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『ショー、誰にでもなれるさ。』 ①

 僕には物心ついた頃から、ずっと一緒にいる親友がいた。
 彼の肌は焦げついたような茶色で、僕の青白い肌とは対照的だった。眉毛もまた僕と逆の方向に、キリリと引き締まるように上がっている。彼はいつも独特な気配を放っていた。クールで、皮肉めいていて、それでいていつも好戦的だった。そんな彼のことが僕は大好きだった。出会った人を惹き付けてしまうような彼の雰囲気は、一緒に成長していく中で変わらないどころか、むしろその鋭さを増していったのではないかと思う。
 昨日、治療の一環としてその友人のことについて思い出せることを書いてみて、次回の診察に持ってきてほしいと言われた。彼と一緒にいたことを思い出していく作業は楽しいことでもあるので、仕事の合間を縫って少しずつ書き進めてみようと思う。

 彼が最初に僕の目の前に現れたのは確か小学校5年生のとき、あれは学校からの帰り道だった。信号を待っていると、横断歩道の向こう側に彼の姿があった。歳は同い年か、または3歳ほど上のようにも見えた。パッと見ただけでは年齢を特定しづらい雰囲気を持っていた。横断歩道の向こう側にそれなりに人はいたはずなのに、向こうの道でポケットに手を突っ込んでまっすぐに立つ彼は、世界から一人だけ浮き立っているように見えた。そして勘違いかもしれないが、彼もまたそのとき、僕の目を見ていた。
 信号が青になって、歩き始める。僕はなぜか心臓が高鳴った。彼とすれ違ったとき、彼は僕の足元から頭のてっぺんまでを舐めるように目線を動かして、それからニヤリと笑った。一瞬の出来事だった。馬鹿にされているようにも思えたが、不思議とドキドキとするような感覚もあった。信号を渡り終えたとき、怒りが湧くどころか、むしろ僕は彼と話してみたい、と思っていた。
 次の日の帰り道、いつもの横断歩道を渡り切ったところで、後ろから突然誰かに声をかけられた。
「昨日も、ここで会ったね。」
振り返ってみると、昨日横断歩道の向こう側にいた、茶色の肌の彼だった。
「君、学校、近いの?」
僕はびっくりしてどもってしまい、「ち、ち、ち」と、一つの音を連呼してしまった。その連続する音を途中で切り落とすように彼が言った。
「おれ、翔(ショウ)。名前は?」
「ぼ、僕は涼太(リョウタ)。安達涼太。よ、よろしくね。」
「いいよ、そういうの。今日、暇か?」
 それから僕たちはそのまま、二人で公園で遊んだ。彼はその日、公園で捕まえたカエルで遊んでいた。大きなカエルと小さな虫を捕まえてきて、大きなカエルの口に、その小さな虫を無理矢理に突っ込んだ。
 翔の遊び方を見て、僕は少し怖くなった。僕は元々あまり外で遊ぶタイプではなく、部屋にこもりがちだった。ましてや生き物で遊んだことなんてなかった。あの怖さは、生き物で遊ぶなんてことは許されないという倫理観からだったのだろうか。または、命の生死の判断が自分の手に握られていることの怖さを、子供ながらに感じていたのかもしれない。
 翔は、一歩後ろにしゃがんで何もしようとしない僕の方をちらりと見た。翔の目は、とても鋭かった。そして、好戦的だった。女の子が彼に見つめられたら、きっと好きになってしまうだろう、と思った。
 翔は、不安になっている僕の感情を察したのか、僕に向かって「捕食を教えているんだ。」と言った。
「強いものが弱いものを食べる。当たり前のこと。」
僕はそれになんと答えればいいか分からなくなって、何も言わずに小さく頷いた。
 結局その日は、翔が遊んでいるところをじっと見ていることしかできなかった。
 それから僕は、放課後に翔とよく遊ぶようになった。
 僕は段々と彼を名前で気軽に呼べるようになってきて、そしていつからか<ショウ>ではなく、<ショー>という発音で呼ぶようになっていた。彼には<ショー>という名前が似合っているような気がして、彼の名前を呼ぶときのその発音の仕方は、僕の中で密かにお気に入りにしていたことのひとつだった。
 ショーは相変わらず、僕にとっては突飛で危険に思えるような遊びばかりをしていた。用水路のようなところを飛び越える遊びでは、僕がいつも最後に飛び越えられずに用水路に落ちてびしょ濡れになってしまう流れが鉄板になっていた。他にも、子供が普通は登れないような高い塀に無理矢理によじ登って、その塀の上をどれだけ早く走れるかを競ったり、あるときにはセミを捕まえてきて解剖をしたりした。
 僕はいつもショーの遊び方に怖さと、いくばくかの罪悪感を覚えて、尻込みをした。僕といてもショーは退屈なんじゃないかと思うこともあった。だけどショーはなぜか、いつも僕のことを認めてくれていた。それは僕がショーと違って勉強ができたからかもしれないし、絵を描くのがうまかったからかもしれない。でも、ショーは僕のどこがすごいとか、そういうことは直接は僕に言わなかった。だけどショーからは、僕の存在を常に対等に認めてくれている姿勢を感じていた。
 それがその頃の僕にとって、どれだけ心地よかったことか。勉強や習い事に”楽しく”打ち込まなければならないというプレッシャーをかけ続けてくる母親や父親といるよりも、ショーといる時間の方がよほど安心できた。本当に楽しくて、毎日あっという間に日が暮れた。

 中学校、高校に進学してもショーとは相変わらずよく遊んでいた。ショーはその頃に髪を金に染めており、短髪で、体も筋肉質になっていた。つり上がった眉毛と不敵な笑みは、見た人に彼のミステリアスさとその裏側にある意思の強さを印象づけ、相変わらずのクールで、皮肉めいていて、好戦的な態度はその印象をさらに強めていた。
 ショーは元々、先天的に人を惹き付ける魅力を放っており、ショーの周りにはいつもたくさんの人がいた。ショーは小学生の頃から自分のグループのようなものをつくることに長けており、中学校、高校と上がるとその性質に磨きがかかっていった。メリハリなく流れていく日常に横たわる退屈みたいなものを感じ始める思春期の青年にとって、ショーのような人間はカリスマ的な存在に映った。それは、鬱屈とした濃い灰色の雲間に差し込む太陽の光、いや、一瞬の轟音と光を放つ落雷のようだった。
 かくしてショーの周りにはいつも、たくさんの仲間が常にいた。みんなが彼のことを「ショウ、ショウ」と親しみと尊敬を込めて呼んでいた。ショーの周りに集まる人はみんな、日常にどことなく鬱屈とした感情を抱えていて、にも関わらず圧縮されたバネの力を具体的にどの方向にどういう形として解放すればいいのか分かっていない、というふうに見えた。
 ショーの仲間の中にいるときには、僕は一人で何かよそ者になっているような気分になることが増えた。僕はその地域で偏差値の高い中学・高校に進学しており、ショーの仲間には、僕の学校にいるようなタイプの人間はいなかった。ショーの仲間の輪にいるとき、僕は寂しい気持ちになることが多くなっていたことを覚えている。小学校の頃に二人でいつも遊んでいたあのショーが、僕からは遠く離れていく存在のように思えてしまうのだった。
 だが、ショーはなぜかいつも僕のことだけは特別に気にかけてくれた。どんなにたくさんの仲間といるときでも、僕のことを無二の親友のように扱ってくれた。そしてショーはいつも仲間に向かって、「涼太はお前らなんかとは比べられないくらいに凄い奴なんだ。涼太が捕食者なら、お前らは被食者に過ぎない。」と度々言っていた。
 ショーの仲間が、色白でひ弱な僕のことを馬鹿にするようなことを言うと、ショーは怒ってそいつの胸ぐらを掴んでアスファルトに張り倒し、その上にまたがって、立ち上がれなくなるくらいに殴りつけた。
 そのことで後日、学校からショーと僕が呼び出されたときにも「涼太は関係ない。おれがそいつに腹が立って殴っただけだ。」と僕のことをかばってくれた。
 ショーは本当にかっこいいやつだった。男子であれ女子であれ、いつ誰が見ても、すごくかっこいいやつだった。喧嘩も強くて、危ない遊びを知っていて、大人に媚びなかった。僕はそんなショーのことが大好きだった。

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