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気分の波との付き合い方 ①気分の波にさらわれたときに起こること

 これまでの人生でことあるごとに、自分には「続ける」ことができない、と感じているような気がしています。頭の中で色々なことが思い浮かび、常に色々なことがつながっていくような感覚があります。興味を持っていることがどんどんと変わっていくから、同じことを続けることができない。自分が歩きたいと思った方向と、気付いたら全然違う方向の遥か先の方に、好奇心が勝手に歩いていってしまっている。何かをやり始めて終わる頃には、もう違うことに興味を持っている。

 最近は木に興味があり、木彫りで道具づくりをしているのですが、全く同じものをつくれないことに気付きました。同じものをつくろうとすると途端に退屈になってしまう。掘り進めていくと、元々頭に思い描いていたようなことにはすでに退屈してきてしまっていて、掘っている間に全然違う形になっている。最近はそれも全部受け入れて、思ってもみなかった形になっていくことに身を任せれるようになりました。そうすると、自分でも本当に意外で面白いと感じるものが出来上がる。それが楽しい。というより、それを楽しめるようになった。

 以前はもっとストイックでした。自分に対してすごく厳しかった。「自分はこれに興味があるんだから、一生続けていくぞ。やるぞ。」と気合を入れる。他のものをほっぽりだすくらいの覚悟をする。今でもKanataという名前でウガンダ産コーヒーの焙煎業をやっているのですが、コーヒーの焙煎を始めた23歳くらいの頃には、コーヒー以外の全てのものを捨てた生活をしていました。家具も最低限で寝るのはソファ、料理する時間も勿体ないし外食は時間とお金が勿体ないので毎日レンチンご飯にふりかけに納豆で食事も終わり。ワインなど他の好きなものにのめりこんでしまわないように気をつけて過ごす。今考えてみるとそんな生活をしている人に美味しい飲み物をつくれるのかと疑問に思ってしまうくらいですが、当時は大真面目でした。それがぼくの憧れる「この道一筋」という生き方だと本気で思っていました。

 高校からやっていたバンドは大学1年生の半ばで脱退、大学ではコンピュータサイエンスを専攻していて友人とIT系の会社を始めたのですがそれも続かず3年ほどで退任、趣味でつくっていたアプリもメンテナンス不足でApp Storeから消失、高円寺で始めたコーヒースタンドも一年半ほどで閉店してしまいました。こうして並べてみると、見事なほどに続いていないですね。

 何かをやり始めたときには1つのことに熱中していくのですが、それ以外を全て排除して1つのことだけをしばらくやっていると、段々と苦しくなってくるんです。いや、苦しくなるという表現も適切ではなく、何となくすごく心に重くモヤモヤとした霧がかかってくるような感覚がしてきます。そうなってくるともうその霧を振り払うことは出来なくて、どんどんと濃くなって目の前が見えないほどになってきます。その状態を続けている限り、絶対に逃れられない。どれだけその活動が上手くいっていたとしても、です。それでも頑張って続けようとしているとどうなるかというと、ある日突然に、ぱったりと動けなくなります。働けなくなります。体が言うことをきいてくれなくなります。ベッドから起き上がれない。一日中ベッドに寝たままで日々を過ごす。うっすらと目は覚めているのですが、現実と夢を行き来しているような感覚がする。「これだ」と思って、決断して、覚悟して始めて取り組んでいたことを辞める直前には、いつもこの状態になっていました。

 そして、どうでもよくなります。それまで取り組んでいたことが、自分を縛り付けているような呪いのようなものにさえ感じられて、全てを捨てたくなる衝動に駆られます。そしてベッド生活からしばらく経つと、ぱったりと、全てを捨てます。そしてケロッとした顔で新しいことをやり始める。それまでぐったりと、誰とも会わずにベッドで寝ていたのが嘘だったかのように、元気よく何かに熱中し始める。その時の自分はすごく生き生きしてます。それまでのキリキリとした表情が嘘のように、ハツラツとした表情になっている(と思う)。

 毎度こんな風に変わってしまうから、周りを困惑させてしまう。当時は霧が濃くなっているときにそのことを誰にも話せてはおらず、自分の中だけに何とか留めるよう努力していたので、周りから見ると突然引きこもって、しばらくするといきなり元気になって違うことを始めているように見える。それどころか、引きこもっていることは観測されてもいないことの方が多いと思う。それまで高らかに宣言していたことを突然辞めて、突然新しいことを始めている。一緒にやっているメンバーはたまったものではありません。「ずっとやっていくぞ」と誓い合って頑張ってきたのに、新しいことをやろうとしている。ついてこれるわけがありません。こんな風に何かを始めて何かを辞めるたびに、ぼくは本当は大切にしたかったはずの人たちの信頼を失ってきたというような気がしています。

 そんな「いつものお決まりのパターン」が変わったかもしれないと感じたのが、一年ほど前の出来事でした。ことの発端はCIALという会社としてデザインとコーヒーの事業をもっと大きくしていこうと頑張っていた頃に、段々と働けなくなってきたことからでした。当時デザイン事業でのプロジェクトは徐々に増えていっている時期で、その増加に反してぼくの心は「これでいいのだろうか...」というモヤモヤとした気持ちを抱えていました。それでもプロジェクトは増え、デザイナーとして限界突破をした状態で働き続けていました。自分の心の中にある疑念を「メンバーのため」「会社のビジョンのため」と押し伏せながら働き続けました。そうしていたら、好きで始めたはずの仕事なのに、向き合うのがつらいと感じるようになってきました。それでもそのまま無理をし続けていると、限界を超えてしまったのか体と心が自分に急ブレーキをかけたように、ぱたりと仕事ができなくなりました。

 このことをきっかけに、前述したような濃霧の状態になりました。その間に何をしていたのか、自分でもあまり覚えていません。起きていたかもしれないし、寝ていたかもしれない。漠然と自分と向き合わざるを得ないが、自分を見ると苦しくなってしまう。ひたすらに苦しい、のようなどこにも行き場のない感情みたいなものだけを持っていたことだけを覚えています。

 しばらく(多分二週間くらい)その状態でベッドに寝続けていたら、少しずつ元気が出てきます。段々と動けるようになってきます。ここまではお決まりのパターン。ですがここから、少しこれまでとは変わったことがありました。そのときにふと思い立ち、病院に行ってみようと思ったのです。大学生くらいの頃から「双極性障害」に該当する性質があるのではないかと疑問を持っていて、そのことを思い出したからでした。それをきっかけに、自分のこの「気分の波」の性質について興味を持ち始めて、深く向き合ってみたいと思うようになることになります。

 続きはまた。

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