いたいのいたいの、とんでゆけの感想を書くつもりだった日記。

今日は井の頭公園に行きました。
何も調べないで電車に乗って、公園を調べて一番最初に気になった、杉並区立読書の森公園ってところに行こうと思ったのですよ。
でも乗る電車を間違えたのか荻窪に止まらなくて。
通り過ぎた三鷹で降りて地図を見たら井の頭公園があったのでそこへ。
三鷹駅で見たマップで、反対側だけど天文台?みたいなところもあるって書いてあって、いつか行ってみたいなぁっておもいました。まる。



散歩

お散歩とは

持ち物は大体、財布とスマホとバッテリー群と、1冊の本。大体、この手のおでかけを散歩と呼ぶことにしています。以下散歩とします。
ビル街とかは景色的に歩くのには個人的に合わないなと思うので大きめの公園とか、自然を感じられそうなところに行くのがほとんど。
何か目的がある、行く場所がある時は話は違いますが、散歩の時は公園とかをぐるっと回って、ちょっと疲れた頃に日陰のベンチとかに座って本を読むのが最近の流れ。

今日の散歩

井の頭公園は都会圏にしては結構自然味ある公園だったと思います。大きな木とか、大きな池とか。たまたまあったので入ってみた、水生動物園が面白かった。普通の動物園の方には行かなかったけど。

思うこと

散歩は夜より昼間にするのが好きです。
なんでかというと夜は人気がなくて寂しいから。
やっぱり人間社会の活気というか。熱を感じながら歩くと安心するんでしょうね。ただこれから夏になるにつれて暑くなるのが嫌だなぁ。その点夜は涼しくていいですよね。

歩いている中でたくさんの人とすれ違うわけですが、この人は今何でここにいるんだろう、どういうことを思っているんだろう、とか、色々思うんですけど、そんなことはないですか?
多分あんまりないとんだろうなぁ、と勝手に思ってるんですけど。
楽しそうな人も、そうじゃない人も、充実してそうな表情の人も、充実してなさそうな表情の人も、きっとそれぞれみんな自分の人生を生きているんだろうなぁ。えらい。

読書

読書は好きですか?

私は読書は好き。とはいえめちゃめちゃ本を読むか?と言われるとそんなことはないです。家にいるときにファーストチョイスになることはあまりないし、電車でも音楽聴いてSNS見ちゃうし。
でも本、特にここでいう本は小説、を読むととても落ち着きます。落ち着くっていうか、自分の意識を排除できるというか。
漫画とか、それこそたまにやってるノベルゲームではなかなか得られない感覚。

なんでだろうって思うけど、やっぱり視覚的な情報がないから、というのが大きいような、そんな気がします。
漫画もノベルゲームも絵があって、文字だけじゃなくてその絵にも注目する必要がある。で、そうなるとどうしても、絵を見るときに絵と現実の境のところに意識がいっちゃって没入できなくなっちゃうんですよね。多分。
漫画だったらページを捲る時の指、紙の外に見える景色、電子書籍やノベルゲームだったら画面のフレームやその後ろの風景。

いや、それは集中できてないだけじゃないか?と言われればそんな気もしなくもないけど、逆にいうとそんな些細なことで集中できなくなっちゃうってことなのかも、しれない。

好きなところ

小説は全て情報が文字で入ってくるから、その文字を元にして自分の頭の中で登場人物や、風景や、シーンを全部作り出して見ることができる、それが特徴で、私が小説を好きな理由の一つと思っています。なんていうか、頭の中で仮想世界を作って、そこでアニメを流してる、みたいな。
完全に自分の意思とか現実とは切り離した場所だから、没頭できるわけです。フルダイブのVRみたいな感じなのかな。視点的に神様視点なのか、語り部の目線なのかはちょっとわからないけど。

物語を見てるときには自分の感情とかは排除したい、というか物語に対してそんなに深い感情とか抱いたり言語化できるような感性はないのですが。

ちなみにそういう話で言うと映画も結構あり。
最近新海誠作品の再上映をやっているので秒速と雲の向こう、約束の場所を見ましたけど、家で見るアニメや漫画よりも良い体験だった気がします。

あー、でもこの前読んだ君と綴るうたかたの漫画はめちゃくちゃ良かったなぁ。

絵と文字、あとは音声

書いていて思ったけど、絵と文字ってどっちが上位の存在なんだろう。少なくとも同じレイヤーにあるものではない、同じだとしても全く別のものだって言うのは間違いない。
絵+文字の媒体と文字だけの媒体で読み方と言うか頭の使いかたが全然違うから。

それで言うと次元の問題なのかな。文字+絵で2次元的になる(この表現が正しいかは、わからない)。漫画は最初から2次元で、小説は挿絵とか表紙はあるとしても1次元的といえるのか。アニメとかノベルゲームはそこに音声が合わさってくるから、3次元的?登場人物の声と、BGMとが同じ次元のものなのかはちょっと疑問かも。

どちらにしても、小説は1次元のものに自分で絵とか音声を追加して3次元的に楽しんでいる。漫画は音声を追加して3次元的に。

で、絵とかは現実の風景が作品の絵に干渉してしまうから、ちょっと気持ち悪くなることがある。不純物、って言い方がしっくりくるかも。現実世界の風景が不純物として混ざって作品体験に影響を与える。
おー、なんかそれっぽいかも。

まあただきっとこれは全てじゃないし、人には人の楽しみ方がある、というのが全てなので、そんな人もいるんだなぁ、くらいできっといいんだよね。うん。

雑記

この日記、今日読んだ三秋縋さんのいたいのいたいの、とんでゆけの感想が書きたかったはずなんですよ。
不可逆なものを喪失するときに、美しさとか儚さって増すよね。って話とか。どん底の中の幸せって救われる話だよなぁ、とか。アパートの隣の部屋に住んでる美大生のお姉さん概念っていいよね、とか。

でも話が逸れるにそれて収集つかなくなっちゃった。まあいいや。また内容を忘れかけた頃に読み返して、そのときに思ったことを書けばそれでいいや。

気づいたら2500文字くらいになっていました。
もしここまで読んでくれた人がいたら、それはとても嬉しいことです。
なっげぇなぁ...と思ってスクロールしてここまできた人も、きっといい人なのでしょう。

明日からまた、良い1週間をお過ごしください。では。

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