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続けることができないと思っていた自分にも続いていたことがあった

 カバー写真は友人の伸太朗さん(田淵伸太朗)の写真です。クレジットに代えて。西粟倉の森林での写真。いいなぁ。

 二年ほど前に友人のあかしさんが書いてくれた記事 【「縦の変化」を続ける、彼らのこと。 https://note.com/akyska/n/n7f5b4c5dea71 】をふと読み返していた。この頃から色々なことが変わった。それでも、根っこにはあんまり変わっていないようなこともあると思った。ぼくが代表をやっている個人デザイン事務所であるCIALという言葉の表す意味も、今は「しるす」という言葉がその意味をどんどんと拡げて、開いていってくれて変化し続けている感じがする。



 伊丹十三の生き方を見ていると、自分への大きな重なりを感じる。俳優、デザイナー、エッセイストで、さらに料理も好き、精神分析雑誌の編集長、そして最終的に映画監督。え、これって自分じゃん…。という感覚さえ覚える。いや、俳優もやっていないし、映画監督になるような気配もないのだけど、すごくすごく分かる何かがそこにはある。その移り変わりのこと自体に対して、ものすごく自分が分かってしまう、逃れられない何かがあると感じてしまう。


 ざっと、これまで自分がハマって、趣味として、時には仕事としてある程度取り組んでみたと感じるものを挙げてみる。ギター、ドラム、コンピュータサイエンス、プログラミング、自然言語処理、プログラミング言語(コンパイラ)、コーヒー、コーヒーの焙煎、グラフィックデザイン、CI/BIデザイン、建築、俳句、料理(イタリアン)、着物の裁縫、漆、木工。このうち今まで本格的な仕事にもなったものは、Webエンジニアリング、コーヒー、デザインあたりだろうか。コーヒーは焙煎業から始めて、高円寺でお店もやっていた。そして今のぼくの生活の大きな収入はデザインが占めていて、その次にコーヒー、その次に道具づくりが続いていく。本当に色々なことをやってきたなぁ。


 自分のことを何かを長く続けるということができない人間だと、ずっと思い込んでいるところがある。そこに対してすごくコンプレックスのようなものがあり、勝手に誰かにそう言われる想像をしては、勝手にぐさっと心にナイフが刺さったような苦しさを覚えてきた。でも、少しずつ自分のこの性質を受けられるようになってきたのかもしれない。それがあかしさんの書いてくれた「横から縦の変化に変わった」ことにも現れていたのかもしれない。


 大きな転換点は、4年ほど前。ぼくは高円寺でColored Life Coffeeというコーヒースタンドをやっていました。その店舗も1年半ほどで閉めてしまいました。店舗を閉めて何をしていたかというと、そこからMATERIA(マテリア)という、コーヒーと日本の薬草をブレンドしたティーバッグの飲み物をつくることに熱中していきました。MATERIAはすごく頑張って、ちゃんとしたブランドにするぞという、今考えてみると空回りしているくらいの意気込みを持って始めていたので、色々なことを考えながらつくっていました。


 その中で、どんなふうに「らしさ」が生まれるのか、ということについて特にものすごく真剣に取り組んで考えて工夫をしていたように思います。例えば、MATERIAが将来置かれる棚をつくる。その棚に、ブランドらしさのリファレンスとして本やものを並べる。つくっている途中のMATERIAをそこに置いてみて、違和感を感じないようにしていく、みたいな手法を試してみたり。ブランドパーソナリティという、ブランドを人に置き換えてみて色々な属性を定義していくみたいなことをやってみたり。その過程がすごく面白いなと感じながら取り組んでいました。もっとこういうことについて考えて、取り組んでみたいと思いました。


 そこから、少しずつデザインを本格的に仕事にするようになっていきました。それまでもWebエンジニアをやっていたこともあり、WebデザインやUIデザインなどの仕事には馴染みがあったのですが、MATERIAで体験した「らしさ」みたいなものについて考えてデザインをしていくことにすごく興味が湧いてきたのでした。CI(Corporate Identity)やBI(Brand Identity)と呼ばれるようなもののデザインをするようになり、それを起点に様々なもののデザインの仕事をさせて頂きました。ロゴやグラフィックだけでなく、Webサイト、アプリ、紙、パッケージ設計、オフィスの空間、ホテルのサイン計画など。それまでやってきた変化とは打って変わって、デザインという分野では「何をつくっても許してもらえるんだ」という発見と、それによる気楽さを感じていました。それまでジャンルごとに「横向き」に変化していたところから、「縦向き」の変化が加わったような体験でした。(あかしさんに言語化してもらったことの完全な受け売り。使わせてもらってますありがとう。)


  ここまで色々なことをやってきたし、ことごとく続いていない。ぼくは何なら続くんだろう…とずっと考えていました。それが、数年前のコーヒーからデザインへの転換で、それまでの「横向き」であるジャンルの変化みたいなものから、「縦向き」である何か別軸への変化みたいなことが起こったわけですが、果たしてそちらの軸への動きを突き詰めた先には、何があるのだろうか、と考えていました。


 縦軸の1番ゼロに近いところの方には、「つくる」ということがあるのかもしれない、と思いました。つくること、と表現してしまえば、確かに今までずっと続けている。音楽も、エンジニアリングも、コーヒーも、デザインも、仕事にもなっていないような小さなことたちも。そうか、ぼくはずっと続けてきたことがあった。そう思えた感覚がありました。「つくる」ことは、いつもどんな形であれ、続けていたのかもしれない。そう思えると、ジャンルなんて何だっていいさと思える。横軸にもどんどんと飛んでいけるような気がする。もっと心が楽になる。もっと気楽になる。つくられるものは、何でもよかった。ぼくの中のつくることだけは、ずっと続いていた。

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