空き家問題から考える「住宅」

空き家についての記事がでていた

 さらっとした記事だが、都内でも有数の住宅地(人口の多い)である世田谷区の数字を出すことに意味があるのだろう。
 空き家の問題は、いろいろな視点からいろいろと語られるし、いろいろな視点でもっと議論しなければならない課題である。
 根本的には、住宅は市場システムに完全に適している商品か?という課題につきあたるわけだが。。。これはこれでかなり難しい課題である。
 今後人口が減少し、世帯構成が変わっている中で、30~40年前のスタンダードな住宅形態が「いま」合わないということが当然でてくるという前提が、最適解として用意しつづけられるか?という課題にも突きあたる。(30~40年というのは一般に木造住宅の耐久年数といわれる。タイプによるし、諸説や構造の問題があるのでここでは目安の1つとして)。つまり、社会の変化に住宅や住み方がかわっていくことに、「住宅供給システム」はついていけるのか?ということだ。
 市場システムの大きな課題は「売れなくなった」商品をどうするのか?という課題がある。「捨てる」という解が当然導かれるわけだが、開発をしてしまって新しい住宅をたてると実はことはそう簡単ではない。大きなリサイクル(循環システム)の中で考えると住宅の開発を今後も続けるのか?という問いに答えていかないといけない。私はいまの自治体どおしの「子育て世代」の奪い合いのための新たな住宅地開発は結局30年後40年度のツケ(負の遺産)にしかならないと思っている。住宅地開発は止めていくべきで、すでに開発している住宅地のみをリノベーションや再開発をしていくべきだと考えている。
 そのためには、「住まなくなった」「使わなくなった」住宅を速やかに他の「住み手」や「借り手」に譲っていく、貸していく仕組みが必要になる。その仕組みの整備が遅れているのだ。これはいろいろな分野でものすごく遅れている。それこそイノベーションが必要な分野だと思う。
 あと、この記事の中で、なぜか「過疎」ということばが登場する。「過疎化とは縁遠い」と。私はいよいよ、過疎(化)ということばの使い方を変えていく時期だと思っている。人口の著しい急激かつ大幅な減少というのがもともとの過疎の意味だが、その意味では、首都圏や都市圏でもいま小学校区や中学校区レベルの広さでは起こっている現象だ。高齢化にともなって行っているそういった現象を、過疎(化)は地方の田舎のことばだという印象操作は、問題を覆い隠す。過疎化はすでに地方の問題だけではない。

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