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光のような言葉を紡ぐ人〜 バチェロレッテ所感
なるべく潜在意識的なところから、言葉を発したい。
頭を通さず、胸やお腹の奥からするっと出る言葉を、そのまま。
本物の言葉、偽物の言葉、というものがあるとすれば、「本物の言葉」はそういう身体の内側との一体感を伴い、潜在意識の発露のように出たもののはずだ。
ひょっとしたら、それは魂と直結してると言ってもいい。
そういう言葉は、精妙に取り出され純度の高いエッセンスのようで、触れたものを浄化してしまう。
発した人の意図を超えて、多くの人の心に届く。
そういう言葉に触れるためには、詩集か純文学に手を出さねばならないのかと思っていたら、まさかのamazon primeにあった(笑)
いま話題の「バチェロレッテ」。
今までの「バチェラー」シリーズも全部見ているし、今回も案の定ハマっている。
でも、いちばんの見どころは、恋のさやあてではなくて、頭でつくり出した言葉と、魂からツルンと生まれた言葉が人に与える影響の差。
自分の内側と向き合う作業を生涯してきたであろうのアーティストの杉ちゃんが、「言葉が遅くて…」と、控えめに言いながらも、口から発する言葉の純度と精度の高さときたら。
その言葉のひとつひとつが繊細に輝く光の粒のようだ。
そして、真の意味で育ちが抜群に良い奇跡の存在である萌子さんの、慈愛ある視野と共感性、まっすぐな言葉。
人一倍、感受性が強くて繊細なのだろうとおもうけれど、それを身体性と神経系のしなやかさが上回っている賜物。DNAレベルの配合の妙と言いますか。
そして、去ってしまった男性たちも。
この非日常の中で思いがけず得られた化学反応の中で、自分の内側に純度の高い想いや言葉を見つけられた人は、どこか清々しい顔で去っていく。
「ライト・シャドウ」という言葉を以前聞いたことがある。
「シャドウ=影」は通常、無意識にある自分の暗黒面を指すけれど、「ライト・シャドウ」とは自分が好きでたまらない人の魅力的なポイントは、他ならぬ自分の中にもある魅力である、ということ。
自分が大好きな誰かの輝きは、自分の内側の光が共鳴したもの。
その内なる光を見つけ、自分の一部としての輝きも認めた時。
新しい自分に出会える。
言葉は時に制限を作り出すものだけれど、それ以上に過去の癒しにも、未来の守護にもなるもの。
どんな結末であっても、交わした言葉が真実なら、それは肌から染み込み、肉体の一部となってその人を取り巻く光を形づくる。
(見出し画像は杉田陽平さんのTwitterから使わせていただきました。)
■ 小松ゆり子 official web site
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