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企業内診断士ニシヘヒガシヘ

こんにちは中小企業診断士の廣瀬達也です。
先週から始まった『企業内診断士の輪を広げる「楽しい」ブログ』、第3回目は私です。
診断士登録して3年目になりますが、東京の診断士としての生活は今年1月からスタートの「東京新人」です。まだまだ「安定軌道」に乗っていない駆け出しですのでいろいろご指導のほどお願いします。
それでは東京の前はどこで何していたのか?
昨年12月までは神戸にいました。まず今回はそんな私の自己紹介から始めさせていただきます。

■会社員です
IT企業に勤務しています。海外、地方の出向を経ながらも基本的には大学卒業時に入社以来同じ会社。という終身雇用驀進中。副業は許可制です。
社内で診断士資格取得を特に秘密にしていませんが、合格したことで職種が変わることもありません。「へー。あれって結構難しいんでしょ?」と言われるくらいです。
セキュリティの問題から会社のネットワーク環境ではFacebook、Dropboxなどは使えません(最近はそういう企業が多数と思います)。必然的に通常の勤務中は会社業務にドップリとなります。
勤務形態は裁量労働制です。なのでうまくやりくりすると平日の時間捻出も可能な環境ではあります。

■多年度受験生でした
兵庫県北部の「読めないまち」養父(やぶ)市出身で、大学から東京生活。東京で就職し、診断士受験生活も東京です。二次試験を2回失敗して、振り出しに戻ること2回(T_T)。長い東京生活と診断士受験生活を経て最後の口述試験後に神戸に転勤。年明けの最終合格通知は神戸で受け取りました。

■実務補習は大阪でした
合格後、特に深い考えなく大阪地区での実務補習を選択しました。しかし、大阪地区は合格者数に比べて実務補習受け入れ先が少なく、「口述試験合格発表直後に申し込まないと2、3月コースはすぐ埋まる」のです。これは大阪地区の受験生では半ば常識?だったらしいのですが、私は全く知りませんでした。そして、実務補習の開始は夏以降となりました。
実務補習に参加すると、周りは知らない人ばかり・・・。受験生活が長かったことで多少の顔見知りは増えていたつもりだったのですが、それは東京地区でのこと。アウェー感ただよう実務補習の始まりでした。

■診断士生活は関西で始まりました
大阪での実務補習を終えて診断士登録。そのまま大阪府中小企業診断協会に入会。神戸に住みながらも大阪の協会に入会したのは関西での情報収集のためという意味合いが強かったです。研究会は「繁盛する飲食店経営研究会」、「農業経営研究会」にお世話になりました。
「自分の地元・兵庫県との関わりを作りたい」と考えていたので当初からの狙い通り兵庫県中小企業診断士協会にも入会(兵庫県協会は東京在住となった現在も会員です)。兵庫県協会では「地域産業活性化研究会」、そして「プロコン塾」にお世話になりました。兵庫県のプロコン塾は「支援先を一人で担当(実務補習グループ作業を一人でやるイメージ)」します。なかなかにタフな経験で、得られたものも多かったです。

■東京に来ました
2018年1月、東京への転勤に合わせて東京に来ました(このあたりは完全に会社員としての動きです)。3年ぶり、そして診断士としては初めての東京生活。「おぉ、東京(首都圏としての東京)の診断士さんはこんな感じなのか・・・」と感じる日々が始まりました(もっとも関西がどんな感じだったのかをうまく説明することも難しいです"(-""-)")。もちろん地域ごとの特色はあって当然です。そもそも他の地域に比べて東京地区は診断士数が圧倒的に多いですよね。昨年度の合格者だけみても全国の55%。診断士という職種の特性、産業の集積度を考慮すると妥当なのか、そうでないのか、なんとも言えません。いずれにしても「圧倒的な数の多さ」は東京の診断士の特徴の一つのような気がしています。

そんな新しい環境で出会ういろんな診断士のみなさんに刺激をもらっています。東京では、現在こちらの「企業内診断士の輪を広げる『楽しい』チーム」をはじめいくつかの研究会・チームに参加。そして、兵庫県でも企業内診断士先輩のお声かけによる活動にちょこっと参加しています。

という感じの、「東京で受験生活をし、関西で診断士活動をスタートし、今年から東京」という企業内診断士です。あ、ちなみに関西弁は話せません・・
次回以降で、そんな私の状況をチラチラご紹介できればと思います。


ニシエヒガシエ  必死で猛ダッシュです

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