君が最後に遺した歌 感想+ブルーライト文芸に想う個人的な感情
今日は、上野から浅草あたりでやっていた七夕のお祭りを散策しました。
そのあと隅田川の横で日影が日向になるくらいまで本を読んで、上野まで歩いて、帰ってきました。
今日はその時読んだ本の感想と思うことをば、。
君が最後に遺した歌
きっかけ
というわけで、今回読んだのは君が最後に遺した歌、著:一条岬 です。
この前同じ作者の1作目「今夜、世界からこの恋が消えても」とその後日談?に当たる3作目「今夜、世界からこの涙が消えても」を読んだので、そこから購入しました。タイミング的に著者の新作も出ていたんですが、話に音楽が絡んでいたので、ちょっとおもしろそうだなと思ったこともあり。
感想① ストーリー展開
話の展開というかテーマ的には、結構1作目と似ているかも、と読みながら思ってました。タイトルからしても、展開はなんとなく予想できちゃいますよね。それが良いか、悪いか、というのはまた別の話。
あるきっかけで主人公とヒロインが秘密を共有して、そこから将来のためにどちらかが感情を押し殺しながら日々を過ごす、けど最終的には幸せになる、みたいな。まーあいわゆる王道展開なストーリーだったと思います。読み終わった後のレビューを見てもそんな感じだったし。
感想② 焼かれる脳みそ
だいたいどの作品もそうだけど、主人公ってずるいですよね、都合が良い。
当たり前ですけど。でもそんな主人公たちに脳みそ焼かれてもう逃げられないからどうしたものか。都合が良いのに加えて、いいヤツなことが多い。そりゃ幸せになれるわ。まぶしい、まぶしい。
前作で日記だったところが役割的には手紙に置き換わって、残された側がそれを見ることで情景とかを思い出す装置として働いていたんだと思いますが、やっぱりこういう時の手書きの文章(作中で、ですが)の破壊力は当然ありますよね。このご時世SNSなどの電子媒体で人とのコミュニケーションが大体完結する中で、人が身体を動かして残したメッセージというのはそれだけで特別感を強調されるような気がします。明らかに、自分が生きている期間の中でも世の中は変わっているんだなぁ、って感じるポイントですね。
感想③ キャラの話
綾音は当然好き、まあ大抵ネームドのキャラは必要最低限しか出てこないし、みんな好きになっちゃうんですけどね、ちょろいから。
これもよくありそうなキャラ設定ですが、秘密の仮面を外すと普段は見えないデレ的な要素が見えてくる綾音は当たり前に良いですよね。
前作の真織は周りに対しても割と明るく振舞っていたイメージだったけどそれとは対比的に周囲にはかかわらないで鉄仮面を被るタイプ。そのギャップって意味でも惹かれやすいのかも?
ところで、途中で綾音のライブのチケットをくれた女の子は結局なんだったんだ…?だいぶ物語のキーとなる人物だったけど文中にはほんとに一瞬だけ登場して一瞬で消えていきましたね。掘り下げると冗長&雑念が増えるところはあるかもしれないけど、さすがに尺もうちょっと合ってもよいかなとは思いました。
感想④ matome
総じて、途中でも書いたけどわかりやすい王道的な展開だったと思います。読みやすかった。あとがきにあったけれど、節目の後を描く作品として前向きな終わり方で終わる、というのが一つ書きたかったことだろうし、それが伝わってくるのが良かったです。
この辺りの物語の終わらせ方はかなり書く人の想いが出ますよね。節目を迎える直前の一番幸せなタイミングまでを切り取ってそこで終わらせる物語もあるし、その先を書くお話もあるし。
一条岬さんの著書はまだ読んでないのが2冊?多分あるので、それも今度読んでみようかな、と思います。ジャンキーなのでね。
ブルーライト文芸
ここからはレビューとかを見てて思ったことをつらつら書きます。
まとまらない文章となりますが気持ちの整理も込めてるのでなにとぞなにとぞ
あと前にもおんなじ文章をどこかで書いているかも。あいつまた同じこと言ってるよ、、って思った人もボケてるなこいつ、と思いながらスルーしてください…。
ブルーライト文芸とは
ブルーライト文芸という言葉が世の中にはあるらしいです。
詳しくは↓を見てください。うえの二つもこの記事から引用しました。
結構雰囲気だけ読んだところがあるので、これからの内容に解釈違いあるかも…。
というか、ライト文芸、という言葉もあって、こっちはwikiもアルヨ
名前を付けること
今までなんとなく認知していたものにきちんと名前を付けること、名前を付けて認識することはとても大事です。ってアオアシの5レーンの話の時に望コーチも言ってた気がする。実際そういわれてから本屋に行ってみると、イラストから明らかにブルーライト文芸にカテゴライズされそうな表紙がいっぱいに見えてきます。あら不思議。
一般的な呼び名かはわからないけど、カテゴライズとして存在しているのは確かだと思います。
今まで
ライト文芸は間違いなく好きで、流れ的にはライトノベル→ライト文芸に流れた口です。これは半分くらい自分語りというか自慢(?)なんですけど、多分、自分が高校生の時(その手の小説が流行り始めたくらい?)からこの源流にありそうな小説たちに触れてはいて、ちょっとライトノベル読むのは疲れたな、というか若干の恥ずかしさ?みたいなものを感じ始めたときに天沢夏月さんの小説を読んでいた記憶があります。サマーランサーとか、吹き溜まりのノイジーボーイズも読んだかも、思春期テレパスも。同じような、夏の青春もの一生書いてるなこの人、、、って思いながら好きで読んでた。
あれくらいから、ライトノベルほどはキャラは立ってないけど普通の小説ではない、ライト文芸と呼ばれそうな物語に出会いたくて、本屋に行ったらメディアワークス文庫の棚を毎回見ていたし、夏だったり透明感だったり、儚さを感じさせるような表紙を探していました。たしか。
最近本屋に行って思うこと
面倒なことに結構天邪鬼な性格のワタクシなのでして、なんかちょっと人と違うことしたいなとか、そういうことを思っちゃうわけですね。
だから、最近本屋に行ってブルーライト文芸的な小説が流行り始めて、話題になりそうな帯やキャッチフレーズと一緒に置かれているとちょっともどかしい気持ちになります。マイナーだけど好きな、自分だけしか知らない秘密の良かったものがメジャーになって、複雑な気持ちになるやつー。そういえば君が最後に遺した歌にもそんな話をしているシーンがありましたね。
特に感動、とかエモい、とか泣ける、とか。そういう言葉がついていると、本当に一般的なものになったんだなってちょっと寂しくなる。それが悪いというわけではないです。実写映画化とかされてる作品もあるし、実際に売れているらしいし。でも自分が求めているのは(本当は求めているのかもしれないけど)そうじゃない、って思っちゃう。いや、言語化されるのが嫌で、本当はどこかで求めているんでしょうね…。
あらすじをちらちら見てみても、やっぱりヒロインがいなくなるようなことを示唆するものが多くて、やっぱり消失からくる感動物語として作られて、消費されているんだなと感じます。
タイトルに君、とか僕、とかそういう名詞がよく入ってたり、読点(、)で区切られてたりするのが多くて、その辺も特徴的なところですよね。
でももはや自分の中ではジャンクフードなので(どこかで見かけたこの表現は結構お気に入り)、わかっていてもその中で吟味してコンテンツを消費する側に回っているわけですね。なんだかんだおいしいんだ、これが。
これから
やっぱり、人気になるということはそれだけそのジャンルのコンテンツが増える、ということなわけできっとこれからもいろいろな作品が生まれてくるはず。
最近また本屋に行くようになって本を読むようになった人間ですが、世の中に存在するたくさんの良い作品やこれから作られていく素晴らしい作品に出会えるとよいな、と思います。
ちょっと尖った話とか、逆にめちゃくちゃ王道展開のやつとか、ロマンと現実逃避を求めて、たくさんジャンクフードの摂取をしたいなぁ。
ジャンクフードの食べ過ぎは良くないって…?
その代償は…考えないことにしましょう笑
雑記
おい、3500字超になってるぞ。
長すぎだ…。外に出て本を読むと、こういう思ったことを文章とかにしたい欲がめちゃくちゃ湧き上がってきていいですね。自分の部屋ってやっぱりちょっと好きじゃないかも。
と、いうわけで今回も内容のうっすい駄文を読んでくれてありがとうございました。みなさんのおすすめの作品があったらこっそり教えてください。
気付いたらもうこんな時間だし、ご飯食べに行っちゃお。いいよね。
では、マタネ!!
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