アイスランドの瞑想的効果
※「ハニカムブログ 」2017年2月1日記事より転載
1月が終ってしまった。
時間が経つのが遅いのか、早いのか。
アイスランドから帰って3週間経ったけど、ずいぶん前のことのようにも感じるし、昨日のことのようにありありと思い出せもする。
いつでも取り出し可能な記憶、みたいな。
そもそも、アイスランドに行ったきっかけは「静かな何もない場所でゆっくりと瞑想的な気持ちになりたい」
ということからだった。
実際行ってみると、「火と氷」の国と言われる、二極化されたダイナミックな地形とそのエネルギーを見て周ることは、想像以上のアドベンチャーの連続で瞑想どころではなかったのだけど(笑)
どこに行っても、地球じゃない他の惑星を旅するような光景ばかり。
圧倒的な迫力の滝の数々。
漆黒の玄武岩と青が支配する、幻想的なブラックサンドビーチ。
まるで美しい鉱物の塊のような氷河。
銀河鉄道999に出てくる氷の墓場のような、アイスケイブ。
そして、氷河から流れ出た氷が黒い砂浜で水晶やダイヤのように光る、ダイヤモンドビーチ。
帰ってきてから1週間くらいでふと「瞑想したい」と思った。
そして、すっと座ってみると、今までできなかった「ただ座る」ということがたやすくなっているのを感じた。
何かが起きても、それをふわっと受け流し、また「ただ座る」に戻る。
ただそれだけのことが、以前はあんなに難しかったのに!!
たぶん、「アイスランド」をインストールしたことで、私の中に「火と氷」を共存させること、その振れ幅の中で「ただ、在ること」というスタンスが生まれたのだと思う。
結果としてアイスランドには瞑想的効果があった、と言える。
旅のエネルギーというのは、こうやってしばらくした頃に統合されますね。
もうちょっと余韻は続きそうです。
ちなみに、いくつか持って行った本の中で一番現地で読んでいたのが「禅の教室」
僧侶の藤田一照先生と、詩人の伊藤比呂美さんによる、仏教や坐禅についての非常にわかりやすい対話。
アイスランドの夜長に、良きお供となりました。
もちろん、坐禅と瞑想というのは違うのだけれど。
自分がやりたいのがどちらなのか、というのもまだ模索中な私にはとても参考になる本。
「ただ座る」をしてみたくなった人にはオススメです。
「坐禅は体と心をフルに活かして、仏教そのものを実地でやることです。だから、頭も心も魂も体も、みんな働いてもらう。
そればかりじゃなくて床からの助けも使うし、空気も使うし、湿度も、つまり環境も全部坐禅の一部になっている。
だから縁起の全体、わたしの関係性全部を使って坐禅しているといってもいい」
「すでにそこにあるものを全部活かして"すべてのものと繋がっていまここでこうして生きている自分"ということを純粋にやる。自分を自分する、と言ってもいい」
(「禅の教室」より)
BRUTUS「みんなのZEN」にも、登場されています。
以前、ソマティック心理学大会のときに、一照先生の座禅クラスを体験させてもらったのだけど、いきなり大縄跳びをみんなでやるところから始まる(笑)
「身体」に落とし込んでいくそのスタイルがすごく面白かった。
■ 小松ゆり子 official web site
http://yurikokomatsu.com