続・コミュニティ・ワークの記録

昨日のエントリーの続き

結論的にいうと、社会福祉分野で言われるコミュティワークやコミュニティソーシャルワークでは、専門職たる【ワーカー】の行動記録がその記録として重要視されると主張されているようだ。
専門的な話になってしまうが、それは日本のソーシャルワーカーがその位置として、専門職化をめざしずっと議論をしてきた背景や、それでも資格化がその専門職化には必ずしも寄与してこなかったことなどの影響が大きいように思う。

資格化や専門職化の議論はここでは本筋ではないし、きちんと取り組むには課題が大きすぎる。私の手にもあまりすぎる。それよりも所属する機関や団体、そして、職域職能団体などにより、きちんとこういった方法論の議論が限界を明らかにしつつも、なされることが必要だと思う。特に、社会福祉の分野は、基本は制度や法律に基づいてなされることが圧倒的に多い。ということは、その枠の中で、その影響や背景を明らかにしながら、議論は進められていくべきである。

余談になるが、ここで多く引用している「社会福祉協議会の」という枕詞についても、業界ではあたりまえであるが、あまりに業界用語すぎる。また社会福祉協議会を知っている者からは、いい加減に「地方自治体の」というくくりのようなあいまいさをそちら側からも回避すべき状況にすすんでいるようにも思う。

一方で、社会福祉分野よりも圧倒的に多くなった地域づくりやコミュニティ政策分野などでは、インパクト評価

に基づくものが多いようである。果たして、インパクト評価に寄与する【記録】とはなにか?と考えれば、そこに記録が必要だというのであれば、それは、アウトプットないし、アウトカムされる評価から遡るにあたる記録というものが考えられるだろう。実は前述した社会福祉分野のコミュニティ・ソーシャルワークの記録にもその意思がみてとれる部分も多く存している。

はたしてそれでいいのか?たとえば、エンパワメント評価に対して、その評価に資する記録のありようとはなにか。

コミュニティの話をするときに、どうしても、私たちはその形成を閉鎖的な「一つの塊」として議論をしてしまう。そこには「空間軸時間軸で切りとった」塊にしてしまう。
そうすると、静的なものに対する観察記録になってしまう。まず、そのことに対しても考えなければならないようにおもっている。

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