闘うために描いている

この休日、以前から観たかった映画とドラマを何本か観ました。

無理解や病とたたかう映画。
所属するコミュニティから飛び出し生きる為にたたかうドラマ。
そして今年の大河ドラマ。

何かテーマを抱いて選んだわけではないのですが、どれも形は違えど闘う物語でした。

私が観るなかで突きつけられたのは、「お前はたたかったことがあるか」という抜き身の刃でした。

苦しんでいっそのこと迎えにきてなんて思った夜もあったけれど、基本的に抗うことをしてこなかった。

徹底的なまでに主人公気質じゃないモブです。

でもモブなりに思うわけです。
「何の為に描いてるんだろう」って。

幼少の頃から描くことが当たり前で、でも理想の果てをみたときに自分が描く意味が分からなくなった。

結局、学生時代には「何の為に」が見つかりませんでした。
その当時は「自分の為に」という種火があまりに儚すぎて、エゴとしても昇華できなかった。

でも今、改めて考えてみたわけです。
「何の為に」
それは、月並みかも知れないけれど、
「息をする為」だと思う。

生きるためだなんて大層なことは言えないしそんな理由ではない。

生きていく上で深呼吸することは重要で、それが私にとって絵でありお話だった。
もし叶うなら、私の描くお話が誰かの呼吸になればいい。

そう思うわけです。
息をして生命をつなぐなかで、必ず闘わなければならないときは来るし、スイッチが入れば常時戦闘態勢。

そんな時間から離れた空隙に寄り添えるお話が描きたい。

ハッピーエンドを描く自信はないけれどね。

れいとうこ

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零とうこ
絵や文章をかいたりする、ちょっといいものの為に使います。読んでくださりありがとうございます!