからない。
そんなドタバタも、後で思い返さば楽しいのだろうけれど。
完全に、「観光客」というスタンスで、受け入れるひとつの例ができれば、これから先の観光資源となるかもしれないと、期待はしているのだけど。
それでも、せめて寄付金という名の参加費を、頑強にでもお渡ししないと、ただで飲み食いしてお土産までもらった奴として後世に記憶され、きっと、皆の念が結集した罰が当たりますよ。
心置きなくご参加の為には、必須のなわらしでございます。
その後なら、一緒に踊ろうよ、なんて声もかかる、かも?しれません。
祇園祭や、三社祭のように、ただただ気楽に見に来られて参加できるお祭りとは違う、土着のお祭り。
文化体験に来られるもよし、お手伝いしたい気持ちで観に来ても良し。
ただし、寄付という名の参加費をゆめゆめお忘れなきように。
その祭りが、今後も続けられるためには必須の基金でございます。
これって、奄美全土、何処の集落に行っても同じなんだろうか。
市内の祭りは、もっと気楽な感じなのだろうか。と、ふと疑問に思ったのは、新聞にあった記事を読んだ時。
龍郷町では、25日に国の無形文化財指定された「秋名アラセツ行事」が執り行われる。その為の「ショチョガマ」が、4年ぶりに集落を見下ろす山の中腹に完成したという。
「ショチョアマ」、ビデオで見たことはあるけれど実物は見たことがない。
上に載った男たちが、それが倒れるまでチジンを鳴らし、叫んでいる映像。
宇検村のお祭りとは、全く毛色が違う。
ここは、大島。その慣習も習わしも、誰も教えてはくれませぬ。
お祭りを見にお越しの皆様、ご寄付をご準備の上、心してお越しください。
タイトル写真:宇検村の中心部、湯湾の漁港の近く。
ここから豊年祭の相撲が行われる湯湾の土俵まで、徒歩2分。