28歳男性。話が通じそうでなかなかに仕事もできそうである。のような人間の着ぐるみを着ている。

この記事は、つくるためにつづけていることや、つくるときに考えていることなどを書いているマガジン『つくるためにつづけていること』の文章です。つくったもの以外を世の中に公表するのは、ちょっと恥ずかしくて気後れしがちです。


今日は16:00からリモートで打ち合わせ。

私は仕事ができるので、5分前にはZoomのアプリを立ち上げておく。

画面をオンにするとアップの自分の顔面が映った。慌てて手ぐしで髪を整える。

しばらく打ち合わせの内容をノートアプリで確認していたら、時間ぴったり(16:00を10秒〜20秒ほど過ぎたくらいが丁度の "時間ぴったり" なのである )に相手から申請の通知が来た。

すぐには押さず一息ついてから「許可する」ボタンを押す。

打ち合わせが始まった。

「お疲れさまです。」「承知しました。」「お手数をおかけして申し訳ありません。」

そんな言葉を巧みに操っている自分の表情が、パソコンの画面に映っている。

28歳男性。清潔感があり話が通じそうで、なかなかに仕事もできそうである。

のような人間の被り物をせっせとこれまで拵えてきて、気付けばしっかりとそれを被っているような気がずっとしています。

ほんとうの自分はもっと猫みたいにぐーたらしていたり、子供みたいに好き勝手なことだけをやっているような動物なのになぁ、という気持ちなんです。この感覚、持ってる人いたりしないんでしょうか。

中学2年生くらいの頃からせっせと拵えてきたこの自慢の着ぐるみを今も縫い直しながら、これを被ることで社会性のある人間のフリをしているんです。

でもこの着ぐるみ、ちょっと重いし、何ならちょっと暑いような。。。

しかも、長い時間被っていると張り付いてきます。うえぇ。気持ち悪い。

そして終いには被っている状態が普通となり、段々と本来の中身であるぐーたらな自分のことを忘れてしまえるという機能まで付いてます。

優れものなんですね。この大変な社会を生き抜いていくためには便利なことだらけそうです。だからみんな、いろんな着ぐるみをせっせと拵えている。

でも重くて暑いし、何なら自分のことも忘れそうになってしまうのが怖いから、本当はこんな着ぐるみ、被っていたくないなぁって思っていたりもします。

本当の自分の姿をすっかり忘れてしまわないように。

自然な自分の姿でいれるように。

でもきっと社会の中で生きていこうと思えば、このせっせとつくってきた着ぐるみを捨てることなんてできないんですね。

いや、むしろ捨てなくてもいいとは思うんです。たとえそれが自分の何かを守るためにつくり始めていたとしても、同時にその裏側では、誰かに優しくなりたいという気持ちがあったはずですから。

すぐにできることと言えば、本来の顔にできるだけ近いように縫い直していくことでしょうか。

そして、それでも受け入れてくれる人たちと生きていけるようになっていったら、仕事ができるようになっていったら、段々と着ぐるみを脱いでも外を歩けるようになるのかもしれないなぁって思います。まずは一番近いコンビニに。次は、駅の近くのイタリアンに。なんて。

あぁ、そんなことをだらだらと考えていたら、分かってきました。

この着ぐるみの材料って何なのだろうって思っていましたが、どうやら自意識というものみたいです。

それぞれがみんな守っていかないといけない自分の世界を、守り抜こうとして必死につくって、被っていたんですね。

そしてよりよいものをつくっていくためには、「自意識のなさ」が必要不可欠なんじゃないか、って感じます。

だからぼくも、自分だけの世界を守り抜きたい。

今日も着ぐるみの「中の人」の発してくれているメーデーに気付けるといいなぁ。

被りすぎ、注意! 被りすぎ、注意!



この文章は、小林賢太郎さんの文章「実は人間のふりをしています。」からインスパイアされて書いたものです。経緯を込めて。
https://note.com/kentarokobayashi/n/nbb2e2e5fa105

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