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【ベトナム】ブラック日系企業での成長

こんにちは、前職のIT土方から晴れてベトナムへ転職をしたTottyです。
今回は私が1年半勤めた会社TKのお話です。

日系ブラック企業TK

TKは日本にある親会社出資の元、ホーチミン で創業した金融会社です。
私は本社採用として中途入社後すぐにホーチミン に渡りました。
着任日は中途入社の同期数名とオフィスへ向かいました。
ベトナム人が働いている職場環境がとても新鮮だったことを覚えています。現地法人の社長は怖い印象でした(関西弁なので余計そう感じました)が、親睦会も開催頂き、改めてこの会社で成長できると感じました。
そんな1週間後、ある同期から驚きの言葉を耳にします。

同僚「この会社、X(社会的に有名なブラック企業)の元社員が殆どらしい」

私「・・・」

少々の不安を抱きました。とはいえ、既に渡越してしまったからには後に引く術はありませんでした。

炎天下のチラシ配り大運動会

ある日社長より現場に行けと指令がきました。
TKはベトナム国内にいくつも店舗があり、各店舗で月間目標が存在します。我々に出されたミッションは月間目標達成が危うい店舗のヘルプでした。
TKでは集客媒体にチラシがありました。
ベトナム語も知らず、業務知識のない新人が手伝えることはチラシ配りだけでした。ベトナムはバイク社会なので信号待ちのバイクの運ちゃんに
炎天下の中でチラシを配布します。
気温が35℃の中、250枚のチラシを40分で配り終え、お店に戻り、
20分休憩しては、再びチラシ配りに駆り出す。
これを6セット繰り返しました。熱中症ギリギリの状態だったと思います。月末にさせられる事が多い(期間は1.5週間)この運動会は入社半年まで続きます。おかげでチラシ配布のスキルはかなりついたと思います(笑)

月間労働時間300以上、帰れない職場

労働時間は1日12時間でした。と言うのも日本人はベトナム人が退勤後も各店舗の数字をシステムで管理して親会社に報告しなくてはなりません。
かつ、ベトナムは月-土勤務の為1ヶ月の労働時間は300時間以上でした。TKでは平日20時前に帰宅したのは数回程度です。原則社長よりも先に帰ることはできません。社長不在の日は19時半に帰れるので、そういう日がささやかな喜びでした。

イエスマンな社風

TKの社風は古いです。上司からの命令は絶対です。
飲み会は絶対に断ることはできません。
入社したての頃はかなりの頻度で連行されました。2件目に行った場合には朝までコースもありました。その数時間後には出社と言う事もよくありました。(社長は普通に遅刻してきます)
親会社オーナーからの指示が来た場合にも対応するのは大抵、若手でした。上層部は面倒なことは全て下に投げる傾向にあり、中でも私はフットワークの軽い立ち位置にいた為、並行して色々なことを要求され、タスクオーバーになってました。下記はよく社長がおっしゃっていた言葉です。
社長「きつい数字目標でもまずどうやって達成させるのか知恵を絞れ」

現場を知らない親会社オーナー、別名”サノス”

MARVELユニヴァースで全宇宙の生物を半分にしようとした指パッチンこと悪役サノス...と言うおふざけは置いておいて。
私はオーナーを陰でこう呼んでいました。サノスはTKのオーナーなので社長ですら何も言えない存在です。サノスの言うことは絶対です。

サノス「今年度営業利益はXX億円にしよう!いけるよな」

社長「勿論です!達成させてやります。」

社員一同「。。。(おいおい、正気か...社員の離職も年々増加傾向なのに
また無茶な予算のせいで残業が増え、人が減るぞ」


わかりやすく言うとこんな感じです。現場を一番理解している社長が何も言えない為不可能な数字を目標設定してしまいます。
サノスは金融業界では、かなり有名な人でしたが、過去の栄光が忘れられない傲慢オーナーなので自分の言うことが常に正しいと思っています。
TKで生き残る為にはサノスに気に入られる必要があります。
また、サノスの気まぐれ一言で異動になる事もよくあり、辞令の2日後に飛ばされることもありました。明日は我が身と言う状況です。

ギスギスした上層部、振り回される若手

上層部同士の派閥や疎遠。TKの人間関係は混沌としていました。
例えば、同部署にも関わらずそれぞれ別拠点で仕事をしていた上司Aと上司Kのお話。2人はメールのやりとりでさえ、拒む程の疎遠関係でした。
若手が間に入って進行役を努めないと業務が進まない事も多々あり、完全に業務妨害でした。1時期私も同部署で彼らと仕事をしていたこともあり、仲介役はかなり面倒でした。他にも、社長はソリの会わない人間を遠くの拠点に左遷させます。一方で左遷された日本人は裏で社長の邪魔をしていたこともあった為、会社の数字にも影響していました。

労働契約との乖離

私は日本にある親会社採用なので、現地採用給料よりも給料額や家賃、交通費が優遇されていました。ただし勤務日数に関して労働契約上は月-金9:00-18:00、隔週土曜出社でしたが、実際の勤務時間は月-金7:30-20:00、土曜7:30-15:00でした。月末は帰宅時間が23:00になることもあり、若手の間では話と異なると言いつつも、誰も言えない現状を受け入れるしかありませんでした。また有給は冠婚葬祭、病気以時のみ使用してはいけないような雰囲気があり、私は有給20日分を未使用のまま、特に買取もなく退職しました。

体調を崩す若手、社長からのプレッシャー

若手の数名が営業数字の悪い拠点に異動になりました。
同期のLはベトナム人ですが、日本語レベルはかなり高く、優秀な女性です。そんな彼女に社長はある日、異動を命じました。異動させた社長の思惑は、社長は彼女を自らのスピーカーとして投用しましたが、生憎、異動先は会社のルールを守らず、業務もきちんとしない状態(ある意味終わってます)
そのような環境下の社員達ですから、当然言うことを聞かないので数字も改善されません。社長はLになぜ言ったことがきちんとできていないと叱責します。社員からもLに対しての陰口や嫌がらせが半年ほど続きました。Lは極度のストレスから胃潰瘍、脱毛に悩まされ通院を余儀なくされました。この事を知った社長は気にも止めていない様子でした。その後も何名か異動させられました。異動した者は精神に異常をきたし、その外見は痩せ細っていき、まるで別人のような容姿へと変貌を遂げるのでした。

まとめ

如何でしたでしょうか。日本国内で採用を勝ち取った末に待ち受けていた
壮絶な会社生活。一体、私はどのようにしてこの会社に見切りをつけたというと、、続きは(続)ブラック日系企業での成長にて書く事にします。
ご拝読頂き、ありがとうございました。

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