『玉木、ほら、お手。』

 「ほら、お手。」「ワン!」
このやりとりが滑らかにできるようになった最速タイムを叩き出したのは、玉木だった。
 私にとって玉木は、その点において最も評価に値する男だった。新しいアルバイトを二ヶ月で辞めてしまおうが、黄緑色の安物のソファで寝転がってゼルダの伝説ばかりやっていようが、気にならなかった。私は玉木に、これ以上のことを望んでいない。今が幸せで、とても楽しい。玉木との関係性はここが最高点なのだ。私がこれまで飼ってきた男の中でも、私にとって最もドンピシャなタイプであり、お互いの性質は素晴らしい相性だった。

 私はヒモ体質の男性とこれまで4人ほど関係を持ったことがあった。私がそもそも人間や動物のお世話をすることが好きであるということもあるし、生活という根本的な段階において私を必要としてくれる存在がいるという状態は、私にとって居心地のよさをもたらしてくれた。私がいないと生きることができないという状態の動物を見ると、何だか途端に愛おしく思えてくる。 「一緒に生きようね」と話しかけながら、優しく撫でてあげたくなる。なぜか分からないが、私にはそういうことが精神のサプリメントのように定期的に必要だった。
 そして長年の経験により分かってきたことは、ヒモ体質は才能である、ということだった。生まれもって、お世話をしたくなるフェロモンのような空気を発散している男が一定数いるのだ。それは私にとって抗い難い甘美な誘惑に思えるのだった。そしてそういう男は、関係性として期待されていることにとても丁寧に応える。犬としての役割を順応に果たし、とても可愛い振る舞いをする。そしてさらにできる男は、世話主に毎回ちゃんと感謝をする。言葉と行動を以て無邪気に感謝を伝えることも忘れないのだ。
 そしてこれは私個人の趣味趣向なのだが、塩顔の美顔であるほど癒やされる度合いが大きいということも分かった。人を顔で判断するなというが、男の顔面と私の幸福度に大きな相関関係があることは、4人のヒモ男の実績により証明されてきた。

 玉木との関係性は全ての面において満足とは言えないが、それでも完璧に近かった。些細な不満の方にやたら注目して、不用心に岩を裏返していくような行為は、愚かな人間のすることだ。常に満足している部分に目を向けるようにする。それが人生を幸せに生きるコツことだと私は考えていた。危険なエリアに不用意に踏み込んで玉木を失うくらいであれば、丁寧に育ててきた信頼関係を大切に保護していくことの方が、私にとっては遥かに重要な選択だった。
 玉木(この仮名は、彼の顔のビジュアルが俳優の玉木宏に似ているところからつけた)は、塩顔の色白タイプイケメンだが、身長はやや低めで中型犬を思わる。その立ち振る舞いや身体から発している従順な空気みたいなものが起因しているのか、外に出せば大抵は初対面で、なよなよとしているように見られ、悪い言い方をすれば、頭もちょっと弱そうな印象を与えた。だが彼は本当のところは、相当に頭がいいのではないかと私は踏んでいた。玉木は見くびられやすいだけなのだと。玉木は人間関係において、とても機転が効くところがあった。
 そして玉木の場合は頭だけでなく、”耳”がよかった。彼は人の声色をきいただけで、その人が喜んでいるのか、悲しんでいるのか、怒っているのか、不安を感じているのか、そういった感情の機微を察知することができた。そういった能力は誰もが日常生活で働かせてはいるのだろうが、玉木の場合はそのセンサーが異常に発達していたように思う。私が「あ、」という声を発しただけで、その「あ、」の七色の音色の違いを聞き取って、それに応じて先回りして行動ができるのだった。
 人が何を求めているのかを察知する能力に異常に優れている。そしてそれに瞬発的に応じる精神も養われていた。しかも、とても従順に。それは紛れもなくヒモ男の輝かしい才能の一つだった。最もゴールデンレトリーバーに近い人間を決める大会があるならば、きっと玉木が優勝するだろう。

 私は玉木のそういうところを高く評価していたし、そして大切な存在でもあった。だから玉木だけは、例え私に好きな人ができても、そして彼氏ができたときでさえ、一時的にその関係性を休業することはあっても、完全に手放すようなことはしなかった。
 一緒に暮らしていない場合も、関係性の糸を繋ぎ止める方法はごく簡単なことだった。月に一度ほど玉木を家に呼び、餌として夕食をあげるだけだ。そのまま泊まっていくこともあれば、解散することもある。
 ある日、玉木がうちに来ていつものように私のつくった夕食を一緒に食べていた。この日は玉木が好きな肉じゃがとナスのお浸しをつくった。
 玉木が、くりくりとした黒目を輝かせながら、心底おいしそうな表情で私のつくったご飯を頬張る。(この無邪気な笑顔が例え演技であったとしても、この演技をさせるように育てたのも私。だから嬉しい。)そして何度私が夕食をつくっても、その度「こんなに美味しいの初めて!」というように喜んで、何度もお礼を言ってくれる。
 その時、あっさりとした塩顔の目尻だけにくしゃっと皺ができて、そこだけ何だか動物っぽさを帯びる。この笑顔で、心の泉が浄化される。あぁ、尽くし甲斐を感じる。これがあるから、明日の仕事も頑張れるってもの。よしよし、こいつはもっと大事にしてやろう、と私は思う。そして私は、「玉木は本当にいい子だね。」と言って頭を撫でてあげる。玉木は嬉しそうにふさふさのしっぽを左右に振っている(ように私には見えている)。
 また、玉木との関係性において肉体関係は付属的なものであり、私たちにとってセックスはお互いが本当に気持ちよくなるための行為ではなく、もっと演劇のようなものに近かった。それぞれに配られた役がある。私は飼い主で、玉木は犬だ。そして舞台の上で、お互いの役割を果たす。自分のために、そして相手のために。それは、快楽よりも常に優しさと思いやりが優先される舞台だ。
 肉体関係においても、あるいはその他以外の全てのことでも、誠意その役割を果たすという前提条件が、私達における信頼関係を強めることだった。この均衡を崩すことはすなわち、都合よくいられる相手をお互いに失うということに等しかった。

 玉木は、幼少期に父親を交通事故で亡くしていた。母親は再婚せず、玉木と弟の男兄弟二人をシングルマザーとして自立するまで育てた。玉木はそんな母親を助けたいと思い、家族のためになることを子供ながら率先して行うようになった。母親がパートタイムで出ているときには、弟の世話や、基本的な家事もこなした。
 学校の成績が優秀な弟は、大学に行って勉強がしたいと常々言っていた。弟は事あるごとに「貧困家庭は受け継がれていくんだ。その貧困の輪廻を脱するために、自分は大学に行くのだ」と、玉木と母親に何度も言った。だが、玉木の家に大学の学費を払うような余裕はなかった。そこで玉木は高校一年から二年に上がるときに大学に進学しないことを決め、高校を卒業すると、そのまま就職して働き始めた。その会社で六年間働き、弟が大学を卒業するまで、奨学金で賄えない分の学費を玉木が全て肩代わりして支払った。
 弟が大学を卒業し、学費を支払う必要がなくなってから半年くらい経った頃、玉木は仕事で体調を崩すことが多くなった。病院で適応障害と診察され、会社を辞めることになった。今はアルバイトを転々としながら生活をしている。定職につかなかったのは専門技術と言えるようなスキルがなかったということもあるが、玉木自身がやりたいことを見失っている状態が続いているという理由の方が大きいのではないかと私は思っていた。

 玉木との関係は2年弱続いていたが、半年前、つまり去年の冬頃に突然、玉木に本命の彼女がいることが発覚した事件があった。玉木が電源をつけたまま、しかもその本命の彼女とのLINEの画面のまま机にスマホを放置していたため、つい目に入ってしまったのだった。
 玉木とは正式には付き合っているわけではなかったので(ヒモ男とは正式に付き合う契約は結ばないのが私のやり方だった)、それは厳密には浮気とは言えなかった。でも玉木は「彼女はつくらない。」と私によく言っていた。それが玉木から私への、犬としての信頼の示し方のひとつでもあったのだろう。私もそれを信じてしまっていたので、玉木に本命の彼女がいて3ヶ月ほどになることを知ったときには、動揺してしまった。
 いくらヒモだからと言って、それはアウトだった。お互いの役割を全うすることに背を向ける行為だった。そして日が経つごとに、本命の彼女をつくったこと自体よりもむしろ、一緒に育ててきた役割を舞台上で放棄し、信頼関係を裏切るような嘘をついていたことに対して腹が立ってきた。
 話し合いの末、玉木はその彼女と別れることになった。今の居心地のよい生活を守るため、私との関係性を失うわけにはいかないという結論に達したようだった。玉木が私を失えば今一緒に住んでいる住居を失うことになるし、身の回りのこともできなくなる。すでに私たちの信頼関係は、ポッと生まれたような恋愛感情を上回るほどに高く積み上がっていた。
 以来、私達の信頼関係はより強固なものになった。私は玉木が家にいてくれるのであれば、それでよかった。玉木はそれに応えるように、私がやりたいお世話を存分にやらせてくれた。二人分の夕食をつくり、一緒にお風呂に入って体を洗ってあげ、さらには着替えまでやってあげるようになった。私と玉木との主従関係はより濃密なものになっていった。もはや恋愛的な感情を越えた、人間的な共犯関係とでも呼ぶべきような相手になっていた。

 だが、その信頼関係が強くなっていくほどに、私は不安を抱えるようになり、緊迫する場面が増えてくるようになった。信頼感の深さと、その関係を失うことの恐怖には、比例関係のような力が働いているようだった。私は玉木を失いたくない。そして同時に、玉木にとっても、私のことをより失ってはならない存在だと思っているように感じていた。
 玉木の生活力を、私が奪ったのだ。玉木が失ったのではない、それを意図して奪ったのは私だった。私は彼の世話をすることが、私自身の価値を実感し、玉木のお世話をしていると、私が誰かにとって命の根本的な意味において必要な存在だということを実感することができた。そしてそれは、玉木が自分のやりたいようにすることをサポートする方法でもあった。そうやってお互いにとって、お互いの必要性を高めていった。それが、関係性を構築していくということだと信じていた。人間同士の信頼感を育んでいくということだと思っていた。だがそれは逆に、無条件に愛し合うということから、自らどんどんと離れていくことだった。当時の私はそのことに全く気付いていなかった。
 浮気の事件があった数カ月後から、私の中に段々と拭えない違和感のようなものが生まれるようになってきた。玉木との生活は、より強固なものになっていた。お互いの役割を、より強くお互いが遂行するようになった。それはもはや、何かのプロであるかのようだった。そして段々と、それが心地良いと感じる瞬間に、その安心感が失われることへの恐怖が頭にちらつくようになっていた。玉木を失ったら私はもう、こうして広告代理店の修行のような日々を耐え抜いている意味さえなくなってしまうような気がする。玉木が夢を追い続けてくれる姿を見るのが、私にとっての幸福の主要な部分を占めるようになっていた。いつしか、玉木のやることを、私の専門分野である広報でサポートしたいとさえ考えていた。そのプランも全てが砂になって、サラサラと消え去ってしまう。

 私はある日から、反乱を起こしてみることにした。玉木の面倒を一切見ないことにしてみた。あるいは、面倒を一切見ないぞ、という振る舞いをしてみることにした。夕食はお互いに別々にして、お風呂も別々、まして着替えなんて自分でしなさい、と言うようにしてみた。玉木は最初こそ笑いながら「えー、自分でできない。やって、やって。」と甘えたように抱きついてきたが、私が真剣であることを感じ取ると、しゅんとした顔で「がんばる。」と言って自分で服を着始めた。私は甘い誘惑を感じとりながら、必死にその匂いを振り払い続けていた。
 反乱を初めて二週間ほど経ったある日、仕事から帰ると、机に手紙が置かれていた。玉木からだった。
<しばらく、家を出ます。これまで、さき(私の仮名だ)に負担ばかりかけてしまっていたことを、やっと感じています。ぼくの不甲斐なさを感じています。なので、自分が自分でやれることを身につけていくために、一人で暮らします。>
 私は玉木がめずらしく自身の意志で決めたことを、応援した。玉木との関係性も、これで何かが変わるかもしれない。彼を、アルバイトを2ヶ月で辞めてしまうような人間にしてしまったのも、また私なのだと思った。私の能力を駆使して、彼を育て上げてしまったのだ。これを機に、玉木自身も変わってくれるかもしれない。

 だが結局、玉木はそのまま私の家に帰ってくることはなかった。最初のうちは一人暮らしの経過をLINEで送ってくれていたのだが、連絡は段々と途切れ途切れになっていった。3ヶ月後には、2週間に一度やりとりがあるかどうかというほどになっていた。そして4ヶ月と半月ほど経った頃、久しぶりにLINEを送ろうとしたとき、私の連絡先やSNSが全てブロックされていることに気付いた。玉木は私の前から、忽然と姿を消すことにしたらしかった。住所も知らなかったので、すでに私から連絡をとる手段はなくなっていた。
 玉木は自分のことをこれからも世話する意志があるのかどうか、私のことを試していたのかもしれない。私が「それでもいいよ」と言ってくれる相手なのかどうか、精査していたのかもしれない。でもそれは、これまで私が玉木に対して試していたのと同じことでもあった。玉木が私に依存しているのだと考えていたが、玉木に依存していたのは私の方だったのかもしれない。依存は一方的では成立せず、双方に依存する・されるという役割を果たして初めて成り立つのであれば、そういう意味において、私は玉木に依存していた。玉木のお世話をすることが、そして玉木がそれで喜ぶ顔をすることが、私の存在の輪郭を撫でて確かめる行為になっていた。そうなるように玉木に育てられていた。
 彼は、ある種のそういった才能を持つ男だったのだろう。その分野のプロと言ってもいいくらいに。彼の身振りや、言動で、私のような飼い主としての才能を持った人間を引き寄せ、育て上げ、ふるい落としてきたのだ。これからもそうやって、心地よい暖かな条件付きの信頼関係を構築していくのだろう。そして今頃きっと玉木は、あの綺麗で塩顔の無邪気な笑顔で、フサフサのしっぽを新しい飼い主に向けて振っているのだ。
「玉木、ほら、お手。」

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