肩の手術から復帰までの道のり
少し前にはなりますが、先日の2017年4月22日以来1617日振りに試合で投げることが出来ました。最速は148km/hでした。
2017年4月22日は、イチローさんがプロ初HRを野茂英雄さんから打った球場として有名な悠久山球場で行われた、武蔵対新潟戦です。(新潟のトルス投手にノーヒットノーランされた試合)私のBCリーガーとしてのキャリアはそこで終わっています。
振り返れば、肩の故障は2017年3月の春季キャンプ中に肩の後方に違和感というか何かがぶつかる感じを覚えたのが最初でした。
当時は自分が肩を痛めるなんてことは全く想像しておらず、病院にも行かずに放置していました。正直肩の故障を舐め過ぎていたと思います。そりゃ、野球(投球?)の神様もこいつから肩の健康を奪って懲らしめてやろうと考えても不思議ではありません。
3月に違和感を覚え始め、そこから騙し騙し投げ続けてはいたのですが、5月になって肩の後ろのぶつかる感じが強くなり、痛みで投げられない状態にまで悪化してしまいました。今の知識があれば「ぶつかる感じ」というものが出た時点ですぐ「インターナルインピンジメント」を疑い、速攻で病院に行くのですが、当時の無知な自分はインターナルインピンジメントなんて知る由もなく、ただそのうち治るだろうと楽観視していました。
そこから、色々な治療院に行き様々なリハビリ(肩関節後方の拘縮を改善させる為にストレッチを沢山やったり、ローテーターカフを強化したり、体幹を鍛えたり、初動負荷をやったりと、思いつくものは当時の金銭的な限界が来るまで試し尽くしましたが、結局痛みなく投げれるまでの状態には
戻りませんでした。
その結果、肩の最初の手術を2017年12月20日に受けました。
その手術は「上方関節唇縫合術」でした。手術を受けるに当たって、大型書店や図書館を巡りまくって様々な情報を仕入れたのですが、分かったことといえば、関節唇のクリーニングなら90%近くの確率で復帰できること、縫合だとその確率は一気に下がること、さらに縫合で使うアンカーの数も1本、2本、3本と増えるたびに確率は下がること、最近は(2017年当時)関節唇の後上方はアンカーを使わって留めない方が成績が良いこと、などでした。
ただ、術後に先生から聞いた手術の内容は、「関節唇縫合」「アンカー3本」「11時〜13時の角度で前上方から後上方まで縫合」というものでした。
当時の私は、事前に仕入れた情報を踏まえてその話を聞いた時、逆に777が揃ってしまった気がして、絶望とまではいきませんでしたが「正直、これはもしかしたらダメかもしれない」という感情がよぎってしまっていました。今思えば、患者がこう思ってしまえば治るものも治らないと思います。これを書いている今、当時の日記を読み返していますが、まあネガティヴな書き込みばかりで正直読むのが辛くなるレベルです。
2016年初夏、テキサスに招待して頂いて以来、ダルビッシュさんからは様々なものを頂いていましたが、苦しかったこの頃もダルビッシュさんからは松坂牛ハンバーグやステーキ、牛モモ、牛タン、カニ、アスパラガス、馬刺し、白米、玄米など沢山の食材やリハビリに使える器具を送って頂いていました。メッセージもやり取りさせて頂きましたが、当時の私の周りに励ましてくれる人はほぼいなかった中(常に暗い人に関わりたい人は基本いないので当然のこと)、ダルビッシュさんは本当に優しく励ましの言葉を送って下さいました。それらがなければ本当に今どうなっていたか、考えるのも怖くなります。野球人生の恩人というだけでなく、命の恩人です。本当に感謝してもしきれません。
当時、ダルビッシュさんのお陰で何とかギリギリ踏み止まれてはいましたが、肩の痛みは相変わらずで、度重なる痛みにより副交感神経は優位になれるはずもなく、四六時中怒り、憎しみ、イライラ、嘆き、憤りなどの感情がたとえ笑っていても心のどこかにありました。そんな精神状態では治癒が進む訳もありません。
まあそんな状態でしたが、何とか藁にもすがる思いでリハビリは続けていました。当時は頑張っているつもりでしたが、今振り返ると心の底からの情熱というか希望が失われていたので、リハビリをやり切っていたかと聞かれたら、そうではなかったと言わざるを得ません。
12月に手術を受け、3ヶ月経って可動域は少しずつ戻ってきましたが、相変わらず痛みはあり、その状態は6ヶ月、9ヶ月経ってもあまり変わりませんでした。その時のキャッチボールはちょっと強く投げるだけで痛みが走るので、強く投げることへの怖さが完全に染み付いてしまっていました。
そんな状態がずっと続いて居ても立っても居られなくなり、2018年8月22日私はとある肩の権威の先生の診察を受けに行きました。
そこでその先生に言われたことが決め手となり、私はもう一度新たな手術を受けることを決心しました。
色々言われたと記憶しているのですが、そこで言われてはっきり覚えていることとしては「肩の後方組織が硬いからストレッチをするべき」ということと「関節唇の縫合は元々確率は高くない」ということでした。
肩の後ろが硬いというのは、もうそれこそ肩を最初に痛めたときからずっと言われ続けてきたことで、それまでも散々スリーパーストレッチなどは続けてきましたが、もうこれ以上柔らかくなる感覚はなかったどころか、やればやるほど肩が緩む感じがして痛みが増す有様でした。これも後年様々な学びを通じて(その時の私にとって)間違った取り組みだったことが分かるのですが、当時の私は知る由もありません。
そこで「まあこれ以上肩の後ろストレッチしても無駄だろうなぁ」と思ったのと、やっぱり肩の手術の予後は良くないということを肩の権威の先生から改めて聞いたことで、もうこの話を聞いた瞬間は今度こそほぼ完全に望みが絶たれた気分になりました。
その日は暑い夏の日だったのは覚えていますが、病院からどうやって帰ったのか全く記憶がありません。(まあ3年前なので覚えてないのは当然かもしれませんが)
そこから、しばらくは今後の選択肢を改めて考え直しました。その時考えたのは、
①このままリハビリを続ける
②もう一度同じ病院で手術を受ける
③拠点を変えてリハビリをする
④慶友整形外科病院でまだ実施例が少ない手術を受ける
この4つでした。結論から言うと私は④の選択肢を取りました。今思い返すと、これは私の人生の中でも最高の選択の内の一つだったと思います。
実は、この④の選択肢は2017年12月に最初の肩の手術を受ける前にもあったのですが、当時の私は簡単に言えば前例が少ないという事実にチキって回避してしまったのでした。
④の新しい手術を受けて痛みなく投げれる様になった今「最初にこっちの手術を受けるべきだったなあ」という後悔は全くないと言えば嘘になりますが、それは0.02%くらいのもので、2018年当時の「何で肩を痛めた時に楽観視しちゃったんだろう」とか「もっと早く病院に行けば良かった」とかの100%超の後悔に比べれば大したことはありません。
私が慶友整形外科で受けた④の選択肢の手術の名前は「関節上腕靭帯再建術」というもので、手術を執り行って頂いた船越先生曰く、簡単に言えば「肩のトミージョン手術」ということでした。
2018年の9月にその言葉を聞いた時、なぜか「それならもしかしたらいけるかも」と薄っすら思ったことを覚えています。肘のトミージョン手術は成功率が比較的(肩に比べたら段違いに)高いイメージがあったからかもしれません。私自身2015年の3月13日にトミージョン手術を受け、ダルビッシュさんの計らいによりテキサスのTMIでリハビリをさせて頂いたお陰で、時間は掛かりながらも復帰できた経験もあったので余計かも知れません。
肘のトミージョン手術なら、主に長掌筋腱を使って内側側副靱帯の代わりに使うのですが(他の筋腱を使う場合もあります。私は長掌筋腱でした)、肩のトミージョン手術(関節上腕靭帯再建術)の場合、ハムストリングスの一つである半腱様筋を切って、その名の通り関節上腕靭帯の補強として肩甲骨と上腕骨を結び付けます。その補強により、インターナルインピンジメントの主要因であった前方関節包の緩みを改善しようという狙いです。
例によって、この手術を受ける前にも情報収集を行ったのですが、前方関節包を締めるだけなら、熱によって関節包を縮めるシュリンケージという方法と半腱様筋など外部の組織を使わずただ関節包を縫い合わせて縮めるというプリケーションという方式があることを知りました。どちらも上手く行けば復帰まで半年ほどということだったので(関節上腕靭帯再建術は復帰までトミージョン手術と同じく1年程かかるとのことでした)、船越先生にそれらの手段のことを質問してみたのですが、シュリンケージは最初は良いかも知れないが、結局後になって緩みやすいということ、プリケーションは可動域が戻りにくく投手には向かないという話をして頂き、納得して関節上腕靭帯再建術を受ける決心が付きました。
そして2018年10月17日に私は肩の二度目の手術を受けました。その日のことは下記のブログに記録してあるので良かったらご覧下さい。
ただ、その手術を受けてからも全てが順風満帆といった訳では決してありませんでした。手術前「これはいけるかも」と少し思ったのは確かですが、勿論確証はなく、本当にキャッチボールができるまでは半信半疑のままリハビリを続けていました。
入院中にリハビリで行ったことの詳細は当時書いたブログに書いてありますが、担当して頂いた宇良田さんの元、アイソメトリック運動(肩関節内外旋、内外転)、シュラッグ運動、手指をひたすら動かすなど、地道な運動を続けてました。あとは、半腱様筋を失った左脚の運動もアイソメトリックで行いました。
術後1週間で退院して、そこからは週に1回通う形でリハビリを続けていきました。そこで宿題メニューを頂いて1週間やり込んで、また改善度合いをチェックしてもらってまた宿題を頂いて、の繰り返しで少しずつ改善されていった様に思います。
術後きつかった思い出としては、固定の肢位が肩関節外転90°だった事です。簡単に言えば、右手だけ挙手してる状態で24時間過ごさねばならなかったということです。箸は左手でも使えた方が良いと何かで知った高校1年生の時以来、左手で箸は使えたので食事の際の苦労はありませんでしたが、ひたすら寝づらかった印象は残ってます。
11月8日にギプスが外れてからは、本当に少しずつ可動域は拡がっていきました。ただ、無理矢理にストレッチした記憶は一切ありません。と言うか肩のストレッチをやり込んだ記憶は全くなく、あくまでも自然に任せて可動域が拡がって行くのを待ったという感じです。
そこから日常生活に支障がないレベルや、2月下旬あたりに重いものを持つ許可が出てウエイトをしっかり出来る様になるところまでは割とスムーズにいったと記憶しています。
ただ、投げるとなると話は全く別で、相変わらず軽く投げても痛いし動きも硬いし、しばらくの間はまた痛みなく全力で投げれる様になれるとは正直信じ切れてはおらず、半信半疑の状態でリハビリを続けていました。
ただその時は手術前に肩が治らなくて絶望していた頃に比べれば、まだ希望を持ってリハビリに取り組めていましたが、後に絶対に投げれる様になれると確信できたタイミング以降に比べれば、そこまでメンタル的にも良い状態で取り組めてはいませんでした。
特にショックというか不安が増したのは、5月6日に友人と遊びで軽くキャッチボールをした時で、軽く投げてるのに相変わらず痛くて山なりでしか20mも届かなかった時は「これはやっぱりダメなのかもしれない」とちょっと思いました。
ただ、5月9日にダルビッシュさんからDriveline用品一式が届き、「落ち込んでる場合じゃない」と頂いた器具を用いてひたするやり込みました。
そうしてリハビリを続けていたところ、転機が訪れました。それが6月20日のことでした。これもまた友人とのキャッチボールだったのですが、「今日もまた痛いんだろうな」と投げ始めたところ、どんどん距離が離れていっても「あれ?痛くない」最終的には塁間よりかなり離れた距離までいっても山なりではありましたが普通に届き、術後初めて肩の痛みなくキャッチボールをすることが出来ました。
この日のことは多分一生忘れないと思います。肩を痛めてから2年以上、キャッチボール=絶望的な痛み、だったのがその日を境に変わりました。
今思えば、その日から良いサイクルに入っていった様に思います。そこから、さらにリハビリにも身が入る様になり投げれる距離が少しずつ伸びていきました。
そこから2019年9月20日の初ブルペンでは125km/h、9月26日の二度目のブルペンでは139km/hと、順調に球速は戻っていきました。
そして術後最速が出たのが、11月9日に神宮球場の室内練習場で行われたアスレティックスのトライアウトでした。その時は92mphで、キャッチボールの時から明らかにいつもと球が違う感覚があり、本当に5年振りくらいに腕が強く振られている感覚がありました。そしてその感覚は、これを書いている2021年11月9日の時点ではまだ再現出来ていません。
今振り返ると、あの時はシロッコを倒した時のカミーユみたいな感じだったと思います。色々な要素が揃い過ぎて、実力以上のものが出てそれまでの術後最速から9km/hも速くなってしまったので、その後は少し反動が来てしまいました。
そこからは肩も肘も痛みからは解放されたのですが、コンスタントに140km/h以上出る様になったかと言うとそうではありませんでした。
未だに自分の中でも解明できていないのですが、140が出るときと出ない時があり、安定していません。ただここ最近は145km/h以上は連続して出せているのでややベースは上がってきている感はあります。
先日の試合で148km/hは出ましたが、それ以上の球速には未だに到達出来ていません。2年前を考えれば、ここまで投げれているだけで奇跡とも言えます。ただ、頭の中に「もう二度と投げれない状態には戻りたくない」という恐れがやはり残っているので、150以下に制限されてるリミッターを超えることが出来ないのかな、と最近は思うこともあります。
ただ、究極的には、私は148km/h投げる為に3回も手術を受けた訳ではなく、あくまでも自分自身の術前の最速152km/hを更新する為に手術を受けたので、いずれはその恐れを克服しなければその目標には到達出来ないと考えています。
その恐れに打ち克って最速を更新できた時には、どれほど嬉しいか想像もつかないくらい嬉しい気持ちになると思います。私自身、肘を含めたら三度も手術を受けていますし、投手(と言うよりは投げ屋)としては若くはないので、人生最速を追い求めることが出来るのもそう長くないかも知れません。それがいつまでになるかは野球の神様にしか分かりませんが、三度野球の神様に肩肘の健康を没収された身としては(自業自得でした)、「神様頼むからもう一度だけ良い夢見させてくれませんか」とも言いたくなる気持ちもないといえば嘘になります。
ただ、二度度だけでなく三度も私の傲慢さを大目に見てちゃんと健康を返してくれたのも野球の神様なので、神頼みはもうしません。
何とか目標を達成して、悔いのない野球人生(投げ屋人生?)になる様、今後も精進します。
たった2年半前のことを思うと、全力で痛みなく投げれる様になり、更には試合にまで投げれる様になるとは、目標にはしていましたが本当に達成出来るとは思ってませんでした。それもこれも、2016年からずっと支援し続けて頂いたダルビッシュさんを始め、肘を手術して頂いた古島先生、肩を手術して頂いた船越先生、リハビリを見て頂いた宇良田さん、伊東さん、韓国からいつもご支援頂いたkwangjyaさん、など本当に多くの方の手助けのお陰です。
本当に感謝してもしきれません。誠にありがとうございました。
ここまで手を差し伸べて下さった方々へ恩を返していける様、今後も色々なことに取り組んでいく次第です。
今回は、これまでに取り組んできたリハビリ記録のまとめとして書き始めたのですが、結局最後の方はいつもの癖で話が逸れてしまった気がします。
最後までお読み頂き誠にありがとうございました。