ボルタンスキー「アニミタスーさざめく亡霊たち」とエソテリック(秘教)。そして私が旅に出る理由。

※「ハニカムブログ 」2016年12月16日記事より転載

クリスチャン・ボルタンスキーの「アニミタスーさざめく亡霊たち」を観に行ってきました。

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会場の東京庭園美術館はそれ単体でも何度でも足を運びたくなるような、アール・デコの美しい館で、「願わくば、次に生まれ変わったらここで暮らしたい...」と思う場所の一つです。

ここで開催される展覧会は、いつも場所と作品のコラボレーションという視点を強く感じます。

今回は「亡霊」がテーマだから、夕方に行くといいと友人に聞いてその通りにしたのですが、大正解。

「この建物に入れば、もうすでに一つの世界に取り込まれていますが、私の作品はそれを更に増長するでしょう」

とボルタンスキーがいう通り、終わったあとすっかり夕闇に包まれた庭園が目に入ったとき、それは何度も通い慣れたこの館とは違う異世界を観るような感覚に陥りました。

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旧朝香邸内のあちこちから「声」が聞こえる展示、「さざめく亡霊たち」。

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誰もたどり着くことができないチリの砂漠の「星に一番近い場所」で600個の風鈴がただ風に揺れている映像「アニミタス(小さな魂)」

真紅の電球の点滅と世界中から集められた心臓の拍動音が連動する作品「心臓音」など、

音と空間、そしてそこに存在する何らかの意識が、不思議な世界へと誘います。

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作品の数は多くはないけれど、いつまでもそこで自分の感覚を確かめたくなるようなインスタレーションでした。

ボルタンスキーのインタビューが非常に興味深かったので、ぜひ見てほしい。


「私は言い伝えに興味があります。言い伝えは芸術より強いのです。」

「私の作品は多くの美術館にあり、私は多くの美術館で展示をしてきました。

でも今日では私はそれとは別のことをしようとしています。パタゴニアでの企画があります。来年実現できることを望んでいます。


パタゴニアの南に巨大なトランペットを設置して、風が吹くたびにクジラの歌を奏でるのです。

誰も観ることはできないでしょう。

でも無人の極寒の地でトランペットがクジラの歌を奏でていると考えることに興味があるのです。

それは物語を作り出すことです。」(ボルタンスキーのインタビューより)


つまり「意識を飛ばすこと」を、作品としている!!
現代アートってすごい世界です(笑)

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意外だったのは、ボルタンスキー自身が来世や死後の生を全く信じていないと言っていること。

そんな中でも「亡霊の存在」というのは肯定している。


そして「ささやきの森」という今も瀬戸内海の豊島で展開されている作品では、その森に風鈴を購入して吊るしてある札に愛する人の名前を書き込むことができるようになっている。

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「私が特に望むのは、誰が作ったのか人々は忘れてしまい、それでも聖なる場所として残ること。
アーティストが作ったとかそんなことは誰も知らず、それでも人々はあの森に行き、風鈴を買って願掛けをします。

人々はそこが愛の祈りを捧げる場所であると知っています。人々はいつか消滅するけれど、愛はそこに残る。」(ボルタンスキーのインタビューより)


私は、無宗教ですが世界中の宗教に興味があります。

そして、旅した時に最も興味を持って訪れているのも、そうした様々な宗教の影響を受けた建物や、音楽や、祭りのあり方です。

その場所の「神性」そのものに感動することももちろんありますが、建物や絵画など、宗教にまつわる優れたものには真摯に願いを捧げた人たちの純化された思いだけが残っていて、その「祈りの思い」に感動させられているようにも思います。


旧朝香邸に残るのも、きっとそういうもの。

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エソテリック(秘教)、という神智学の流れを組むスピリチュアルを学術的かつ構造的に学ぶ分野があるのですが、ボルタンスキーがテーマにしている「記憶の継承」、インタビュー内で触れている「亡霊」や「愛が残る」というのは、このエソテリックにおける「アストラル体(感情体)」の残留している段階のことを指しているのかな、と思いました。


その世界観の中では、私たちの個体はいわゆる身体=物質界(肉体)のみで成り立つのではなく、エーテル体(肉体の鋳型となるもの)アストラル界(感情体)メンタル界(知性体)といったエネルギー領域まで含むと言われます。

何万年もかけて人類はスピリチュアルな成長を遂げていき、現代の人類はアストラル界=感情の領域の進化は終えており「メンタル界」つまり「知性」を身につけている途中の段階だと考えられています。


そして、人は死ぬときにその物質的な死だけでなく、感情体や知性体の殻を脱ぎ捨てながら、徐々に自分の魂を宇宙に返還し、次の転生へ向かっていく。

エソテリックでは、私たち人間はもちろんのこと、地球そのもの(のエネルギー)や宇宙までも、転生を繰り返しており、人間が霊的に成長して一生を終えていくことが、そうした地球や宇宙のエネルギーの進化にも関わっている、と考えます。

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人の感情や思いというのは、じつに厄介なもので。

喜びや楽しさだけなら良いけれど、怒りや哀しみの感情は、時には暴れ馬のように自分を翻弄する。

過度な感情は、自分だけでなく周りを振り回しもする。

知性的なエネルギーの発達とともに、そのバランスが上手に取れるようになっていくのかもしれません。

でも、本当に人間にとって幸せなこととは「感情を味わうこと」でもあるとも思うのです。

以前、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を観たとき、そうした象徴的なものを感じました。


かぐや姫は物質的な要素が重視される世の中に辟易としています。
そして、哀しみ、怒り、喜び、楽しさなど、自らの感情の逡巡を経て、最終的には月へと帰って行きます。


感情の渦から解放された涅槃的な世界へと旅立つかぐや姫は、美しく神的ではあったけれど、なんだかあんまり幸せという感じにも見えませんでした。


エソテリック的な世界感では転生を経て、より自分の本質的な魂と繋がり神性が増すそうですが...

私にとっては「神」に近づくよりも、とりあえず今持つ肉体の一生をどれだけ充実させて終えるか、が興味の対象です。

だからこそ、「ボディワーク」という身体にしっかりと触れていくタイプのセラピーを職業としてチョイスしたのだと思うし、「治療」よりも「心と身体、五感が喜ぶこと」というジャンルに身を置いていうのだと思います。

感情を味わい、その世界の中でのバランスをとる方法を知性を駆使して学びながら、現世的な幸せを得ていくこと。

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そして、旅に出ること。

エネルギー体も含む、自分の全てで。五感やそれ以上の「センス」を使ってその場所を感じてくること。

そして「世界は美しいんだ」と知ること。

この世界のあり方を学び、それを感じ切ること。

それが、きっと自分が納得のいく一生を終えるために必要なことだと感じています。

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というわけで、長い言い訳ですが(笑)年明けすぐに、1週間ほどまた旅にでます。

行き先はアイスランド。

極寒の時期に極寒の地へ(笑)ちょっと変態かもしれませんが。

2016年はメキシコとモロッコという非常に色彩や光が強い国を旅してきたので、真逆の静謐な場所を体験したくなったのです。

とはいえアイスランドは火山の国でもある。

火山と氷河、という陰陽二極のエネルギーを持つ国なので、どんなことを感じるかが楽しみです。


■ 小松ゆり子 official web site
http://yurikokomatsu.com

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